日本産ハマチ(ブリ)をNY&LA人気店がどう手がけるか?期間限定のメニュー公開

ニューヨークとロサンゼルスの人気レストラン10店で、日本産ハマチ(ブリ)のオリジナルメニューを期間限定で提供している。 アメリカの都市圏では一般的に、ハマチ料理を多くの店で食べることができる。日本食を海外でプロモーションしているJFOODO(ジェイフード)によると、日本産ハマチ(ブリ)は米国内でHamachiやYellowtailとして親しまれており、Maguro/Toro, Shake/Salmonに続く消費量だという。(ちなみにUniは4位、Unagiは5位) ブリ類(ヒラマサ、カンパチ)はアメリカやメキシコ(ヒラマサ、ヒレナガカンパチ)をはじめ世界中で獲れているが、アメリカでの消費だけに絞るとアメリカ(ハワイ)、オーストラリア、オランダ産が多く、日本産と同様に寿司やカルパッチなど生食で食べられているそうだ。 そこで今回は、改めて「日本産」のものを使ったオリジナルメニューを米現地シェフに手がけてもらうという企画だ。参加店はニューヨークの7店とロサンゼルス3店で、いずれも人気店。 ソーホーの新店「Veranda」(コンテンポラリーアメリカン)では、ハマチのリッチなフレーバーを最大限に生かし、旨味を存分に味わえる「Hamachi Confit」(27ドル)を提供中。(写真上) ほかの店は「AQUAVIT」「The Musket Room」など。 同2店はいずれもミシュランの常連店で、筆者はこれまで料理長を取材したことがある。いずれも接待や特別な日にも「絶対に外さないお店」として定評がある。 過去記事 Emma Bengtsson (Aquavit)インタビュー Matt Lambert (The Musket Room)インタビュー なお、今回のオリジナルメニューの提供は1/27から2/28までの1ヵ月間のみ。 参加店の情報はこちら https://www.instagram.com/hamachiofjapan/ Text by Kasumi Abe 無断転載禁止

強制収容所生まれ、広島育ち。3つのアジア系差別を経験 ─ 日系人・古本武司が伝えたいこと(後編)

