「クラフトビール」ブームを作った男 ブルックリンラガーが世界のビールになるまで【創業者インタビュー】

創業者のスティーブ。カウンター右端がいつもの指定席。© Kasumi Abe 水曜日の午前10時。テイスティングルームの2階にあるオフィスはとてつもなく広く、剥き出しの天井と柱がいかにもブルックリンぽい。「ようこそ」と笑顔で現れた創業者のスティーブ・ヒンディは、ストライプシャツの上にカジュアルなベストを羽織りジーンズ姿。いわゆる会社の「エライ人」というより、 どちらかと言うと同業者を思わせる。 私は大好きなブルックリンラガーの話を聞けるこの日を、とても楽しみに迎えた。スティーブに誘導され、スタッフが仕事をしているオフィスを歩く。右側の全面ガラスの向こう側にはミーティングルームが連なり、いくつもの戦略会議が行われているようだ。胸が高鳴る中、一番奥の部屋へと通されテーブルに着いた。 (以下、創業者スティーブ・ヒンディ氏のインタビュー内容) 80年代、戦場を駆け抜けた 私は1979年から5年半、ジャーナリストとしてAP通信で働き、中東地域に派遣されました。イラン革命時にはイランでアメリカ大使館人質事件をレポートし、イラン・イラク戦争時はバグダッドでイラク軍のすぐそばにいました。湾岸戦争時はベイルートで戦況を追っていました。特派員という仕事は大変やりがいがありました。 それがなぜブルックリンでのビール作りに至ったか。 妻エレンとのロマンスが関連します。札幌生まれのエレンとは16歳の時に出会い、彼女が大学を卒業した73年に結婚しました。私は24歳、エレンは22歳。私の就職のために北部アップステート・ニューヨークからニューヨーク市内に引っ越しました。しかしその後いろいろあって、私たちは離婚することに。ベイルートに派遣された後も、私はしばらく報道にのめり込んでいました。しかしある時ふと心の中で、エレンを恋しく思うようになりました。手紙を書き何度かのやりとりの後、彼女がベイルートまで会いに来てくれました。 最終的にはよりが戻り、私たちは戦時中のベイルートで再婚しました。子どもが生まれた後は、危険と隣り合わせのベイルートからカイロに引っ越し、2人目の子も授かりました。そんな訳で私たち夫婦は山あり谷ありですが47年間も一緒にいます(笑)。 そうこうしていたら、マルコス元大統領の件でフィリピンへの派遣要請がきました。私は嬉しくて意気込んでいたのに、エレンが幼子連れでのマニラ行きは嫌だと大反対。それで私は自分の意に反して84年に退職し、家族と共にニューヨークに戻って来たのです。 翌年から新聞社のニューズデイ(Newsday)の編集者の仕事を得ました。しかし私は全然ハッピーではありませんでした。世界を揺るがす場所で動き回っていた私にじっと机に座る仕事ができると思いますか? もちろん編集者次第でレポートの価値も上がってくるので良い編集者はとても価値があります。しかし私にとって編集職は見返りを感じられませんでした。オフィスを見渡すと、年寄りの白髪頭の同僚男性が、ネクタイを締めて机にひたすら向かっている。「これは自分がやりたいことではな~い」と思いました。 振り返ると、おそらくこれが起業への強いモチベーションになったのでしょう。 ビール作りは自宅キッチンから そのころ私は趣味で、自宅でビール作りを始めました。カイロで出会ったアメリカ大使館の外交官が、サウジアラビアに住んでいた時、アルコールを買えないので自宅で作っていたと教えてくれました。その時にビールって自宅でできるんだと知りました。 当時からニューヨークには、ビールやワインのホームブルワリーキットを販売する店がいくつかありました。ラガーは温度調整が大変だけどエールは簡単なので、最初はアンバーエールを48ボトル作りました。なかなか美味しかったですよ。ただし…ボトルに蓋を取り付けるのが一苦労でね。いつもボトル半分が破損し、ガラスの破片が散乱するわエレンには怒られるわ…。 それから2年後の87年に、トム・ポッターと一緒に創業しようということになりました。私はそれまで大企業に属していたわけですから、起業は大きな変化でした。事業を立ち上げるのは未知の世界で怖かったです。資金が持つか、売れなかったらどうしようか、など心配は尽きませんでした。 治安悪し=安い土地、ブルックリンで創業 ビールを販売したのは翌88年からです。今の場所よりもっと奥地のブッシュウィック地区で醸造していました。 その時代のブルックリンは、とても治安が悪かったです。日暮れ後は大男のトラックドライバーでさえも近寄らなかったほどでした。なんでそんな場所を選んだか?19世紀のビール醸造所の廃墟ビル(Otto Huber Brewery)跡地の2階が無料で貸し出されたからです。 しかしタダより高いものはありません。床はガタガタで、エレベーターとフロアの段差も大きく、ビールの搬出は相当骨の折れる作業でした。結局、有料(年間リースがスクエアフィートで1ドルと格安)の1階に移ったものの状況は変わらず。