日系人アーティスト犬飼恭平 個展。3月17日より

日系人アーティスト、犬飼恭平(Kyohei Inukai、1913-1985)の展覧会がジャパンソサエティーで開催されます。 生前、ほぼ無名だったシカゴ生まれの犬飼。石のように、または炎のように見える抽象的な絵画とスクリーンプリントが3つのエリアに分かれ、展示される。奥の墨絵コーナーはキュレーターにより、まるで日本庭園のように作品が配置され力強くも神秘的。すべて1960年代から80年代にかけての作品。 3月17日〜6月25日 Text and photo by Kasumi Abe (「ニューヨーク直行便」(c) 安部かすみより一部転載)無断転載禁止

チェロ&尺八で日本の名曲。ホロコーストから救った日本副領事の功績称え

Photo: © Daphne Youree 14日、ニューヨークのジャパン・ソサエティーで、ある日本人の功績を称えるコンサートが開催された。 その日本人とは、1939年に在リトアニア日本副領事だった杉原千畝(ちうね、1900-1986)氏のことだ。第二次世界大戦中、彼が多くのユダヤ人をホロコーストから救った話はご存知だろうか? 杉原氏はホロコーストの渦中、ナチス・ドイツによって迫害されたユダヤ人にビザを発行し、約6000人の命を救った。 あれから80年以上が経ち2020年、同氏の功績を称えるコンサート「A Concert for Sugihara」がチェリストのクリスティーナ・レイコ・クーパー氏により企画されていた。彼女の夫の父は第二次大戦中、杉原氏が発行したビザで救出された1人だ。しかしコロナ禍でコンサートは延期になり、ようやく今年4月19日にカーネギーホールで「A Concert for Sugihara」が実現する。 A CONCERT FOR SUGIHARA Wednesday, April 19, 2023, 7PM  それに先駆けたこの日、クーパー氏が尺八奏者のザック・ジンガー氏を迎えたミニライブ「An Intimate Prelude to A Concert for Sugihara」では、バッハの『Cello Suite No. 1 in G Major, Prélude』や日本の名曲『荒城の月』などを披露した。 ステージに立ったジンガー氏は「ここにいる皆さんは尺八とは一体何だろうと思うかもしれません。しかし侍映画の風が吹くシーンで聞き覚えがあることでしょう」と紹介し、クーパー氏と共にチェロと尺八という和洋折衷の見事なアンサンブルを披露した。 ステージには、杉原氏に父を救われた国立イディッシュ劇場の芸術監督、ザルメン・ムロテック氏も登場し、同氏に敬意を表した。 杉原氏がビザを発行し出国できた難民は、シベリア鉄道でウラジオストクに到着し、日本や中国へと向かった。その後カナダやアメリカに辿り着き新たな人生をスタートさせた人も多い。杉原氏が救った難民の子孫は、こんにち約4万人と推定されている。 会場に集まったのは地元の人々で多くはユダヤ系の人々だ。何人かと話をしたが、いずれも杉原氏の功績についてはこれまで知らなかったと言い「素晴らしい話だ」「音色に感動した」と話した。 AN INTIMATE PRELUDE TO A CONCERT FOR SUGIHARA ジャパン・ソサエティー&ホロコースト記念館「アメリカン・ソサエティー・フォー・ヤド・ヴァシェム」共催 ### Text and some…

歌川広重『六十余州名所図会』 篠原有司男&乃り子夫妻の姿も@NY浪人ギャラリー

ミッドタウンの高層ビル内に、まるで隠れ家のように佇むRonin Gallery(浪人ギャラリー)。このギャラリーは木版画にフォーカスし、現在は約140年前の江戸時代、歌川広重が日本全国の名所を描いた浮世絵木版画『六十余州名所図会』を展示中。 ここのオーナーは日本人かと思いきや、David Libertsonさんという方。半世紀前にオープンしたこのギャラリーを家族で運営し、日本をはじめ世界中の版画をコレクト、展示しています。 浮世絵はアメリカで葛飾北斎、歌川広重、そして月岡芳年がマニアの間で有名ですが、この日のオープニングで知り合ったゲストの中にも、月岡芳年の作品を2つも所有しているという金融系の方などがいました。 そして懐かしいお顔も。前衛芸術家の篠原有司男(ギュウチャン)&乃り子夫妻です。 お二人はドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』(ザッカリー・ハインザーリング監督)でも有名です。 5〜10年前、ダウンタウン(だったかな)すごく広いギャラリーで開かれた夫妻の個展を開催し、そこでお会いしたのが初めてだったかな。その後も別のギャラリーで息子さんも入れて再会したり、ダンボを歩いているのを見かけたり(ギュウチャンの移動が早すぎて声をかけられず…)。でもここ数年、少なくともパンデミック中は見かけなかったので、5〜10年ぶりの再会でしたが、相変わらずお元気で驚きました!(ニューヨークで創作活動をされている人ってなんでこんなにもお若いのでしょう?!) ニューヨークに移ってもう50年になるとのこと。半世紀!年齢はもういいよ〜と初めはおっしゃらなかったけど「91!」とギュウチャン。私が5〜10年前にお会いした時は80代だったから、そのくらいのお年頃になりますよね。でも全然お変わりなく、この日初めて夫妻に会った私の友人も驚いていました。友人が「若さの秘訣はなんですか?」とギュウチャンに尋ねると、アーティストとして裕福にならず現在地にあぐらをかかないことという趣旨のお答えでした。「ハングリー精神ということですか?」と尋ねると「そう」とのこと。いつまでもお元気でいて欲しいです。また会いましょうと言って、別れました。 Ronin Gallery Hiroshige: 60-odd Provinces Opening Reception Text and photos by Kasumi Abe 無断転載禁止