【日系人強制収容から80年】 (前編からの続き) 以下、古本武司氏のインタビュー内容 ベトナム戦争で最前線送り、PTSDを患う 1955年、ベトナム戦争が始まりました。第二次世界大戦下でもベトナム戦争下でも当初、兵士は志願でなく招集されていました。私が入隊したのは68å¹´2月、ちょうどカリフォルニアの大学を卒業した23歳のときです。 私は広島からカリフォルニアに戻って来た後、“Jap”(ジャップ)と蔑称で呼ばれたり、毎年12月になると真珠湾攻撃のことを持ち出されたりと、謂れの無いことでよくいじめられました。「日系人というだけでどうしてこんな目に合わないといけないのか」と思うこともしばしばでした。「私はアメリカ人だ」と訴えても全然相手にされません。だから「米軍兵士として国のために戦えば、バカにされなくなるだろう」と思いました。入隊は私にとってアメリカ人として認められ、人々とイコールになれる方法でした。 将来を見据えて志願した士官学校で半年学んだ末、私はインテリジェンス・オフィサーとして情報部管轄の配属となりました。任務は3年間。情報部ということで、最前線ではなくエアコンが効いたオフィスでの任務になりそうだと内心ホッとしたのも束の間、70年から1年間飛ばされたのは、カンボジアとの国境近く、南ベトナム軍と共に戦う最前線の危険地帯だったのです。 そこにはトンネルがたくさんあって、無数に地雷が埋め込まれていました。夜間に敵軍を待ち伏せし、撃ち合います。仲間が撃たれたり地雷を踏んで負傷したら、救助用ヘリを呼びます。その役目を情報部が請け負っていたのですが、敵がどんどん撃ち込んできて、目の前で仲間が次々と倒れていきました。 戦争というのは実際に経験しないとなかなか想像がつかないでしょうが、そんな状況がずっと続くと頭が狂ってきます。最初は歩くのも怖かったけど、そのうち恐ろしいけど恐ろしくないという風に感覚が麻痺してきます。逃げるところはどこにもないし、追い詰められて精神的におかしな状態になっていくのです。 また、ジャングルが生い茂っている状態では敵軍の動きを把握できないので、上空から地上に大量のケミカル、エージェントオレンジ(枯葉剤)が散布されていました。そういうところで撃ち合っていたので、私の体、心臓や骨、血糖値などは今でも枯葉剤による後遺症に悩まされ続けています。アメリカ政府には今でも弁償をしてもらっています。 生き抜いて帰還、そしてNYへ 私はベトナム戦争を生き残り、71年に無事に帰還しましたが、長い間、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされ続けました。 戦争に行くと本当に大変ですよ。第二次世界大戦を戦った兵士もそうだったでしょうが、どういう戦争でも戦い抜くのは大変だし、生き残っても大変です。辛い記憶が蘇り、やりきれない思いをヒロポンなどドラッグに癒してもらっている帰還兵は多かったです。私も本当は体のために飲んだらいけないけど、今でもお酒が好きなのはそういうわけです。 とにかく当時の精神状態は、子犬が人間にいじめられて萎縮してしまう、そんな感じでした。もちろん心の内は見せないけど孤独で、誰とも会いたくなかった。家族や友人から離れて1人でアイソレーション(隔離)したい一心で、数ヵ月後にニューヨークにやって来ました。 親戚が経営する飲食店やコネで就職した陶器会社でも働きましたが、PTSDで精神的に辛く、同僚とも気が合わないし、仕事に集中できずミスも多く、半年もしないうちにクビになりました。 当時、家賃140ドルの床が傾いたおんぼろアパートに住んでいました。72年にキャロルと結婚したのですが、PTSDで仕事が全然続かない私の代わりに、家内が働いて支えてくれました。 74年には家内と一緒に会社を立ち上げました。アルバイトでも2年ほどの経験があれば不動産業で独立できたのです。「古本不動産」の誕生です。賃料100ドルちょっとの窓もない地下オフィスからスタートしました。 80年代にかけて日本企業がどんどんアメリカに進出し、仕事は次第に忙しくなりました。私は中途半端な日本語ながらも大企業に営業に行っていました。気が短いから客ともよく喧嘩したけど、自分の商売だからクビにならなかったのがラッキーでした。「先見の明があったね」とよく言われますが、たまたま時代とタイミングが合っただけです。当時はとにかく「飯を食うため、生きるため」に始めた会社でした。 3つのアジア系差別を体験 私はこれまで大きく分けて、3つのアジア系差別を受けてきました。 (1)戦前〜戦後のアジア系に対する排斥や日系人の強制収容(2)80年代の対日貿易赤字急増を機にした反日運動のジャパンバッシング、そして(3)新型コロナウイルスに端を発したヘイトクライム、アジアバッシングです。 パンデミック以降、日系人も差別や暴力の対象として犠牲になっているけど、昔はジャパンバッシングの影響で中国系や韓国系の人たちも大変な目に遭ってきました。 関連記事 多発するアジア人差別(3)日系三世女性の見た、故郷「アメリカ」 日本人に間違われ「動物以下の扱いで」殺されたヴィンセント・チン事件(’82)── 全米アジア人差別 ルーズベルト政権は、どのように12万人の無辜の日系人を強制収容したのか?