91年からウイリアムズバーグ地区にオフィスや倉庫を置きながら、88年から96年まで州北部のユティカ市で醸造していました。 ウイリアムズバーグの今の場所に醸造所とテイスティングルームを置いたのは96年のことです。 今ではウイリアムズバーグは、マンハッタンより不動産が高くなりました。しかし当時は倉庫や工場以外何もなく、年間リースがスクエアフィートで3ドルと格安でした。うちは35,000スクエアフィートなので当時の賃料は年間105,000ドル程度。今では60ドル以下は見つからないから、どれだけ安かったかわかるでしょう? 世界的デザイナーが手がけた「B」ロゴ誕生秘話 ブルックリンはもともとビール作りの盛んな街で、19世紀には48もの醸造所があったんですよ。76年に廃業するまで、この辺にも2つの大きな醸造所がありました。 だから私たちの創業時のキャンペーン(スローガン)は「メイド・イン・ブルックリンのビールを作り、この街に醸造所を復活させよう」ということでした。 私が最初に考えたブランド名は、地元紙からとった「ブルックリン・イーグル・ビール」。ブランド名が決まれば次はラベル作りです。エレンが「せっかく作るのだからトップ中のトップにお願いしては?」と言います。私の頭に浮かんだのは「I(ハート)NY」のロゴやボブディランのアルバムを手がけたミルトン・グレイザーでした。 早速彼のオフィスに電話をかけてみました。電話に出た女性は「あなた、ミルトンが誰だかお分かり?」と聞きます。私は「もちろん。それを承知で電話しています」と答えたところ「ミルトンは誰でも闇雲に会うわけではありませんよ」とあっさりと断られました。私のジャーナリスト魂がメラメラと燃え、こう返しました。「私はミルトン・グレイザーに会うつもりでいます」。その日から毎日電話をかけ続けました。 ある日その女性が「あなた、諦める気になったわけではないですよね?」と聞いてきたことがありました。私は「いいえ。私はミルトンと話をしたいのです」と答えました。彼女は「待って」と言い、ついにミルトンに繋げてくれたのです! ミルトンに構想を話したところ「それは楽しそうだね。会いにおいで」と招いてくれました。そうして出来上がったのが87年に完成した「B」のロゴです。 《誕生》「クラフトビール?何それ?」 ただし、事業はまったく思うようにいかなかったです。ニューヨークはビジネスをする上で過酷な街です。「俺たち、ビールを作っているんだ」と言って「おぉ、すごいね!じゃ100ケースオーダーするよ」…とはなりません。たいてい「そうなんだ」で終わる。クラフトビールがまだ浸透していない時代ですから、「そもそもクラフトビールって何だよ?」という反応でした。 《衰退から復活まで》資金が底尽き、二足の草鞋 91年には会社の資金がとうとう底を突いてしまいました。社員への給料はかつかつ支払えたけど、私とトムの給料がまったく出ない状態に。当時湾岸戦争が勃発し、私はニューズデイから戻らないかと声をかけられ、午前中はブルワリーのオフィスで営業電話や顧客訪問をし、午後から42マイル(約67km)離れた新聞社で真夜中まで働く生活になりました。トムは1人でここを回し髪の毛が真っ白になりました。事業がこれからどうなっていくのか、不安でいっぱいでした。 事業が好転したきっかけですか? 94年にギャレット・オリバー(Garrett Oliver)がブルーマスターとして働き始めたことが大きいですね。彼に商品開発を任せるようになってから、ブルワリーを立て直すためにより多くの資金を調達できるようになりました。 ギャレットはうちの各種ビールの生みの親です。美しいビールを創り出すことにいつも情熱を燃やしている素晴らしい「アーティスト」でもあります。 ある日、ギャレットとミルトンの共通点に気づきました。共に天才で、共に自分たちのビジョンを持っています。だから他人が彼らの仕事について、あれこれ口を出せない、そのような存在です。 ビジネスを成功させる秘訣とは? 1. ロゴ(ブランディング) 私たちは初期の初期に大切なことをしました。それはブランディングです。 先のミルトンの話には続きがあります。打ち合わせで彼にブランド名を話したら、彼が「イーグルはいらない。シンプルにブルックリンラガー、ブルックリンブルワリーにしよう」と言いました。その言い分はこうでした。「ブルックリンで事業をしようとしている。そして誰も土地名を名乗っていない。だからブルックリンにフォーカスしよう」。ただし、今ではクールなイメージの土地柄ですが、先述のように30年前は良くなかった。「ブルックリンブルワリーという名にする」と人に言っても「えええ?」という反応でした。 また、こんなこともありました。ミルトンができあがったロゴを見せてくれた時のこと。そこには「B」とだけ書かれてあります。私は思わず「え、これだけ?」と聞きました。彼は「何も言わずに持って帰り、多くの人に見せず、キッチンのテーブルに置いて奥さんだけに見せてごらん」と言います。