【レビュー】超高齢化の日本に訴えかける。58年の映画『楢山節考』NYで

Photo: © 1958 Shochiku ニューヨークで日本の文化を紹介する「ジャパンソサエティ」では月例で、日本の名作が上映されています。今月の映画は、木下恵介監督の『楢山節考(ならやまぶしこう)』(1958年、原作:深沢七郎)。 同作は、食料不足が続く貧しい村で70歳に達した老人を楢山に遺棄する恐ろしい因習を題材としたもの。慣わしに従い年老いた母を背板に乗せ真冬の楢山へ捨てに行きます。 母はこの年で健康な歯を恥じ岩に打ち付け自傷。山に行きたくないと拒否する村人がいる中、母は自ら進んで「楢山まいり」の日を早めたいと言います。無言で母を背負い山に登っていく、心優しい一人息子。神様がいると言われる山の頂上で見た実際の光景は・・・。 両親が高齢となった人、また自身も数十年後にそのような年代になる人には切ないシーンでした。そして若い世代にとっても他人ごとではありません。人は必ず老い死ぬのですから。 現代日本では人口減少と超高齢社会が深刻化する中、これといった解決策は見出されておらず、対応策について意見が分かれています。しかしいかなる場合であってもネット上で推奨、炎上した集団自決のような結末はあってはなりません。また社会が高齢者をそのような思想に追い込んだり、生きていて恥に思うような風潮は決して許されません。 58年の映画でしたが、現代の日本人にも大いに関わってくる題材でした。 上映室は日本人よりローカルの人が多かったです。所々感嘆の声が上がっていました。アメリカはどのようにこの映画を受け止めたでしょうか。 Text by Kasumi Abe (「ニューヨーク直行便」(c) 安部かすみより一部転載)無断転載禁止