自由と人権を奪う大義名分として掲げられたのは、「安全保障への懸念」というものでした。強制収容を実行するための「根拠」が必要だったので、諜報部は「西海岸の日本人は日本政府をバックアップしながら諜報(スパイ)活動をしている。危険な民族だから、収容所にぶち込まないと我々の安全を脅かし大変なことになる」といった内容の報告書を作って最高裁判所に送り、強制収容が正当化されました。 実際のところそのような危険はなく、まったくの事実無根でした。78年にリドレス(戦後の救済補償)運動の一環としてワシントンD.C.のアクティビスト、アイコ・ハージグ-ヨシナガ(Aiko Herzig-Yoshinaga)が調査を開始し、数年かけて証拠書類を集め、報告書の内容がでっち上げであり、強制収容が憲法違反だったことを証明しました。私とキャロルは、アイコ氏が亡くなる1ヵ月前、彼女と昼ご飯を食べながら語り合いました。 彼女の私たちへの最後の言葉は「(強制収容は)私たちの政府が私たち(日系人)に犯した罪だった」でした。 アイコ氏が違憲を証明したことが基となり、88年レーガン大統領が人権擁護法(Civil Liberties Act of 1988)に署名しました。そして、大統領からの謝罪の手紙と補償金2万ドルが、生存者および遺族全員に贈られました。私たちも、5年後の93å¹´10月までに、きょうだい5人全員が受け取りました。 ただしこの公式謝罪は、強制収容が始まってから51年後のことで、両親もすでに亡くなった後でした。家内のキャロルの祖父は収容所内で亡くなりました。中には「自分たち日系人が悪いことをしたから収容所に入れられた」と思いこんだまま死んでいった人もいます。一番苦労したのは全財産を没収され強制的に入れられた人たちですから、本当はそのような人たちがもらうべきものでした。 77歳の今、伝えておきたい「ダイバーシティ」と「平和」について 私の人生は「収容所、原爆投下の広島、ベトナム戦」と全部戦争が絡んでおり、戦争なんてもうこりごりです。二度と体験したくないし、ほかの人も同じような運命に苦しんでほしくない。けれども相変わらず戦争は続いています。 以前読んだアメリカの歴史教科書には、日系収容所に関する記述はたった1文だけでした。経験者はびっくりするほど少なくなっています。私の姉も80代後半になって記憶がだんだんと薄らいでいっています。 私は77歳の今、元気なうちに経験をできるだけ後世に伝え、平和を望む機会を作らなければならないという使命を感じているところです。史実を伝え歴史の本に残し、あらゆる問題を乗り越え、法制化していかなければなりません。 世界中ではダイバーシティ化の取り組みが進められ、アメリカも憲法であらゆる人権を守ろうとしていますが、いまだ黒人の差別問題などなかなか根強く残っています。私もこれまで受けてきた人種差別の経験を通じて問題解決に取り組んでいますが、ダイバーシティの問題はなかなか難しいと感じています。 やはりこの問題も、解決のためには「伝えていくこと」が必要です。私がこうやって話すのは、アメリカを恨んでいるとかそういうことではないです。私が住むところはここなんです。ここが私の国ですから、良くしていかないといけない。「難しいからまぁいいや」と言っていたらだめ。難しいけどそのハードルを超えて「平等」にしていかないといけません。問題解決のために闘い続ける、それが私の生き方です。 私にできることと言えば、メディアで話したり、大学や教育現場で演説をしたりして伝えることです。ニューヨークの寺の住職さんと被爆者の声や平和のメッセージを伝える活動をしたり、最近はH.R.40(黒人の弁償問題)についてもテスティモニアル(経験者の証言)をしました。また、異人種間の団結のシンボルとなる桜の木をニュージャージーに植えるプロジェクトにも取り組んでいます。 平和の尊さを伝える一環として、私は日系人のフレッド・コレマツ(Fred Korematsu)氏の人生を讃える活動もしており、5年前にコレマツさんのテスティモニアルをしました。収容所送りが始まった当初、大学生だったコレマツさんは強制収容について「不当だ」「間違っている」「入らない」と言い続けて国を提訴したのですが、有罪判決を受け、収容所ではなく刑務所に収監されました。しかし彼は最後まで諦めなかった(コレマツ対アメリカ合衆国事件 Korematsu v. United States)。ゴードン・ヒラバヤシ(Gordon Hirabayashi)氏、ミノル・ヤスイ(Minoru Yasui)氏らと共に、88年の人権擁護法の立案の礎を築いた人物です。 カリフォルニア州は彼の生誕日である1月30日を「フレッド・コレマツの日」(Fred Korematsu Day)と制定しており、私が住むニュージャージー・フォートリーでも働きかけ、制定化できました。ニューヨークの行政にも同様に働きかけているところです。 お伝えしたように私の国はアメリカですが、同時に私は日本のルーツを誇りに思っています。しかし日本人の中には戦争の歴史をあまり知らない人が結構います。アメリカ人にもベトナム戦争のことをあまり知らない人がいます。…