その通りにしたところ、Bのシンプルな美しさが浮き立って見えるようになりました。かつての球団ブルックリン・ドジャースを始めとするこの地のスポーツの歴史も呼び起こすものでした。でもノスタルジーとは違い、逆に新鮮で新しくスマート(賢さ)だった。これらはミルトンから教わったことです。 2. 流通(ディストリビューション): 近所にソフィア・コーリヤ(Sophia Collier)という女性起業家が住んでいました。彼女はSoho Natural Sodaという会社を興した人で、事業をアパートの1室でスタートし成功した人だから、私たちはとても刺激を受けていました。 ある日彼女と会う機会があり、ミルトンのロゴを見せたら、彼女が「主流ビールとは異なり素晴らしい。さすがミルトンだ」と褒めてくれました。「しかし、デザインがいいからと言って胡坐をかけませんよ」と言います。ディストリビューション(流通)なしでは事業は難しい、と。彼女は健康食品のディストリビューターを使って売ろうとしたけどうまくいかず、ソーダに特化したディストリビューターもだめ、最後はバンを購入し、ロゴをつけ、自分たちで運転し販売してみてやっとうまくいったということでした。…

豪邸を丸ごと「和」にしたニューヨーカー NY中心地に茶室、その理由は【お宅訪問】

豪邸を丸ごと「和」にしたニューヨーカー NY中心地に茶室、その理由は【お宅訪問】 「NYの自宅を丸ごと和の空間に全改築しました」。(c) Kasumi Abe 人はここを「ニューヨークのオアシス」と呼ぶ。私が初めてその存在を知ったのは、かれこれ10年ほど前のこと。今回ご縁があって、そこを訪れた。 場所は、映画などによく登場する、マンハッタンのフラットアイアンビル近く。レンガ造りの瀟洒な建物に到着し、入り口ベルを鳴らす。ドアが開き、オールドスクールなエレベーターでペントハウス(最上階)へ。 廊下奥のドアを開けた瞬間、驚いた。外界 ── クラクションが無造作に鳴り響く都会の喧噪、がいっさい遮断されたその空間に、落ち着きある「和の佇まい」が広がっている。 3フロアの豪邸を丸ごと大改築した家主、スティーブン・グローバス(Stephen Globus)さんとは何者ぞ? 彼の自宅で話を聞いた。 (以下スティーブンさんのインタビュー内容) 3フロアの自宅が丸ごと和の空間に Globus Washitsu まずこの階(ペントハウス)は、2間の茶室に縁側、日本庭園、和風の台所や風呂場があり、階段を上がった最上階にもギャラリースペースを兼ねた和室2間、屋外ルーフトップがあります。丸ごと和の空間に改築したのは2012年のこと。2フロア全体をGlobus Washitsu(グローバス和室)と名付け、茶室の庵号をマンハッタンのオアシスという意のKeisuian(憩翠庵)としました。 もちろん自分が住む家として改築したのですが、今では日本から来たアーティストが展示やパフォーマンスを行う場、そしてニューヨーカーにとって本物の日本文化に触れ合える機会の場としても使ってもらっています。例えば、ティーマスター(茶道家)による茶会や、画家によるペインティング・パフォーマンスなど、才能あるアーティストが自分たちの芸術を発表する場になっています。 Globus Ryokan 実は、下の7階も私の自宅で、そこも和室2間に床の間、水屋などを設けて丸ごと和の空間に改築しました。完成したのは2004年なので、この7階の方が先です。 こちらはGlobus Ryokan(グローバス旅館)という名のゲストハウスにし、ニューヨークを訪れたアーティストにパフォーマンスを披露してもらう代わりに、滞在スペースとして無料で提供しています。ここに寝泊まりした人は、かれこれ100人以上になります。 私は自分の活動を、カルチュラル・グッドウィル(文化に絡んだ親善活動)と呼んでいます。日本を訪れるときも、アーティストや茶道の家元、着物メーカーの人々に積極的に会い、文化啓蒙活動のニューヨークへの招聘をしています。 なぜ日本なのか? 我が家を訪れた人は、だいたいこのように聞いてきます。「なぜこのようにしたの?」「どうして日本?」ってね。 私の仕事の話から説明しますね。仕事は主に2つあって、兄弟で撮影スタジオを共同経営しているのと、ほかにはベンチャー・キャピタリストという顔も持っています。 ベンチャー・キャピタリストとして私はPlasmaCoという会社を興し、松下電器産業(現パナソニック)と、フラットパネル・スクリーンの開発に携わりました。今から24年前、1996年のことです。それで、縁も所縁もなかった日本を初めて訪れることになりました。 私はここで生まれ育った生粋のニューヨーカーです。それまでヨーロッパに行くことはよくあっても、日本はおろかアジアについての知識はありませんでした。 大阪の空港に降り立つと、私の目の前にはそれまでの人生で見たことがない世界が広がっていました。想像できますか? 西洋文化しか知らないニューヨーカーが、初めて見た「別世界」を。 