【独占インタビュー】「バカ殿やSMAPが大好きだった」日本育ちの米芸人、アツコ・オカツカ

昨年12月に配信開始したHBO MAXオリジナル『Atsuko Okatsuka: The Intruder(ザ・イントゥルーダー)』で、全米を笑いの渦に巻き込んだアメリカのお笑い芸人、アツコ・オカツカ(岡塚敦子)さん。 ビヨンセの曲と共に艶めかしく腰を下ろすドロップチャレンジ(Drop Challenge)も、ソーシャルメディアで話題になって久しい。 日本で育ち10歳で渡米したというオカツカさん。幼少期の話やコメディアンになった経緯、日米のお笑いの違いについて聞いた。 ■ 千葉で育った幼少期 ── 幼少期の話からまずお聞かせください。 日本人の父親と台湾人の母親の下、私は台北市で生まれ、生後3ヵ月で父の住む千葉県に家族で引っ越しました。両親はその後離婚し、化石燃料技術者として働いていた父は定年退職後、バリ島(インドネシア)に住んでいます。そんな父が今年の春に日本に一時帰国するというので、私も数年ぶりに日本に行き父と再会する予定で、今からとても楽しみです。 父は私がコメディアンとしてアメリカで活躍していることに大変驚いていますが、同時にとても喜んでくれています。私のスタンダップコメディは英語ですが、日本をはじめ世界中から反響があるので私自身も驚いています。 ── 10歳で渡米したそうですね。何がきっかけだったのですか? 統合失調症の母が体調を崩したことがきっかけです。憶測ですが、おそらく文化や言葉の違いで日本に適応できなかったんだと思います。祖母がより良い環境を求めて母と私をアメリカに連れて来たんです。でも当時、私は引っ越すなんて思いもしませんでした。だって「2ヵ月バケーションに行くわよ」と言う祖母について行っただけですから。 アメリカ生活は突然始まりました。英語も話せないしカルチャーショックは大きいしで周囲に馴染めず、日本の父親とも会うことができず悲しい思いをしました。母親の症状は相変わらずで、私は子どもながらに母の面倒もみていました。 でも今考えると、このような辛い体験をしたからこそ、私はコメディアンになったんだと思います。自分が大変だった分、人には笑いと活力をもたらそうとしたんです。 これはステレオタイプな見方ですが、スタンダップコメディアンは幸せな人生からは輩出されないと言われています。「辛い体験があったからこそ人を笑わせ楽しい経験をもたらすことができる」、そういう風に言われているんです。 嬉しいのは、お客さんからいろんなリアクションがあることです。「パンデミック中に落ち込んでいたけどあなたのコメディで救われた」とか「大笑いしてハッピーな気分になれた」などのコメントが来ます。それを聞くたびに、私は今このように人を笑わせることができるようになったのだと嬉しく思います。 ── あなたの話を聞いてアメリカのラッパーたちを思い出しました。ラップも貧困という困難な環境から生まれた才能ですよね。満ち足りた生活からあのような芸術は生まれてこなかっただろうから。 なるほどね、確かに。素晴らしい芸術は自分が心から表現したい気持ち、そしてほかの人にも伝えたい、与えたいっていうそのような気持ちから湧き出るものですよね。そしてそのような芸術を鑑賞し、良い芸術か否かの判断を下すのはいつもお金がある層ですね、皮肉なことに。 ── 千葉に住んでいた頃の話もお聞きしたいです。日本というと、まずどのようなシーンを思い出しますか? 盆踊りが大好きでした。あとは公園とか最寄りの南行徳駅、富美浜小学校など。記憶違いかもしれませんが高島屋だったかな、デパートの屋上が遊び場になっていて鯉がいる池で餌をあげたり。子どもの頃の写真は動物に餌をあげているシーンばかりで、友人との写真はほとんどありません。私は同じ世代とつるまない風変わりな子どもだったので、やはりコメディアンの素質は当時から十分にありました(笑)。 あと思い出すのは食べ物です。働き者の父は仕事の帰りがいつも遅かったけど、家に遊びに行くと夕食を作ってくれて、私の好物は温めたらできるカレーでした。熱いからぐちゃぐちゃかき混ぜてフ~フ~冷ましながら食べたりね。今でもコメディの仕事から夜遅く帰るとカレーが食べたくなるんですよ。私はもうアメリカ人だからチーズを載せますけどね(笑)。 『クレヨンしんちゃん』や『ちびまる子ちゃん』もよく観ていました。SMAPや日本のお笑いも好きでした。お笑いタレントで好きだったのは志村けんさんです。子どもにはやや大人っぽい内容でしたが「バカ殿様」や「変なおじさん」は大好きでした。渡米後もYouTubeで「天才!志村どうぶつ園」をチェックしたりもしました。 日米のお笑いは少し違います。日本のお笑い芸人は芸能事務所に所属し、長い間第一線でい続けますよね。そしてネタはフィジカルユーモア(体や動き、見た目)で表現するものが多いですね。一方アメリカのお笑いは言葉そのものによるジョークが多いです。それでも私は子どもの頃に見た日本のお笑いが好きだから、自分のスタンダップコメディでは時々フィジカルユーモアを使うんです。 ■ 米国でお笑いの世界へ ── コメディアンとして始動したのは2008年だそうですね。小さい頃からの夢だったのですか? 子どもの頃はコメディアンという職業があることすら知らなかったです。 お笑いに興味を持ったきっかけは、15歳の時に観た、同じアジア系女性スタンダップコメディアンのマーガレット・チョー(Margaret Cho)のステージでした。DVDで観て、なんて面白いんだろうって感動しました。彼女は音楽や演出など一切なしで、1時間ぶっ通しで喋り通し、観客を引き込むんですよ。 私のデビューは二十歳の頃で、ロサンゼルスのコメディクラブ「コメディユニオン」の舞台でした。いざ自分がお笑いの世界に入り、プロとしてやるとなると大変でした。日本では養成所に入ったり芸能事務所に入ったりすることからスタートすると思いますが、アメリカではまずスタンダップコメディのクラスを受講します。そしてオープンマイク(飛び入りで参加するステージ)を経験し、コメディクラブのオーディションを受け、オーナーに認められると出演の機会が増えます。自分で劇場を予約したりチケットを売ったりして、自分で自分のショーを始めるんです。時にはほかのコメディアンにコラボを依頼し、多くの人の目に触れる機会を作ったりもします。 途中で学校に行ったり休憩をしたりもしたので、お笑いのキャリアは通算13年くらいになります。最初は自分のお笑いに自信がなかったから「本当はそれほど面白いと思われてないんじゃないか」と疑心暗鬼になったり「きっとテレビのお笑いのアジア系枠は1人分しかないだろう」などネガティブな気持ちになることもありました。この世界では、ほかのどの芸人とも被らない自分だけのオリジナルの芸風が見つかるまで10年かかると言われています。私も自分のスタイルを確立し、自分流でこれで行けると自信が持てるようになるまで、9年ほどかかりました。 ── 普段、笑いのネタはどこからくるのですか? スタンダップコメディ界では「ネタは怒りから」とよく言われます。私も普段の生活でモヤっとしたことをコメディに落とし込むことは多いです。また夫との会話や日常生活で「これ面白い!」と思ったことも取り入れます。 私は人の心理や人間性に興味があるので、哲学や葛藤の中で人がどのように振る舞うかなどを考えることは、笑いのテーマや構成を考えるのにとても役立っています。 ── ブレイクを実感したのはいつ、どんな時でしたか? 所々であるのですが、まず変わった体験で言うと、2019年にロサンゼルスで行ったステージです。ショーの途中でマグニチュード7.1の地震が起こったんです。予期せぬ出来事でしたが、そんな中でも私はお客さんを気にかけながら笑いを取ることを忘れませんでした。それが話題となり動画が多くの人の目に止まり、知ってもらえるきっかけになりました。 2020年には『Let’s Go Atsuko!』(動画プロジェクト)の放映権が売れ、テレビ出演の機会も増えました。ステージの場数を踏むと、自分が落ち着いてリラックスできるようになります。自分がゆったり構えると、観ているお客さんもリラックスして心地よく観てくれるんだとわかってきました。ステージで100%自信を持てるようになるまで長い時間がかかったけど、途中で諦めず自分の好きなことを続けてきて、今に至ります。 パンデミック中も多くの人に知ってもらうことができました。暗い日々に人々が渇望したのはお笑いでした。そして私は随分とソーシャルメディアに助けられています。SNSのツールによって私のお笑いは全米のみならず世界中に無制限に広がっていきました。 ── 最後に今後の抱負をお聞かせください。 今年も引き続き、皆さんを笑いの渦に引き込んでいきたいです。3月まで全米ツアー中ですが、同時に新たなコメディ番組の制作に入っているところです。 その合間に訪れる日本も本当に楽しみです。滞在中は父と再会したり、夫に私が育った街を見せて回ったりする予定です。なんせ2016年以来の日本です。恋しい気持ちが募っていますから、きっと感傷に浸る旅になるでしょう。 日本の方にももっと私のことを知ってもらえるきっかけがあれば嬉しいです。まだ多くのファンがいるわけではないので、私のジョークに触れる機会が増えればいいですね。希望としては秋ごろにまた日本に戻り、大きなステージができたらと考えているんです。あるプロデューサーの方が、私がお笑い養成所で日本のお笑いを学んでステージに立つドキュメンタリーを作りたいって言ってくださっています。今後どう動いていくでしょうか。楽しみにしていてください!…