強制収容所生まれ、被爆後の広島育ち、ベトナム戦でPTSD ─ 日系人・古本武司が伝えたいこと(前編)

【日系人強制収容から80年】 アメリカでは80年前の1942å¹´2月19日、当時のフランクリン・D・ルーズベルト大統領によって「大統領令9066号」(Executive Order 9066)が発令された。 旧日本海軍による真珠湾攻撃から約2ヵ月というタイミングでの発令で、主に西海岸に住むすべての日系アメリカ人の強制収容所送りを意味した。 現在、ニュージャージー州で不動産会社「古本不動産」を営んで半世紀になる古本武司(Takeshi TAK Furumoto)さん(77)は、日系人の強制収容が始まった2年後の44年、カリフォルニア州の収容所内で誕生した。 その翌年に終戦を迎えて一家は日本に渡り、古本さんは原爆投下後の復興真っ只中にあった広島で育った。またアメリカ帰国後はベトナム戦争に出兵し最前線で戦うなど、彼の人生は常に戦争と共にあった。 日系人の強制収容が始まって80年となるこの節目に、古本さんが伝えておきたいこととは? 以下、古本武司氏のインタビュー内容 家族は10日猶予で収容所に入れられ、そこで私は生まれた 私は1944å¹´10月、カリフォルニア州トゥリーレイク強制収容所(Tule Lake internment camp)で生まれました。 2019年から翌年にかけて、日系人の妻と共にマンザナー強制収容所(Manzanar War Relocation Center)跡地や、トゥリーレイク収容所の歴史を伝える施設などを巡礼しました。家族が入れられたのは個室などがないバラック(小屋)で、プライベートを確保するには布をかけて仕切りを作らなければならず、共同便所も動物が入れられるケージのような狭さ。そのような劣悪な環境を目の当たりにしてきました。私はそんな中で誕生したのです。 もともと古本家とアメリカとの関係は、20世紀初頭に遡ります。父、清人(キヨト)の両親(私にとっての祖父母)が1911年、カリフォルニア州サクラメントのいちご畑で働くために渡米したことから始まります。 父は4人きょうだいの長男でした。父の両親は当時まだ小さかった父を地元・広島に残し、先に渡米しました。そして生活の基盤が整い、父も1921年に1人で渡米し、家族と合流しました。 しかしスペイン風邪(1世紀前のパンデミック)が終息したタイミングでしたから景気が悪く、父は長男として相当苦労してきました。当時彼はまだ13歳で、農作業に加え、ブランケットを担いで行商をしながら生計を支えていたようです。 その甲斐あって父は成功し、オカ・プロデュース(OKA Produce)という野菜の卸し会社を共同創業するまでになり、26人を雇うほどの事業に育て上げています。 しかし41å¹´12月の真珠湾攻撃をきっかけに太平洋戦争が始まり、カリフォルニア、オレゴン、ワシントン、アリゾナなど西海岸および一部ハワイに住んでいた12万人の無実の日系アメリカ人は全財産を没収され、適正手続きもなく10日間のノーティス(猶予)で、強制的に収容所送りとなりました。 想像してみてほしい。 あなたが「日本人」というだけで、今ある自宅や事業、全財産を突然没収され、収容所に強制的に送られたら? いつ解放されるかもわからないまま、塀の中での生活を強いられ続けたら? 大統領令9066号の発令に収容所施設の建設は追いつかず、はじめは臨時の収容所としてカリフォルニア州の競馬場に半年間入れられました。そして42年秋にアーカンソー州の収容所が完成し、そこに移されました。 翌43年、収容者たちはアメリカに対してどれほど忠誠心を持っているかの質問、ロイヤリティクエスチョンを受けます。その中にはこのような質問もありました。 「米兵に志願するか?」 「天皇への忠誠心を捨てるか?」 大多数の人は嘘をついてでも「Yes, Yes」と答えたが、4人の子の父だった親父は、「米軍には入らない」、「天皇陛下への忠誠心を捨てることはできない」と返答。このように「No, No」と返事したのは収容者12万人中の1割だったそうです。そして私の家族を含むその1割の人が、過酷な環境のトゥリーレイク収容所に入れられました。私が生まれたのはその翌年です。 戦後、私の両親など収容所生活を経験した1世や2世の人たちは、当時の話を子どもにしませんでした。辛い時代のことをわざわざ思い出したくないですから。4人の姉は子ども時代の収容所の記憶を、大人になって私にちょこちょこ話してくれました。 私がこの歴史にもっと関与し始めたのは、5年前トランプ政権が誕生する少し前からです。トランプ氏はムスリム系アメリカ人に対して入国禁止令を発令するなど、当時の日系人に対して行ったことと同じことを政策に掲げました。これがきっかけになり、私は跡地を訪問して自分でも本格的に調べ、語り部として伝えていく活動を始めました。 原爆投下後の広島で過ごした幼少期 1945å¹´8月、広島と長崎に原爆が投下され日本が降伏し、太平洋戦争が終わりました。 収容所から出て自由の身となった私の一家はポートランドから横須賀まで、最大5000人収容の大型船(USS General Gordon)で、同年12月から1ヵ月かけて渡航し、両親の地元・広島に戻りました。私が1æ­³2ヵ月の時です。 お袋の実家があるのは、爆心地から1.5マイル(2.5km)弱の所でしたから「今帰ってくると大変だ」と反対されたようですが、両親の帰国の意思は固かったようです。長男だった親父には「復興で大変な親の面倒を自分が看なければ」という強い責任感があったのでしょう。4人の姉も収容所で日本語、日本史、日本の歌まで学んでいたので、日本に帰りたいという気持ちが増したようです。 ただし、焼け野原となった広島での生活は、家族にとって苦労の連続でした。 私は、親父の実家がある広島の西原(安佐南区西原)で、11歳半(1956年)まで育ちました。 祖父母や叔父・叔母は、被爆者として健康手帳をもらっています。特にお袋側の叔父の火傷が酷くて、当時12歳の叔父は体の半分ほど大火傷を負いました。お袋から「絶対に火傷について触れないように」と口を酸っぱくして言われていたので、怪我や当時の状況について聞いたことはありません。 叔父のような人は広島にたくさんいました。お金がないからバレーボールの試合もユニフォームを作る代わりに、1つのチームはシャツを着て別のチームはシャツなしでやります。すると上半身に火傷の跡がある人や、指がない人などもよく見かけました。でも私は子どもだったし、あんまり気にしませんでした。社会科の授業で原爆ドームに行った時も、当時の私は興味深く学ぼうとも思わなかったです。 当時少年だった私に、復興の街・広島はどう映っていたか?ベトナムの路上とかで今でもよく見るような、品物を売るスタンドがたくさん出ていたのを覚えています。活気というよりサバイブな感じでしたね。生き残った者は皆、これからも生き続けないといけないわけだから、どんな状況でも頑張るしかなかったのです。 親父は実家の百姓(原文ママ)の仕事を手伝いながら、英語力を生かしてPX(進駐軍の基地内の売店)でシェフや運転手をしていました。食べるものがない時代でしたが、よくパンの売れ残りを持って帰ってくれました。家族や両親に苦労をかけたくないと、休みなく働いて苦労に苦労を重ね、私たちを育て上げてくれました。 10年ほどして広島での生活の基盤が整ったので、もう一度アメリカに戻ろうということになりました。親父は卸会社で一度成功しており、アメリカという国は一生懸命に頑張ればチャンスがあると知っていました。それで「家族全員で裸一貫でまた一から出直そう」となったのです。 ただし当時、日本に戻った大人はアメリカ市民権を自動的に剥奪されました。母方の祖父母はカリフォルニア州でメロン畑を営み、そこで生まれた日系2世のお袋までもが、市民権を非合法的に剥奪されたのです。 戦前〜戦後とはそういう時代です。アメリカで日本人は平気で差別され、非常に住みにくかったです。それ以前はセグリゲーション(分離)政策で有色人種の扱いはもっと酷く、白人と住む場所も学校も別で、土地も不動産も所有できず、インターナショナルマレッジ(異人種間結婚)も認められませんでした。ジョンソン政権下で人種差別に大分シビアになりましたが、そのような排斥の名残は、マーティン・ルーサー・キング牧師が68年に亡くなり、公民権運動が活発化するまで根強くありました。 それでも日本人は頑張って働いて、アメリカで一旗上げて儲けて日本に凱旋帰国する例がたくさんあり、父もアメリカンドリームをもう一度追い求めたいと思ったのです。 失った市民権をどうしたか?子どもは市民権を剥奪されなかったので、19歳の姉が1952年にまずアメリカに戻り、スポンサーになれる21歳、54年から家族を1人ずつ連れ戻し、その2年後にやっと全員がアメリカに揃いました。…