特に、仕事の関係者に連れて行ってもらった、京都・龍安寺の冬景色は、今でも脳裏に焼き付いています。それは15世紀の日本そのもので、美しい庭園には雪が舞っていて、私は思わず息を呑みました。しかもその後、仕事の件で、携帯でニューヨークまで国際電話をかけなければならず、歴史とテクノロジーのコントラディクションも興味深い思い出です! とにかくそんなわけで、3ヵ月ごとに東京&大阪とニューヨークを行き来する生活が始まったんです。日本に行くたびに、新たな発見がありました。この「新世界」にはまったく違う物の見方、考え方が存在していました。人も言葉も食べ物も、何から何まですべてが違う。自分にとっては完全に「新ルネサンス」ともいえる体験で、すっかりのめり込みました。 特にハマったのが、文化と芸術面です。日本の文化はとても深く、知れば知るほど自分の知識が微々たるものであることを思い知らされます。そして一度ハマると、もっと知りたい欲求に駆られます。そんな深みとパワーが日本文化には秘められていますね。 畳の間が恋しくて… そのうち親友ができ、彼の自宅によく泊めてもらうようになりました。東京・新宿にある伝統的な日本家屋で、とてもピースフルでメディテーションにも最高の空間でした。さすがに新婚さんの邪魔はできないので、宿泊は彼が結婚するまでですが。そしてニューヨークに戻って来ると、次第にこんな気持ちを持つようになりました。「あぁ、畳の間が恋しい!」 ニューヨークでも畳の間を作れないか探してみたところ、宮障子(ミヤショウジ)という日本人経営の和専門インテリア&施工会社がマンハッタンにあり、すぐに依頼しました。と言っても、最初から3フロアを丸ごとリノベーションしたわけではなく、少しずつ。まず着手したのが7階です。 コンセプトにしても初めから旅館にしようと思っていたわけではなく、ただ自分のために和室を作りたかったのです。そうしたら噂が瞬く間に広がっていき、「茶会をできないか?」「陶器の展示会をしたい」と相談がくるように。特に茶会は、すぐさま人気を博すイベントになりました。でも7階の和室は茶会用に作ったわけではなかったから、茶道口(亭主用の出入り口)や炉(ろ)がない状態です。それで本格的な茶会を開くために、8階のペントハウスを今度は大改築することになったのです。 そうして、このような本格的な茶室の完成となりました。これも、宮障子なしでは成し得なかったでしょう。運命とも言える出会いで知り合った、ティーマスターの長野佳嗣さん(上田宗箇流)と北澤恵子さん(表千家流)に、一般向けに茶会を開いてもらっています。ここはニューヨークだから、うちはどの流派もウェルカムなのです。 普段はほかにも、アートパフォーマンス、着物の着付けクラス、古楽器の演奏会など、さまざまな文化交流イベントを開いています。 改築費用について知りたいって?ええっと…そうですね(記憶を辿る)、だいたい25万ドル(約2,500万円)以上はかかりましたかね。 異文化の啓蒙には苦労がつきもの 今後も私はスポンサーとして、日本文化の体験の場、継承の場を提供し続けていきたいです。 2016年には、日本人カップルの結婚式を本格的な神前スタイルで行ないました。世界のさまざまな宗教がこの街にはあるけど神社だけはないんです。そこで、福岡の宮地嶽(みやじだけ)神社の神主を招聘しました。ニューヨークの人々にとっても神道にとっても、よいイントロダクションになったんじゃないかな。 また、茶会イベントを始めてかれこれ15年が経ちますが、やっとここ数年で時代が追いついてきた感があります。今抹茶ブームで、どんなカフェでも抹茶ドリンクがあります。でもティースプーンや砂糖がセットで付いてきたりして、まるでカプチーノみたいに出されている。要はカフェで働いている人たちが、本物の抹茶の味も作り方も知らないからなんですが。 それで私はスポンサーとして京都の丸久小山園と提携し、茶道の講師を招聘し、正しい抹茶の点て方のトレーニングをカフェでしてもらったこともあります。 何でも初めのころは大変なんです。でも致し方ないことですね。寿司にしたって、今ではアメリカ人でも何人でも器用に握る時代になりましたが、初めのころは魚の切り身とライスをただ適当に掴んで出す、みたいなことがなされていました(!) 異文化が浸透していくプロセスは、たいてい苦労や努力がつきものです。 でも私たちの活動が少しでも抹茶ブームの火付け役となっているのだったら嬉しいです。また、素晴らしい日本の文化や芸術をもっと多くの人に体験してもらえるのであれば、それ以上の喜びはありません。 本稿は「Yahoo!ニュース個人」の記事 からの転載。無断転載禁止

【世界から】「⼿作り」と「助け合い」 NYで息づく⼈の温かさ