正義訴え不法投獄、人権活動家フレッド・コレマツの人生を辿る ── 日系人強制収容から81年

1941å¹´12月7日(現地時間)、日本海軍は真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まった。 アメリカでは日系人も「敵」と見なされ、2ヵ月後の42å¹´2月19日、フランクリン・D・ルーズベルト大統領(当時)により「大統領令9066号(Executive Order 9066)」が発令された。 これにより、主に西海岸に住んでいた12万人の日系人(うち3分の2はアメリカ生まれのアメリカ市民)が突然、自宅や事業、財産を没収されて収容所送りとなった。日本にルーツがあるという、ただそれだけの理由で。 Photo: カリフォルニア州マンザナー強制収容所(1942〜45年)の跡地。 日系人12万人が突然自由を奪わる(42年) これに対し「そんなのおかしい」「絶対に収容所なんて入らない」と異を立てた人物がいた。日系2世のフレッド・コレマツ(是松豊三郎、Fred Toyosaburo Korematsu)氏だ。 彼は日本から移民し苗木生産業を営んでいた両親の下、1919å¹´1月30日にカリフォルニア州で生まれ、アメリカ社会で育った。大統領令9066号が発令した際、23歳だった彼は、何も悪いことをしていない人を収容所に入れるなんて間違っていると、政府からの命令を断固拒否した。 5月に逮捕されるまで、彼は日本人に見えないようにするために目の整形手術を受け、スペイン人とハワイ人の子孫のクライド・サラ(Clyde Sarah)と名乗り、身を隠した。 「強制収容の不当性と違法性を主張し『絶対に入らない』と言い続け国を提訴しましたが、有罪判決が下されました。しかし最後まで諦めず、信念と正義のために闘った、公民権運動の先駆者です」 ニュージャージー州在住の日系3世、古本武司さんはコレマツ氏についてそう説明する。古本さん自身、カリフォルニア州のトゥリーレイク強制収容所で生まれ、現在は不動産事業をする傍ら、コレマツ氏の生き様や平和の尊さを伝える活動をしている。 刑務所と収容所に2年以上も収監されたコレマツ氏は、そこでも孤立した存在だったようだ。アメリカへの忠誠を誓い、和を重んじる人々からトラブルメーカーとして見られていた。それでも彼は「間違いは間違い」と、最後まで信念を曲げなかった。 「強制収容は人種差別ではなく軍事上必要」と最高裁(44年) 不当逮捕、投獄されたコレマツ氏に弁護士の支援者も現れ、42年の有罪判決後に最高裁まで上告した。しかし44å¹´12月、強制収容は人種差別ではなく軍事上必要だったと正当化され、彼にとって不利な判決が最高裁でも下され、前科者としてのレッテルが彼の人生について回ることとなった。(コレマツ対アメリカ合衆国事件 Korematsu v. United States) 「強制収容は憲法違反」と有罪判決の覆し(83年) しかし37年後の82å¹´1月、法史学者や活動家により「日系人による諜報(スパイ)活動は事実無根」「強制収容は憲法違反」が証明されると、コレマツ氏は再び国との対決を決意。そして翌年11月、サンフランシスコの連邦地裁でついに有罪判決が覆され、犯罪歴が抹消されることが確定した。これを受け、コレマツ氏は「人種・宗教・肌の色に関係なく、あのような扱いをアメリカ市民が二度と受けないようにしてほしい」と訴えた。 米政府、日系人へ謝罪と補償へ(88年) 生涯を活動家として捧げたコレマツ氏は、日系人が国からの謝罪と補償金を受けられるようロビー活動も支援した。それが実り、88年にはレーガン大統領(当時)が人権擁護法(Civil Liberties Act of 1988)に署名。大統領からの謝罪の手紙と補償金2万ドルが、日系人の生存者および遺族全員に贈られた。 98年には大統領自由勲章(民間人への最高位の栄誉)がクリントン大統領(当時)により授与されている。晩年は9.11後に深刻化したアラブ系米国人への差別反対を訴えた。 2005å¹´3月、86歳で生涯を閉じた。死後、彼の生涯を讃え、生誕日(1月30日)を「フレッド・コレマツ・デー(Fred Korematsu Day of Civil Liberties & Constitution、市民の自由と憲法のフレッド・コレマツの日)」と定め、人権や差別問題、正義への理解を深める動きが進んでいる。アメリカでアジア系米国人にちなんで名付けられた初の記念日でもある。 10年にカリフォルニア州で法案が通過したことから始まり、ハワイ州、バージニア州、フロリダ州、ニューヨーク市、アリゾナ州でも制定され、ユタなど他6州では布告も進んでいる。 「正しいと思う方に立ち上がり、問題提訴を恐れてはなりません」─ フレッド・コレマツ 没後、「フレッド・コレマツの日」が制定 前述の古本さんも自身が住むニュージャージーでの制定に向け、州政府に働きかけてきたが、昨年暮れに動きがあった。 古本さんら活動家の働きかけが実り、4年前にフォートリー市(ニュージャージー州)で制定されていたのに続き、昨年12月に同州でも法案が可決され、今年1月30日にフレッド・コレマツの日が制定された。 「アメリカの政治システムが正しく機能していることが証明されました。未来の行方は、我々一人一人の意思次第です」と、この日を迎えた古本さんは胸を撫で下ろした。「法案通過まで2年半もかかりました。小石を一つずつ動かすような活動でしたが、小石が集まると山になります。価値のあるものは達成まで時間がかかりますが、諦めなければ最後に勝利を収めることができます」。 同州での記念式典には、コレマツ氏の長女カレンさんもサンフランシスコから出席した。 戦後、コレマツ氏は結婚し2人の子を儲けたが、収容所時代や訴訟の話をすることはなく、カレンさんは高校の授業で友人を介して詳細を学ぶまで父親がどのような人生を歩んできたかを知らずに育った。 帰宅し問うと、父は静かにこのように言った。「自分は正しいことをした。政府は間違っていた」。 「父は国に忠誠を誓ったアメリカ人なのに、日本名を持っているだけで国から不当な扱いを受けました。この国にはいまだに人種や民族の差別があるが、これらはすべて無知が原因です。『正しいと思う方に立ち上がり、何かおかしいと感じるなら問題提訴を恐れてはならない』という父の信念を胸に、この国がより良い場所になるようこれからも教育活動を続けていきます」 カレンさんはこのように決意を新たにし、最後にこう付け加えた。 「父の人生を通して教えてくれたのは、たった1人でも変化を起こし不正を正すことができるということでした。40年かかったとしても、最後まで諦めなければ」 参照 関連記事 Text…