小室眞子さん夫妻のNY高級アパート前で白昼に銃撃事件。動画を米紙が公開

ニューヨークのヘルズキッチン地区で10日、銃撃事件が起こったとして、テレビニュースや新聞など地元メディアがいっせいに報じた。 同日午前11時過ぎ、マンハッタン西52丁目の路上で、身内のいざこざが銃撃事件にまで発展し、衛生局の非番の清掃作業員が左太ももを撃たれた。 清掃作業員の娘の元交際相手の兄弟にあたる男が、路上で清掃作業員と口論になり、発砲したと見られている。現場の路上から、容疑者が撃ったとされる弾が見つかった。容疑者はその後、黒のメルセデス・ベンツで現場から逃走したが、車だけが27丁目で見つかった。 【閲覧注意:暴力的なシーンが含まれます】 発砲事件の一部始終を近所の人が撮影し、地元メディアが公開 アパートの室内から録画した人は「あぁなんてこと、これはよろしくない」と連呼。その後、発砲音が3発聞こえた。 NYではこの1、2年、銃撃事件が多発 関連記事 市内では先月だけで100件もの銃撃事件が発生。警官2人も殺された。 1月だけで銃犯罪100件! ── バイデン大統領が誓った「テコ入れ銃規制」と見えてきた「失望」 清掃作業員は病院に搬送された。詳しい症状は分かっていないが、命に別状はないという報道もある。警察の捜査により、現場付近は一時立ち入り禁止となった。 筆者が気になったのは、発砲事件そのものに加えて、事件現場となった「場所」である。 報道されている事件発生現場や建物の外観は、昨年11月に英デイリーメールが報じた小室眞子さんと圭さん夫妻が住む高級アパートの外観などと一致している。 事件が起こった厳密な場所は、小室夫妻の居住ビルに隣接したビストロ&カフェの前にある道路だ。眞子さん夫妻は移住後、市内での散歩姿がよく報じられており、ビル入口出てすぐのこの歩道を、夫妻は毎日通っているだろう。 ヘルズキッチン地区の事件の発生率について 関連記事 市内で飛び抜けて高いエリアでもないが、犯罪発生率が低いほかの地区に比べると繁華街に近い分、やや高めの傾向。 ヘルズキッチンを東京で例えるならば?治安は実際どうなの?犯罪発生率を徹底的に調べてみた 小室夫妻で大注目「ヘルズキッチン」てどんな街?住みやすい? また地元メディアの報道では、口論の発端となった清掃作業員の娘は「このアパートに居住」しており(小室夫妻と同じ建物かビストロ&カフェの建物かは不明)、当日容疑者らが娘を訪れ「父親に連絡するよう」促したということだ。今後もこの娘を軸に、いざこざが起こる可能性は否定できない。 小室さん夫妻はニューヨークで新婚生活を始めて3ヵ月もしないうちに、このような凶悪事件がしかも自宅前で発生し、驚いていることだろう。またこのようなニュースがご両親である秋篠宮ご夫妻の耳にでも入った日には、ご心中いかばかりか。 しかし悲しきかな、これが2人が新天地として選んだニューヨークの「今」なのである。 関連記事 殉職の22歳NY警察 NY人気観光地で連続の発砲事件 パンデミックで銃購入増。銃社会は危険と考えない価値観とは(保釈金を支払わずとも被告が公判まで自由の身になれる新保釈制度について) アンティファが再襲撃 ── 叫ばれる「割れ窓理論」 全米ライフル協会に解散要求 銃の悲劇なんて気にしない金の亡者 NY治安悪化でまさかの警察予算削減 刑務所がコロナの温床 650人を釈放、懸念される治安悪化 警察憎悪犯罪 警官に向けた連続発砲事件 毎日100人、年間4万人が銃の犠牲 3億丁ある銃器との共存やいかに? 【加速する銃乱射】数字で見るアメリカの現実と憂い 海外で近づいてはいけないエリアの判断基準 NY銃乱射地区を歩いた体験 誤射で死亡 ーー 11秒間で7人の警官が42発の発砲 Text by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人より一部転載)無断転載禁止

NY屋内マスク義務が今日から解除。人々はマスクを外した?街の様子は?

ニューヨーク州では10日より、屋内飲食店や小売店などで、マスクの着用義務がなくなった。 着用義務化は、感染が急拡大していた昨年12月半ばより再び導入されていたが、10日に期限を迎えるにあたり、新規感染者数や重症による入院患者数の減少を踏まえ、ホークル州知事が専門家らと意見交換をし、着用義務の方針に関して更新しない判断をしたという。 「パンデミックの新たなフェーズだ」。知事は9日の記者会見でこのように述べながら、協力店に感謝の意を表明した。 ただし、今後も経営者の裁量や店の方針によって、客に着用義務を求めることはできる。また地下鉄やバスなど公共交通機関、空港、医療機関や介護施設、学校、ホームレスシェルターなどでは引き続きマスク着用義務化が継続される。 実際に10日の街の様子を見に行った。 屋外を歩いている人では、マスクを着用している人としていない人は半々で、昨日までの光景と何ら変わりない。 近所の公園のバスケットボールコートでは、ティーンと思しき若者が5対5のバスケをしていた。10人のうち2人はまったくマスクをしていなかったが、8人はマスクを顎に引っ掛けたままプレーをしていた。 小売店に行ってみると、多くの店頭に依然としてマスク着用を求める張り紙がされたままだった。また客もほとんどがマスクを着用していた。 この2年間ですっかりマスク着用に慣れてしまった感があるニューヨーカーだが、街の人に話を聞くと、今後も念のためしばらくは屋内でもマスク着用を続けていくだろうと答える声も聞こえてきた。 またホークル知事自身も、同日の記者会見で「パンデミックが終わった訳ではない。脆弱な人々を今後も感染から守らなければならないし、誰もが安全・安心を感じて欲しい。マスクを着用することで安心を感じるならば、引き続き着用を勧める」と述べた。つまりは、今後はマスク着用の判断を、経営者や個人の裁量に任せていくということだ。 過去記事 マスクを取ってもいいよと急に言われても、今度は逆にその無防備さに戸惑うのだろう。大多数の人が清々しい気持ちで「マスクはもういらない」という気持ちになるまで、もう少し時間がかかりそうだ。 米「ワクチン接種でマスク不要」 NY中心地のマスク率は? 街の人の声は? 広がるマスク着用義務撤廃の動き マスク着用義務の規制撤廃の動きは、アメリカではこれまで共和党寄りの州で見られてきたが、ここにきてニューヨークやニュージャージー、カリフォルニアなど民主党寄りの州でも広がっている。またイギリスやフランス、北欧などヨーロッパ各国でも同様に、マスク着用義務の規制撤廃の動きが報じられている。 ただし米ホワイトハウスやCDCは、引き続きマスク着用を推奨している。 マスクやワクチン義務化に関する過去記事 – 2021å¹´ NYワクチン接種義務に抗議。義務化初日に休職の市職員9千人が都市に及ぼす影響 NY屋内活動に「ワクチン接種証明」義務づけ 全米初の試みが始まったが・・・街の様子 1å¹´3ヵ月ぶり「非常事態」が解除 NYはいま【昨年との比較写真】 新型コロナに「打ち勝った」“先行事例”となるか?NYが復興へ前進、大規模再開へ 米「ワクチン接種でマスク不要」 NY中心地のマスク率は? 街の人の声は? – 2020å¹´ 結局アメリカでマスクはすんなり受け入れられたのか 外出の際、顔はカバーすべきですか?「はい」とNY市長 アメリカでマスク改革、はじまる TText and photos by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人より一部転載)無断転載禁止