ニューヨーク・ブルックリン。マンハッタンのお隣に位置するこの地域ではここ10年ほどの 間、クリエーティブマインドの⾼まりとともに、作り⼿の顔や思い、⼿のぬくもりなどが⾒え たり感じとれたりするモノへの愛着が⾼まっている。 ハンドクラフトにこだわるクリエーターは、マンハッタンより広いスペースが借りやすいブ ルックリンで⽇々創作活動に励んでいる。⼿作りするモノは洋服やジュエリー、⾷べ物、スキ ンケア⽤品、家具と実にバラエティー豊か。そして、その活動は各種アルコール類にまで広が りを⾒せている。 ▽NY産の⽇本酒誕⽣ 全⽶ではクラフトビールが⼤流⾏している。2006年の調査によると、⽶国内にあるビールの ⼩規模醸造所は3千以上。ニューヨーク州には200以上あり、ブルックリンでも20以上の醸造所 が⼩規模ながらビール造りをしているとされる。そのブルックリンでは、クラフトビールはも ちろんのこと、ワインやウイスキー、ウオッカ、ジンなど各種アルコール類も少量⽣産され、 地元の⼈々に親しまれている。地産地消の精神で原材料はできるだけ地元でとれたものにこだ わり、それを誇りとばかりに「ブルックリン産」を声⾼にうたう。 そしてこの秋、ニューヨーク初となる⽇本酒の蔵元まで完成し、グランドオープンを迎えよ うとしている。その名も「Brooklyn Kura(ブルックリン・クラ)」。⽇本滞在中の13年に出 会ったブライアン・ポレン⽒とブランドン・ドーン⽒が⽇本酒のおいしさに⽬覚め、意気投 合。⽇本の蔵元で⽇本酒作りを学び、カリフォルニア⽶やブルックリンの⽔を使って純⽶吟醸 酒や⽣貯蔵酒、にごり酒などをここブルックリンで作り始めた。 味は意外にも驚くほど本格的だ。出来たてもおいしいが、寝かせることで熟成感が増しより 深みある味わいになりそうだ。すしやラーメンに続き、⽇本酒までもが⽶国⼈により作られる 時代になったのだと驚くばかり。 酒蔵を開いた動機を両⽒に聞いてみた。ポレン⽒が「⽇本のウイスキーは質の⾼さで世界中 に名をとどろかせた。しかし、10年前に誰がそんなことを予想できただろうか︖」と話すと、 ドーン⽒が「⽇本で本格的なウイスキーができたのだから、⽶国産の本格的な⽇本酒があってもおかしくない」と⾔葉を継いだ。⽇本では若者の⽇本酒離れが懸念されているが、トレンド の発信地ブルックリンで地酒がブームになれば、⽇本の市場にも好影響を与えることになるだ ろうとして期待が⾼まる。 ▽根付くシェア⽂化 Brooklyn Kuraは投資家の援助があるからこそできた⼤胆な試みだが、彼らのように潤沢な 資⾦を持っている⽣産者や職⼈ばかりではない。そこで、⾃社⼯場や制作スタジオを構えられ ない職⼈らの強い味⽅となっているのが、作業スペースをシェアするスタジオだ。 「シェア⼯ 房」と呼ばれるこれらのスタジオは広いスペースを⽐較的リーズナブルに借りられることに加 え、備えられた⼯具を⾃由に使って創作活動に打ち込め、⼤型設備などの初期投資も不要とあ り⾼く⽀持されている。製作の場をシェアしている職⼈同⼠が⾃然と交流することで、ジャン ルを超えたさまざまなコラボレーションも誕⽣しているという。 ルームシェアの⽂化や近年の コワーキングスペース(シェアオフィス)ブームからもわかるとおり、シェアすることに関し て⽇本よりオープンで寛容な⽶国。ブルックリンのクラフトシーンでもシェア⽂化がすっかり 定着しているのだ。 ▽開業時も助け合い 開業して2年になるブルックリンの⼩規模醸造所「Strong Rope(ストロング・ロー プ)」。コンペティションでいくどとなく受賞するなどビール作りの実⼒はお墨つきだ。オー ナーのジェイソン・サーラー⽒は⾃社ブルワリーをオープンした時を振り返って「近所に Threes Brewingという別のブルワリーがあるが、設備を運ぶときにフォークリフトを貸してく れた。ここには助け合いの⽂化がある」との秘話を教えてくれた。 モノを⼿作りしたり、ローカル産を選んで地元の経済を応援したり、必要なものを貸し合っ たりシェアしたり…。ニューヨークのみならず⼤都会はどこも⼈との関係が希薄になりがちだ が、ブルックリンではこんなほっこりした⼈間模様が繰り広げられている。(⽶ニューヨーク 在住ジャーナリスト、安部かすみ=共同通信特約) Kyodo…

ブルックリン名物「スモーガスバーグ大阪」開催! 【創業者インタビュー】

ニューヨークの週末の昼下がり、香ばしいグリルの香りに誘われて辿りつくのは── 「Smorgasburg(スモーガスバーグ)」。ニューヨーク・ブルックリンの公園や広場、空き地などを利用した屋外フードマーケットだ。地元ブルックリンはもとより全米、世界中からも人々が訪れる、アメリカ最大規模の食の青空屋台市場として2011年にスタート。以来「週末のお楽しみ」として人々に親しまれてきた。 そんな週末の定番イベント、スモーガスバーグがブルックリンでのスタートから6年、いよいよ今秋、大阪に上陸することが決まった。 「Smorgasburg(スモーガスバーグ)」とは? 時期によって参加する店(ベンダー)のラインナップは違うが、平均100店前後が参加し、食の競演が繰り広げられる。