「魅力劣る人はより頻繁にマスク着用」研究で判明と米紙

6日、航空業界が機内でマスク着用を求めない方針を決めるなど、日本ではここに来てマスク着用ルールの自由化が進んでいる。 また学校の卒業式でも、マスクなしでの実施が容認されそうだ。 マスク着用は今後、個人の判断や意思に委ねられるケースが増えていき、「着け続けるか外すか」の議論が活発化している。 Photo: 今年1月9日、東京・渋谷を行き交う人々。 パンデミック中にマスク着用義務があったアメリカでは、昨年4月に空港や国内線の機内での着用義務が撤廃され、全米でマスク離れが一気に進んだ。 その後も州ごとにルールが分かれ、ニューヨークでは公共交通機関や駅で残っていたマスク着用義務も9月に撤廃され、着用するか否かは個人の選択となった。 その後、街の人はどうなったのかというと、徐々にマスク離れが進んでいき、現在はほとんどの人がマスクを着けていない。 ただしコロナ禍以前のような風景が完全に戻っているかというとそうでもなく、街を歩いていても電車の中でもイベントでも、一部の人はマスクを着けている。インフルエンザの時期というのもあるかもしれない。 しれない。 そんな中、7日付のFOXニュースやニューヨークポストは、興味深い研究結果をもとに「’魅力的でない’人はより頻繁にマスクを着用していることが判明」とする記事を発表した。 平均年齢が33、34歳の女性が半数以上の対象者を調査したこの研究結果は、心理学専門誌「フロンティアズ・イン・サイコロジー(Frontiers in Psychology)」に掲載されたものだ。「マスク着用は、新型コロナの感染予防から自己アピール戦略として(フェーズが)移行していることを示唆」とあり、FOXニュースが韓国のソウル大学校の心理学の教授や米ノースキャロライナ中央大学(NCCU)の心理学の客員教授に聞いた話をまとめている。 「ポストコロナの世界では多くの人々が脱マスクを喜んでいる中、一部の人はマスクを着用し続ける」状況を鑑み、「自己認識の魅力アップ(魅力的により見えること)がマスク着用の動機だとしても、着用し続ける理由の1つに過ぎないのだから、マスクをしている=醜いとするのは不適切」と断りを入れながらも、着用し続ける人にはあくまでも以下の傾向があるとした。 好印象を与えたい強い動機がある場というのは、例えば就職面接などだ。 ほかにも、パンデミック中のマスク着用の義務化については、専門家の意見も交えこのように分析した。 雇用機会均等法が厳しいアメリカでは、履歴書に写真を貼ることは禁じられているが、そのような国においても、現実的には、面接で外見が結果を左右する一つの要因になりうるということは、まことしやかに言われている。 例えば、最終面接に学歴も条件も遜色がない2人が残った場合、最終的に1人に絞る決め手は、「見た目の美しい方になるだろう」とされている(もちろん反対意見や例外もある)。 そのような見た目も重要な要素となる就職面接の場を仮の設定とし、マスクを着用するか否かの調査も行われ、このような結果を示した。 マスクを着けることによる自己認識の魅力は、好印象を与えたい強い動機がある場(仕事の面接や初デートなど)で効果を発揮するようだ。よって日常的な活動の場(例えば犬の散歩など)においては、影響はないという。 調査をもとにしたこの報道は、「ポストコロナの時代は、マスク着用が自己顕示と自己保護という2つの機能を果たすことができることを示している」と結論づけた。 また、調査は支持政党によるマスク着用の是非についての視点で行われたものではないこと、そして「時が経てば、マスク着用による意図しないメリットと結果がより多く明らかになるだろう」とつけ加えられた。 関連記事 Text and some photos by Kasumi Abe(Yahoo!ニュース 個人「ニューヨーク直行便」(c) 安部かすみより一部転載)無断転載禁止