選手は「憤慨」「劣悪な食事と環境に涙」「胃が痛い…」 米英紙が酷評【北京五輪】

北京オリンピックの開会式前には、選手村やメディアセンターで導入された調理用ロボットや寝心地の良い豪華なベッドなどが話題になっていた。 しかし、大会が始まり実際に蓋を開けてみると、実情は異なるようだ。 7日付のニューヨークポストは、Olympians in tears over poor living conditions, lack of food at Winter Games(冬季オリンピックの劣悪な滞在環境や食事内容に選手が涙)とする記事を発表した。 英サンも、WINTER OF DISCONTENT Winter Olympic athletes fume over poor food, inhumane isolation rooms and bitter COLD weather as games go into meltdown(不満の冬 貧しい食事内容や非人道的な隔離部屋、厳しい寒さなどに苛立ち)という見出しで、滞在環境について、選手や関係者から苦情が出ていることを明らかにした。 食事について まず、延慶(Yanqing)会場にあるアルペンスキーセンターでのケータリングへの不満が、ドイツのコーチから出た。 「オリンピック委員会は温かい食事を提供してくれるとばかりに期待していたが温かい食べ物はなく、あるのはチップスとナッツとチョコレートだけ。オリンピックというスポーツの最高峰の場で提供されるものではない」 このような劣悪環境を予想してか、アメリカのチームの中には、自らパスタを持参しあとは茹でるだけの準備万端な選手もいたようだ。 ロシアのバイアスロン、Valeria Vasnetsova選手がインスタグラムに投稿した内容も、問題視された。 新型コロナで陽性反応が出た同選手は、隔離施設で提供された食事が劣悪過ぎて「毎日泣いている」と、写真付きで訴えた。 発泡スチロールのような入れ物には、何もかかっていないマカロニ、肉料理とポテトが少々、それにトマトソース(のようなもの)が、小分けされている。5日間毎日、朝昼夜このようなメニューだったという。 同選手は「ベッドから起き上がる気力さえなくなり、1日中寝ている。 毎日、ほんの一握りのパスタしか胃が受け付けず、残りは廃棄した」「胃は痛み、顔は青白くなり、目の周りのクマがひどい。毎日泣いている。疲れた」と悲痛の叫びが投稿されていた。(現在その投稿は削除され、アカウントはプライベート設定) 同選手の苦情を受け、大会委員会は隔離施設での食事内容を、サーモンとキュウリなど、より良い内容に改善したようだ。 選手や関係者からは、そのほかの不満も… NPRによると、劣悪な食事内容のみならず、インターネットに接続できず、トレーニング機器がないなど、環境不備も指摘された。 前述のサンには、フィンランドの男子アイスホッケーのコーチから、中国が選手の人権を尊重していないと非難が出たことが指摘されている。ニューヨークポストは、寒すぎる最悪の天候もアスリートが最高のパフォーマンスを出すことを困難にしている要因だとした。 スウェーデンのチームからは、スケジュールはすでにフィックスされているので変更が困難であると承知しているとしながら、悪天候による最悪の状況を回避するため、試合時間をなんとか早めてもらえないかと懇願されているという。 中国の威信をかけて北京オリンピックを成功に導きたい大会委員会は、これらの諸問題にどう向き合っていくだろうか。 関連記事 開会式の放送中、中国の「ジェノサイド」複数回触れられる。【北京五輪の開会式】米メディアはどう報じたか…

Starbuck Cofee スターバックスコーヒー関連【まとめ】

世界のスターバックス、1万6700店制覇の「アメリカ人」と3800店舗制覇の「日本人」がついに出会った! 日本とアメリカのスタバ、使い捨てを減らす新たな試み。 スタバやナイキ:相次ぐ米大企業の世界展開。東京やNYより「上海へ」の時代に 高級スタバが日本上陸! 素敵すぎる「ロースタリー」NYでも話題沸騰 スターバックス帝国を一代で築いたハワード・シュルツ。貧困からのアメリカンドリーム NYスタバ Starbucks Eveningsの新メニュー、地ビール&エスプレッソ (過去記事より一部抜粋)