BBQ、ハンバーガー、ホットドッグ、ロブスターロールなどアメリカンフードから、フィリピンやタイ、中国など世界各地の軽食もそろう。中にはたこ焼き、お好み焼き、焼き鳥、おにぎり、味噌汁、ラーメンなどといった、日本の軽食を見かけることも。屋外で食べるとどんどん食が進んで、あれもこれも食べたくなる。 また、ベンダー側にとってこのイベントは、新メニューを試験的に出して客のリアクションを知ることができるポップアップ的なショーケースとしての意味合いも大きい。スモーガスバーグからスタートし、実店舗を持つまでになった店は数多い。 10月27日(金)~29日(日)大阪で開催。その理由は? 2017年10月27(金)・28(土)・29日(日)、大阪で開催されるにあたり、共同創業者のエリック・デンビー氏に、日本進出のきっかけやイベント開催に向けての抱負を聞いてみた。 ── 大阪でスタートさせるきっかけになったのは? 3年前に長年の友人ハリー・ローズンブラム(料理学校、Brooklyn Kitchenの共同オーナー)が、大阪で貿易関係やマーケティングの仕事をしているユウコ・スズキを紹介してくれたんだ。みんなでマンハッタンでラーメンをすすりながら、大阪とブルックリンのベンダーを交換できたらいいねという話になった。大阪とブルックリンは共通点が結構あるからね。例えば両都市とも、歴史的に食べ物がおいしい街だし、マンハッタンや東京とは違う「第2の都市」として異彩を放つ存在だし、両市ともアントレプレナーががんばっている街でもあるからね。 その後ユウコが阪急電鉄を紹介してくれて、今年の3月、阪急電鉄を訪問する機会に恵まれた。企画をプレゼンテーションしたところ、スモーガスバーグに興味を持ってくれて、ぜひ大阪でやりましょう!となったんだ。 ── スモーガスバーグ大阪に期待していることは? 大阪のすばらしい食文化のショーケースになり、スモーガスを披露するめでたい場になるだろう。才能あるシェフが作り上げた特別なフードにたくさん出合えるはずだ。そしてブルックリンの食ベンダーも参加するから、海を超えて彼らのスキルをどう日本のみんなに披露できるか、僕も楽しみにしている。たくさんのハッピーな笑顔が溢れるイベントになるのは間違いないよ。(SNSも)食べ物の絵文字で溢れるだろうね(笑)。 ── 次の展開としてほかの都市への出店の可能性は? 大阪のイベントがうまくいったら、もちろん今後も日本で継続していきたいと思っているよ。ただ2018年いっぱいは、大阪での開催にフォーカスしていきたいと思っている。 ── 日本での開催を楽しみにしている読者にメッセージを。 スモーガスバーグ初の国外開催を、大阪というすばらしい食文化と歴史を持つ街で開催でき、とてもうれしく思っている。今年3月に大阪を訪問した際、たくさん美味しいものを食べ、人々から心の温まるすばらしいおもてなしを受けた。ブルックリン同様、大阪でも人々に楽しんでもらえるイベントになればうれしい。 日本初のスモーガスバーグの開催は、2017年10月27日(金)~29日(日)の11:00~22:00、大阪市北区、阪急・中津の高架下にて。入場無料。 (写真・文:安部かすみ fromニューヨーク) ■開催情報 「スモーガスバーグ大阪」 開催日/2017年10月27日(金)~29日(日) 開催時間/11:00~22:00 会場名/阪急中津(梅田方) 高架下区画 Smorgasburg 世界の素敵な暮らしをお届け。『Global Lifestyle』 ■取材国・都市:アメリカ・ニューヨーク 安部かすみ(あべ・かすみ) 2002年に渡米し、在ニューヨークの新聞社でのシニアエディター職を経て、2014年からフリーの編集者、ライターに。ニューヨークから食やエンタメ、テック系などのトレンドを発信中。編集者歴は日米で20年。 HP Global Press Blog Twitter   TSUTAYA T-SITE(2017.10.13)「ブルックリン名物「スモーガスバーグ大阪」10月開催! 創業者インタビュー」より転載(無断転載禁止)ウェブサイトのコピー    

NYはコワーキングスペース激戦区。最旬は「Spacious」や日本初上陸「WeWork」【創業者インタビュー】

ニューヨーク発のコワーキングスペースWeWorkが2018年、いよいよ東京にも上陸することが先日発表された。コワーキングスペースをはじめとするシェアリングオフィスの需要が世界中で高まっている中、WeWorkのような人気企業が東京にもやってくることにより、日本でも職場に求められる環境が今後さらに変わるだろう。 今回は、ニューヨークでWeWork同様に、今もっとも注目されているユニークなコワーキングスペースを紹介する。 おしゃれなレストランを有効活用 ニューヨークで2016年7月にスタートしたスペーシャス(Spacious)。今もっとも勢いのあるニューカマーのコワーキングスペースとして注目されている。 