オフレコの差別発言で首相秘書官が更迭 「もし米国だったら?」記者の立場で考察

性的少数者(LGBTQ)や同性婚に対しての差別的な発言をし、更迭された荒井勝喜首相秘書官。オフレコを前提にした取材の場だったとは言え、岸田政権を支える人物による差別発言は到底許されるものではない。筆者もこの発言をスクープした毎日新聞の記事を読んでショックを受けた。 一方で、「オフレコでの発言」が大きく報じられてしまったことに引っかかったというのも事実だ。毎日新聞の別の記事によると、その場には報道各社の記者約10人が参加していたようだ。その中で同紙がオフレコのルールから外れ、スクープしたことになる。 筆者はアメリカで記者をしているので、これがアメリカなら…と考えてみた。アメリカでは通常、オフレコ発言は一般公開されず、オフマイク発言はそれほど重視されない。 発言がオフレコであったことが影響してか、米主要メディアでの報道は今の所それほど多くなく、岸田首相が更迭したというニュースや日本での同性婚の実情についてウォール・ストリートジャーナルやAP、ヤフーニュースなど一部のメディアが報じるに留まっている。 通常であればResign(辞任)という言葉が並ぶのであろうが、本件のヘッドラインにはFire(クビ、解雇)という強い言葉が並んでいる。そのようなところからも、岸田政権による「日本政府はいかなる差別発言も容認できない」という強いメッセージを感じた。 過去記事 オフレコではないが、「オフマイク」発言がアメリカで重視されなかった例 もしホワイトハウスにおいて、オフレコの発言が記事化されるなどメディアとしてのルールが守られなかったり、愚問が出たり、度が過ぎる攻撃的な態度を見せたりするメディアや記者は、プレスパスが無効になったり更新ができなくなる。いわゆる出禁だ。ホワイトハウスでなく一般の取材なら、情報源から今後お呼びがかからなくなるだろう。 ホワイトハウスのブリーフィング(定例記者会見)の場というのは、当然だが一般の人は入れない。記者の中でも、ホワイトハウス特派員という主要メディアの選ばれし精鋭だけが、報道官の担当者から「許可」を受け、中に入れてもらっている。記者席はたったの49席しかない。そこにどのくらいの記者が出席希望を出しているかは情勢によって日毎変わるが、トランプ前政権下の2017年にエスクァイア誌が報じた記事によると、数千の応募があった。49席に対してこれだけの参加希望があるのだから、ホワイトハウス側からすると、一部の記者を出禁にしても広報的に何ら問題はないと考えるのが普通だろう。 ◉ホワイトハウスがメディアや記者を出禁にした事例 以上はニュースになった一部であり、質問を独占したり、愚問や攻撃とも取れる質問をした記者は、こっそりプレスパスのリストから排除されている。 過去記事 筆者は日本とアメリカ両国で記者をして20年以上になるが、どちらの国でも「オフレコで」と言われることはたまにある。 オフレコにはいくつかの種類がある。 など。これらに加え、写真や動画撮影もオフレコ、オンレコとあり、事前に取り決めた上で取材をする(何も言われない場合はオンレコ)。 例えばつい数日前にニューヨーク市内で行った不動産の取材では、事前にインタビュイーのコメントはオフレコを通達された(上記(1)の事例)。「記事で引用するコメントはすべてメールで答えるので当日のコメントは引用しないで」と言われ、了承した上で取材をした。正直オフレコを求められるのは面倒なことではあるのだが、面会が実現できるのは相手あってのことだし、実際に会い(現場に行き)写真を撮影したり同じ場の空気を吸うだけでも十分価値があると判断したものであれば、先方の希望には敬意を払って承諾し、オフレコの約束は守る。録音もしない。 上記(4)の場合は、インタビュー中に「今から申し上げることはオフレコなんですが」とか「今言ったことは書かないでください」と言われるケースだ。この場合も筆者は記事に書かない。録音データもすぐに削除する。 筆者がオフレコを記事にしないのは、信用問題に関わるからだ。インタビュアーとインタビュイーとの間には、明文化されていなくても暗黙の信頼関係があって取材が成り立っているが、相手の意向に反して発言を引用したり、写真や動画をこっそり撮影(盗撮)したり、断りもなく録音したりしていると、相手との信頼関係は崩れていく。信頼関係が崩れると、相手は2度と取材に応じてくれないだろう。筆者はフリーランスの記者なので、もし出禁リストにでも入ろうものなら死活問題だ。 でもフリーランスではなく新聞社や出版社の社員なら、メリット・デメリットを天秤にかけ、会社的にそれほど問題ではないかもしれない。 オフレコの本当の意味とは?(米紙) オフレコについて、「‘オフレコ’の本当の意味とは?」という、ニューヨークタイムズの2018年の記事も興味深い。 この記事が取り上げたのは、首相秘書官と毎日新聞の記者の関係とは逆の事例だ。 トランプ氏が大統領だった同年、ニューヨタイムズの発行人、A.G. スルツバーガー氏との会談において、ホワイトハウスの事前要請により両者の会話を公にしないこと(非公開=オフレコ)に両者が同意していた。にも拘らずトランプ氏はこの件について陽気に(悪気なく)ツイートしたという。また16年、テッド・クルーズ議員が数名の記者と同氏の会社が経営するホテルの飲食店でオフレコの会合を行った際も、事前の合意に基づきそれを報じた記者はいなかったが、翌朝の記者会見でクルーズ氏はカメラの前でこの件を明かしたという。オフレコ情報がクルーズ氏により明るみに出た今、「声を大に発表するのは気持ちいい」と記者は述べている。 これらの事例を基に「特定の会話の条件をめぐる論争は、多くのジャーナリストにとって常に懸念事項」と同紙は述べている。政治記者であるこの記者も「あらゆる政治家から、失言について事後に(オフレコを)嘆願されたことがある」とした。その都度「本名で報じるか、名前なしで報じるか、役職だけでぼかして報じるか?」と自問するそうだ。 また同記事は、オンレコとオフレコの取材について、簡単にまとめている。 公開(オンレコ)の取材 非公開(オフレコ)の取材 最後に、オフレコの発言をなぜ毎日新聞の記者は発信したのか。 まず、新聞社はスクープを常に探している。首相秘書官の差別発言は口が滑ったのか、はたまたオフレコだから絶対に記事にならないと過信し本音を明かしたのかは知る由もないが、このような要職の人物の差別発言を、一記者として新聞メディアとして野放しにすることはできないと判断したのだろう。オフレコという取り決めだったが、事前に本人に通達した上で掲載したとある。 筆者はこのスクープ記事を見たときに、日本の多くの記事ではまだ珍しく記者の名前が書かれていることに気づいた。一般的にアメリカの新聞社や雑誌社は文責を明らかにするため、記事は記名制だ。一方日本の新聞社や雑誌社が発信する記事は、文責が明らかにされておらず、一体誰が発信している記事なのかがわからないものが多い(よって、書きたい放題の記事も近年ネット上には散見される)。そんな中このスクープ記事には、記者の名前がきちんと入っていた。その場で問題発言を耳にした記者にとって、文責を明らかにした上で、聞くに耐えがたく社会的に到底容認できない問題発言を、正々堂々と報じたということだろう。 Text by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人「ニューヨーク直行便」(c) 安部かすみより一部転載)無断転載禁止