生中継で中国の「ジェノサイド」複数回触れられる …【北京五輪 開会式】米メディアはどう報じたか

北京冬季オリンピックが開幕し、アメリカでも連日その熱気が報道されている。 4日に行われた開会式についても、米メディアはいっせいに報じた。 東京オリンピックの際には、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長を「ぼったくり男爵」と批判したワシントンポストは、北京大会の開会式をどう報じたか。 5日付の同紙は冒頭で、「新録の草をイメージさせる巨大な緑のグロースティック(ケミカルライト)を振るダンサーからサイケな色合いの6人のアイスホッケー選手まで、団結と新たな始まりを表現した」と説明。「これらの素晴らしい演出のおかげで、近年の中国のダークな面を挽回した」と、芸術的な側面で、2008年の五輪に続き今回も総監督を務めた映画監督、張藝謀(チャン・イーモウ)氏の功績を讃えた。 一方、コロナ禍での開催については、「バブル方式を採用し、無観客で行われるが、選手や大会関係者308人(4日時点)の陽性反応が確認され、ゼロコロナを目指す中国にとっては懸念事項となっている」とし、パンデミックでトーンダウンし「あまり興奮はない」という地元民の声と共に紹介した。 政治的な見方としては、このような記述があった。 「毛沢東以来もっとも強力な指導者、習近平国家主席の下、同国の治安部隊は新疆ウイグル自治区で少なくとも100万人のウイグル人とほかのイスラム教徒を拘束」 「コロナ禍で開催を決めた大会のモットー『共有された未来のために共に』は、『人類のための共有された未来があるコミュニティ』を構築するという習氏の政治哲学に共鳴したものだが、そのようなモットーでさえ、外交ボイコットを主導したアメリカによって打ち消された」 NPRは、開会式の目を引くような素晴らしいシーンの写真と共に、ハイライトで紹介している。 習主席と共にロシアのプーチン大統領も出席したことについても触れ、「開会式での2大権力者の存在感は、人権侵害問題の国際批判に晒される中国に必要な同盟国がいることを知らしめた」。 コロナ禍での開催については、「東京オリンピックでは、開会式の会場外で抗議デモが行われたが、北京の会場周辺は道路が封鎖されたため、そのような様子は見られなかった」とした。 英VoxはWhy the Olympics opening ceremony felt kinda weird(オリンピックの開会式に違和感を感じた理由)という見出しで、開会式に映し出されれたプーチン大統領、10代の若者を多用し平和や世界の協調、パンデミックとの闘いを強調した演出、聖火ランナーの最終走者をウイグル族のクロスカントリースキー選手、ジニゲル・イラムジャン(Dinigeer Yilamujiang)氏が務めたことなど、多くの政治的要素が盛り込まれた開会式に疑問を呈した。 放送中に中国の「ジェノサイド」について複数回触れる NBCニュースは、コネチカット州のスタジオと北京を繋ぎ、2時間半にわたって生中継で開会式の様子を放送した。 「パンデミック中のもう1つのオリンピックが開始した。物議を醸している北京五輪だ」。同局の看板アンカー、サバンナ・ガスリー(Savannah Guthrie)氏は冒頭でこのように紹介した。 「パンデミックの真っ只中にオリンピックを開催できることが可能な能力とハイテクの腕前と国家の力を披露した」と評価する専門家の声も交えながら、ガスリー氏が以下のように説明するシーンも見られた。 ウイグル族選手の式典の起用について 「西(欧米)に対して挑発的(なメッセージだ)」 中国の人権侵害問題について 「中国は少数民族を(強制労働や強制不妊などで)弾圧し、アメリカはそれをジェノサイド(集団虐殺)と呼んでいる。そのような人権侵害に対する声明として、アメリカは外交ボイコットをしており、政府代表団を派遣していない」 「ジェノサイド」という言葉を含む中国の人権侵害問題についてのアナウンスは、2時間半に及ぶ開会式の中継中に筆者が確認する限り、少なくとも3度あった。 オリンピックの米国放映権を持つNBCユニバーサルの子会社であるNBCニュースは、東京大会にはアナウンサーチームを現地派遣したが、北京大会には派遣していない。その理由として、閣僚派遣を見送った日本の姿勢と同様に「新型コロナの感染防止のため」というのが表向きに発表されているものだ。 関連映像 NBCニュースによる、北京オリンピック開会式のダイジェスト (1) (2) 関連記事 【悲報】豪華な北京五輪ベッド、硬い東京の段ボール製。日本の環境配慮の理念がほとんど伝わっていなかった 米オリンピック視聴率激減が示すこと。アメリカ人は本当に五輪を観なくなった?それとも・・・ 【東京五輪】開会式当日と翌日、米主要紙の一面を飾った話題は? Text by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人より一部転載)無断転載禁止