当地にはWeWorkをはじめ、The FarmやThe Productive、Ensemble、Primaryと数え切れないほどのコワーキングスペースがあり、数は日々増え続けているが、Spaciousのユニークなところはオフィス施設そのもの。 彼らが利用しているスペースは、昼間の営業していないレストラン。ディナーのみオープンするレストランを利用して、コワーキングスペースとして開放している。ロケーションもメンバー数もこの1年で急増し、飛ぶ鳥落とす勢いで成長中だ。CEOでコファウンダーのプレストン・ペセック(Preston Pesek)氏に話を聞いた。 ── ニューヨークからスタートし、現在何箇所拠点がありますか。 マンハッタンやブルックリンなど、この1年で10ヵ所ロケーションが増えました。この夏から秋にかけてさらに5ヵ所ロケーションを増やし、さらにニューヨークだけではなくボストン、サンフランシスコにも進出することが決まっています。 今年中には、ニューヨークに20ヵ所、ボストンに6~10ヵ所、サンフランシスコに8~10ヵ所オープンする予定で計画を進めているところです。 ── 総メンバー数は? 現時点で750人です。毎月20~30%ほどメンバーが増えています。 ── 昼間のレストランをコワーキングスペースとして利用していますが、そのユニークなアイデアはどこから浮かんだのですか。 大学院で不動産関連(Real Estate Science)の修士号を取得し、起業前は建築業界や商業用の不動産業界で働いてきました。2004年ニューヨークに移り、この街には美しくてセンスのよいレストランが、昼間ただの空きスペースになっているのを目の当たりにして、もったいないと思いました。この価値あるアセット(資産)をどうにか有効利用できないかと思ったのが始まりです。 ── スペースを貸し出すレストラン側にメリットはあるのでしょうか。 我々からはレストラン側に、毎月利用料を支払っています。しかも、私たちがSNSなどを使ってそのロケーションをPRするので、レストラン側にとっては無料でマーケティングができ、広告を出しているようなものなのです。またコワーキングスペースの利用者が、ディナータイムにそのまま残ってハッピーアワーやアペタイザーを楽しんでいることも多いです。 ── レストランがランチタイムにオープンしない理由は何ですか。 これはすごく自然に発生した経済的な理由があります。特に我々が利用しているハイエンドなファインダイニングレストランは、高品質のメニューを提供しているので、昼と夜、2つのメニューを作ってそれぞれ提供するのがなかなか困難なのです。 もう一つは、ニューヨークおよび全米の他都市でのランチ市場が近年、ファインダイニングからファストカジュアルに移行しています。高級なファインダイニングディナーは接待などで相変わらず需要がありますが、ハイエンドランチは以前ほど主流になっていません。 月95ドル払うだけで、どのロケーションも利用できる ── 利用者としてスペースの使い方について教えてください。 当日の気分で好きなロケーションを選び、そこに行くだけです。事前のサインアップは必要ありません。毎日違うロケーションの利用もできます。お店に着いてチェックインすると、携帯のテキストメッセージでWifiのパスワードが届きます。席は決まっていないので、好きなところで仕事ができます。席の空き状況は、事前にアプリで確認できます。 通常のコワーキング同様、ドリンク(コーヒー、お茶、水)やスナック、会議室なども完備しています。会議室については、ほとんどのハイエンドレストランはプライベートダイニングルーム(個室)を持っていますから、そのスペースを利用しています。プレゼンテーション用に、プロジェクターやホワイトボードも完備していますよ。 ── WeWorkなどで人気の生ビールは提供していませんか。 ビールは今のところ提供していないのですが、お店によっては我々のためにバーを早めにオープンしてくれるところもあるので、そういうロケーションでは仕事を早めに切り上げ、アフターワークの1杯を同僚と楽しんでいる姿をよく見かけます。 ── ニューヨークといえばコワーキング激戦区ですが、スペーシャスを使う一番のメリットは? 毎日同じオフィスに通うとどうしても飽きてしまうものですが、スペーシャスは毎日違った場所で(しかもレストランで!)仕事ができるという、ユニークな体験を提供している点だと思います。ニューヨークのほかのコワーキングスペースでは月額400ドルも500ドルもする利用額が求めれますが、スペーシャスは月95ドルというリーズナブルな価格で利用できるというのも、大きなアドバンテージです。 ── 席が決まっていないですが、休憩中やお手洗いに行く際、貴重品などセキュリティーの問題はないですか。 そういう問題はないですね。各ロケーションの入り口にレセプショニストが常駐し、出入りする人を必ず確認しています。来客などの際もレセプショニストが案内するので、不審者がうろうろするようなことはないです。利用者はSlackを使ってコミュニケーションをとりあっています。