妖艶に腰落とすポーズが全米で話題 お笑い芸人アツコ・オカツカさんって誰?

大谷翔平選手、大坂なおみ選手、BTSなどアメリカでアジア系の人々が話題になる中、エンタメ界ではある女性が大注目されている。 スタンドアップコメディアンのアツコ・オカツカ(Atsuko Okatsuka)さん。アメリカのショウビジネスの表舞台に彗星の如く登場し、頭角を現している。 オカツカさんは昨年、ニューヨークタイムズに「コメディ部門の2022年ベストデビュー」として選ばれた。 最近の話題作は、先月10日にオンエアが開始したHBO MAXオリジナル『Atsuko Okatsuka: The Intruder(ザ・イントゥルーダー)』だ。彼女は、HBOでコメディ番組を持った2人目のアジア系女性となった。 彼女の芸風は、自分のルーツに絡んだネタを笑いにしたものが多い。 ちなみにアメリカのコメディアンは、黒人が黒人を、アジア系がアジア系の特徴を笑いにするなど人種ネタを取り入れることは割と多い。そしてほかの人種がそれを大笑いするのも許される。 オカツカさんもこの国のマイノリティであるアジア系を逆手に取り、「親は自分にアツコ・オカツカと(アメリカでは聞きなれない名前を)つけたのに、自分たちの名前は英語名なんだよね。ご丁寧にありがとう、母さん」と自虐ネタを披露し、会場は大爆笑。「食べろ、食べろ」と年配のアジア系の人がよく言うセリフを使ったネタも、面白おかしく披露している。 彼女はちょうど1年前、ビヨンセの曲『パーティション』と共に艶めかしく腰を下ろすドロップチャレンジ(Drop Challenge)を披露し、ソーシャルメディア上で瞬く間に広がった。俳優のテリー・クルーズやテニスのセリーナ・ウィリアムズ選手などセレブが次々に真似をし、さらに話題となった。 つい最近、CBS局の人気番組『ザ・レイトショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア』にもフィーチャーされ、ドロップチャレンジのことを話している。この番組のゲストにブッキングされることがどれほどすごいかは、ここ1、2ヵ月でゲスト出演したヘンリー王子や大坂なおみさんなどの錚々たる名前を見ればわかる。過去に近藤麻理恵(こんまり)さんも出演している。 アツコ・オカツカさんは日本にルーツを持つ日系人? 彼女の英語を聞く限り100%アメリカ人だが、名前は100%日本人だ。 彼女のルーツについて、ウィキペディアには「日本人と台湾人のハーフで、台湾で生まれ日本で10歳まで育ち、母親と祖母とアメリカに移住した」とある。自身も過去の動画で「私は日系と台湾系のアメリカ人コメディアンです」と自己紹介している。 また動画の中で、幼少期についてこのようにも告白。「ある日祖母に『2カ月、アメリカ旅行に行くわよ』と言われて渡米。そのうち滞在ビザが切れ、7年間オーバーステイ(不法滞在)となった」。 無名時代のお笑いのステージ(2016年) 5年前の映像で、「スタンドアップを始めて8年になる」と言っていることから、2010年ごろからスタンドアップ・コメディアンとして活動をしているようだ。以前より、日本の文化(アメリカでは聞き慣れない自分の名前や日本の変わったクリスマスなど)もネタにしている。最近は、祖母や夫をフィーチャーしたネタやダンスネタを取り入れたり、たまにセミヌードになり超セクシーな格好でSNS上に現れる。これらも話題作りの1つだろう。 筆者は彼女のインスタグラムやツイッターの中からいくつかのイメージを見て、一時期のブルゾンちえみさんをよりセクシーなアメリカ版にした印象を持ったが、どうだろうか。 志村けんさんが亡くなった時のインスタに、「日本にいた時、自分にとってのアイドルだった」と追悼していた。オカツカさんが日本のお笑いに影響を受けた芸人であることは間違いなさそうだ。 現在は3月中旬まで、コメディショウで全米ツアー中のオカツカさん。今年はさらに、アメリカ中を笑いの渦に巻き込んでいくことだろう。 Text by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人「ニューヨーク直行便」(c) 安部かすみより一部転載)無断転載禁止

中国へのドア閉じ「日本も米に付随」米報道。世界中で強化、対中の新型コロナ水際対策

新型コロナの感染急拡大に歯止めがきかないながらも、ここに来てゼロコロナ政策の劇的な緩和を打ち出すなど、大きな方向転換をした中国。 それに伴い日本政府は8日から、中国からの入国者に対しさらなる水際措置を強化した。 先月30日より(香港・マカオを除く)中国に7日以内に渡航歴のある入国者全員に対して、日本到着時の検査を実施しているが、今月8日からはより精度の高い抗原定量またはPCR検査に切り替えた。また出国前72時間以内に受けた検査の陰性証明書の提出も中国からの入国者に対して求めている。 中国のゼロコロナ政策の大幅緩和 アメリカと世界の受け止めは? このような厳しい対中措置は日本だけではない。 アメリカではニューヨークなど北東部などでオミクロン株の1つ、XBB.1.5への感染がこの1ヵ月で急速に拡大していると報じられている。医療従事者などが変異株の流行に戦々恐々とする中、アメリカは新年早々、中国からの入国者に対して陰性証明書の提示を義務付けるなど、水際措置の強化に乗り出した。 この対中政策の音頭を取っているのはアメリカのようで、日本政府の水際措置の強化について、8日米CBSニュースなどが「日本もアメリカの方針に追随し、中国からの入国者に対する水際対策を強化した」と報じた。 対中の水際対策は、日本やアメリカのみならず世界的に行われているムーブメントだ。 7日付の米ブルームバーグは、「変異株が広がる中、中国での新型コロナの感染急拡大(の脅威)から人々を守るため、世界の国々が中国人渡航者に対して、コロナ検査を実施するなど水際対策を強化している」と報じた。 記事によれば、ポルトガルが中国からの入国者に新型コロナの陰性証明を求める欧州の仲間入りをし、ドイツが国民に対して中国への不要不急の渡航を止めるように伝達した。タイは中国人観光客の大量入国に備え、空の便で到着する外国人の入国要件を再導入している。 2日付の米タイムも、このように報じた。春節を前に「中国人観光客が再び海外旅行への準備を進める中、いくつかの国は扉を閉じている」。 「新型コロナの感染が拡大する中、中国の報告と症例の順序立ての信頼性への懸念が高まっている。よって十数ヵ国が中国からの渡航者に対して入国制限を発表」と報じた。中国からの渡航者に対してコロナ検査を再び実施する米国、英国、フランス、スペイン、スウェーデン、オーストラリアなどの国々、到着時の検査で陽性者を隔離する日本やイタリア、到着時の検査に加え中国人に対する短期ビザの発給を制限する韓国、そして中国からの全渡航者の入国禁止を発表したモロッコなどを事例に挙げた。 これら世界中で手綱が締められている対中措置は、中国で感染状況の透明性が欠如してしまっていること、中国国内で変異株の追跡が適切にできていないことなどに対する懸念の高まりがあってのこと。そんな中でも中国国内では2億5000万人以上の人々(過半数は80代以上の高齢者)が、新型コロナワクチンの3回目の接種を受けていないとタイムは報じている。このような理由から、中国は世界中からフルボッコのような措置を取られてしまったようだ。 アメリカの水際対策 関連記事 2022å¹´ 2021å¹´ 2020å¹´ Photo(Top) : ãƒ‹ãƒ¥ãƒ¼ãƒ¨ãƒ¼ã‚¯ã®JFK国際空港 Text by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人「ニューヨーク直行便」(c) 安部かすみより一部転載)無断転載禁止