また、私たちが主導して、起業家を交えて朝のミートアップの交流イベントや夕方のハッピアワーイベントなどを開催しています。このように、利用者同士が次第に顔見知りになっていくような仕掛けをたくさんしています。 ── レストランの開店時間までに仕事を終わらせる必要がありますね。 ディナーサービスが始まるころ、テキストメッセージを利用者に送っています。利用者には「退出する時間ですよ」ではなく、「バーで何かオーダーしませんか?」という意味合いのメッセージですので、好意的に受け止められています。 ── ニューヨークに出張や旅行で来たときも、スペーシャスは便利そうですね。 もちろん! ニューヨークに短期滞在で仕事をする場合でも、ホテル近くのロケーションで気軽に利用できる最適なオフィス環境だと思います。また、クライアントとミーティングがある際でもクライアントの近くのロケーションを会議場所として選ぶこともできるので便利ですよ。 (文:安部かすみ fromニューヨーク) ■店舗詳細 Spacious ■取材国:アメリカ 安部かすみ(あべ・かすみ) 2002年に渡米し、在ニューヨークの新聞社でのシニアエディター職を経て、2014年からフリーの編集者、ライターに。ニューヨークから食やエンタメ、テック系などのトレンドを発信中。編集者歴は日米で20年。 HP Global Press Blog Twitter TSUTAYA T-SITE(2017.8.16)「NYはコワーキングスペース激戦区。最旬は「Spacious」や日本初上陸「WeWork」」より転載(無断転載禁止)ウェブサイトのコピー

NY人気店「ベンジャミンステーキ」が六本木に6月30日オープン。味や雰囲気はどうなる?【現地レポート】

ニューヨークの人気ステーキハウス「ベンジャミンステーキ」が、2017年6月30日(金)に日本第1号店となる「ベンジャミンステーキハウス六本木」店をオープンする。 現地ライターも太鼓判。NYの人気ステーキハウス「ベンジャミンステーキ」とは ニューヨーク店の共同創業者は、ブルックリンの老舗ステーキハウス「ピータールーガー」でマネージャーとして10年の経験を積み、義理の兄弟および同店で20年間シェフをしていた同僚らと共に、2006年、自分たちの店「ベンジャミン」をマンハッタンにオープン。 現在はニューヨークエリアに、全3店舗展開している。 安定した味とボリューム、上質のサービスを誇り、オープン以来、連日のように周辺のビジネスマンや観光客らで満席になるなど大盛況。2014年には安倍首相もニューヨーク訪問の際、この店で食事をしている。 筆者もビジネス関連で個人的によく利用する店だが、どんなクライアントを連れて行っても食事を楽しんでもらえる、誰に紹介しても恥ずかしくない店の一つだ。 海外初進出。NYの味と雰囲気そのままに 海外初進出となるベンジャミン六本木店は、ニューヨーク本店そのままの味と雰囲気を楽しんでもらえるように、まったく同じメニューを提供する。 サーロインステーキ(9,000円)やリブアイステーキ(11,000円)、フィレミニョン(9,000円)なども見逃せないが、初回はまずいわゆるTボーンステーキと言われる「ポーターハウス」から試してみてはいかがだろう?(2人前16,000円、3人前24,000円、4人前32,000円)。 熱々の大皿でサーブされるポーターハウスは、骨を挟んでサーロインとテンダーロイン(フィレ)の2つの味が楽しめる。ボリュームがあるので、3人で行った場合でも2人前(ポーターハウス・フォー・トゥー)の注文で十分なはず。 ステーキハウスの楽しみ方は個々でさまざま。最初はおしゃれにマティーニグラスを傾けるもよし、シーフードやベーコンなどからスタートするもよし、いきなりステーキと赤ワインを注文するもよし、とにかくお堅いルールなどはいっさいない。 先述のように、特にマンハッタンのビジネス街にあるステーキハウスは接待や同僚との食事会、記念日などによく利用されているが、皆どの人もワイワイガヤガヤとカジュアルに楽しんでいる様子がうかがえる。 ステーキハウス=格式高い、と身構えず、ニューヨーカーのように気取らずに食事を楽しんでみよう。 予約受付は2017年6月5日(月)より。 ■店舗詳細 Benjamin Tokyo Benjamin New York (文:安部かすみ fromニューヨーク) ■取材国:アメリカ 安部かすみ(あべ・かすみ) 2002年に渡米し、在ニューヨークの新聞社でのシニアエディター職を経て、2014年からフリーの編集者、ライターに。ニューヨークから食やエンタメ、テック系などのトレンドを発信中。編集者歴は日米で20年。 HP Global Press Blog Twitter TSUTAYA T-SITE(2017.6.1)「NY人気店「ベンジャミンステーキ」が六本木に6月30日オープン。味や雰囲気はどうなる?【現地レポート】」より転載(無断転載禁止) ウェブサイトのコピー