1月だけで銃犯罪100件!  ── バイデン大統領が誓った「テコ入れ銃規制」と見えてきた「失望」

バイデン大統領は3日、銃犯罪が多発し治安悪化の一途をたどるニューヨーク市を訪問し、銃規制を見直す方針を表明した。 大統領はエリック・アダムス市長やキャシー・ホークル州知事らと会談し、このように述べた。「警察の予算の打ち切りは答えにならない。必要な資金を援助していく」。 民主党寄りのニューヨークではBLM運動が盛んだった2020年以降、「ディファンド・ザ・ポリス(Defund the police 警察予算の打ち切り)」がスローガンだった。しかし銃犯罪が相次ぐ中、大統領によって警察組織の再検討と予算の見直しの必要性が明言された。 先週市長は、私服警官の再配備や、武器所持者を見極める顔認証による取り締まり強化案の発表と共に、州および連邦政府に対してNYPD(ニューヨーク市警察)への援助要請をしており、それに答えた形だ。 大統領は6時間の市内滞在中、クイーンズ区の公立小学校も訪れ、地域のヴァイオレンス・インターラプター(Violence Interrupters 暴力を阻止する活動グループ)とも面会した。彼らは犯罪へ対峙する施策として、「発生自体」を阻止することが何よりも重要だと考え、街中でのいざこざが暴力事件に発展する前に、問題解決をすべく活動をしている。バイデン氏は彼らにも、活動資金の援助を増やしていくと約束した。 深刻化するNYの治安悪化 大統領がわざわざ市内を訪問するほど、最近のニューヨークの治安悪化は甚だしい。まるで「被災地訪問」である。この街は銃撃事件だけでも、1月は特に酷い有様だった。 先月市内で起きた主な銃撃事件 9日深夜、イーストハーレムのハンバーガー店「バーガーキング」に強盗が押し入り、19歳の女性従業員が腹部を撃たれて死亡。犯人はレジから100ドル(約1万円)とマネージャーの携帯電話を盗んで逃走し、その後逮捕された。 21日ハーレムで、家庭内暴力の通報で駆けつけた警官2人が銃撃され死亡。犯人は別の警官に撃たれ3日後に死亡。(今年だけで6人の警官が、銃犯罪に巻き込まれている) 19日ブロンクスのデリ前で、男が別の男に向け発砲した2発のうち1発が、車内に母親といた11ヵ月の女児の顔面に当たる。女児は一命を取り留めるも、犯人は逃走中。 NYPDが発表した先月の市内の犯罪数を見ても、その多さは顕著だ。前年同月に比べ急増している。 全犯罪件数:前年同月より38.5%上昇(昨年6905件、今年9566件) 銃犯罪:前年同月より31.6%上昇(昨年76件、今年100件)* 2019年は52件、20年は67件 レイプ:前年同月より26.7%上昇(昨年101件、今年128件) 車両窃盗:前年同月より 92.5%上昇 殺人:前年同月より15.2%減少(昨年33件、今年28件) 殺人を除き、すべての犯罪カテゴリーに於いて、前年同月より犯罪率は上昇した。車の盗難が急増しているのも今年の特徴。 全米でも治安悪化 コロナ禍になりここ1、2年、犯罪数が急増しているというのは、ニューヨークのみならず全米の潮流でもある。 同日のニューヨークでの会議中、バイデン大統領は「この国では毎日316人が撃たれ、106人が銃で殺されている」とも述べた。 2年前の関連記事 状況は今も変わっていない。 毎日100人、年間4万人が銃で命を落とす国 3億丁ある銃器との共存やいかに? バイデン氏が掲げた、テコ入れの銃規制とは? 大統領が今回表明した、具体的な銃規制の強化は以下のようなものだ。 銃犯罪に関する司法省計画 銃撃事件対策が優先的事項 銃の売買ルートの取り締まり ゴーストガン(闇取引で売買されている身元審査すら必要ない銃。シリアル番号などがないため、入手ルートが追跡できない)の撲滅 違法銃の販売元の追跡、割り出し 5億ドル(約570億円)の予算の捻出 大統領は、特に問題とされている他州からニューヨークに大量流入する「違法銃」への連邦政府の取り組みが急務だとし、追加資金を提供することを公約に掲げた。「より安全に生活するために、できることをやっていく。しかしそれには議会の協力も必要だ」と話し、「銃販売の身元調査の徹底、ライフルなど殺傷力の高い銃器(アサルト・ウエポン Assault Weapons)の撤廃、銃製造業者の責任逃れの廃止を盛り込んだこれらの法案の可決が必要だ」と、議会に求めた。 「NYの問題とは関係ない」疑問の声も… 問題解決に向け1歩踏み出したかと思えば、実はそうでもないようだ。 3日付のニューヨークポストの社説は、「我々が必要としている問題解決について、大統領から具体的な言葉はなかった。身元調査やアサルト・ウエポンの撤廃、レッドフラッグ法はニューヨークが今抱えている問題とは何の関係もない」と、大統領の方針を厳しく切り捨てた。 当地では、犯罪者に甘いとされるマンハッタンの新地方検事、アルヴィン・ブラッグ氏の政策が問題視されている。「当地では強盗で銃を使用したとしても、実際に銃を撃たない限り、刑務所に入れられることはない」。(前述のニューヨークポスト) 「犯罪に甘い政治家がこの国をダメにしている」と、下院共和党トップのケビン・マッカーシー院内総務も、大統領を強く非難した。「(非常に深刻な事件でない限り)犯罪者を起訴しないように検察官に指示を出し、強盗などの罪を軽く見て、わずかな保釈金で犯罪者を解放しているニューヨークの極左検事(アルヴィン・ブラッグ氏)対して、大統領には非難する勇気がないようだ」 関連記事 殉職の22æ­³NY警察。新妻スピーチに全米が涙 NY人気観光地で連続の発砲事件 パンデミックで銃購入増。銃社会は危険と考えない価値観とは(保釈金を支払わずとも被告が公判まで自由の身になれる新保釈制度について) アンティファが再襲撃 ── 叫ばれる「割れ窓理論」 全米ライフル協会に解散要求 銃の悲劇なんて気にしない金の亡者 NY治安悪化でまさかの警察予算削減…

元ミスUSAチェスリー・クリストさんの死 最後のインスタ投稿メッセージ

ニューヨークの超高層ビルから30日朝、女性が飛び降り亡くなった。その女性は2019年のミスUSAに輝いた、チェスリー・クリスト(Cheslie Kryst)さん(30歳)だった。 クリストさんは同日午前7時15分ごろ、ミッドタウン42丁目の自身が住む60階建て住居ビル前の通りに倒れているのが発見された。 クリストさんはこのビルの9階に住んでおり、亡くなる直前に29階のテラスに1人でいるところを目撃されていた。報道によると、2002年のミセス・ノースキャロライナに輝いた母親にすべてを残したいというメモが残されていたが、自殺の動機については触れられていなかったようだ。 「美しさと聡明さを兼備し、誰もが嫉妬するような人生だった」(関係者談) 2019年のミス・ノースキャロライナ、そしてミスUSAとして選出されたクリストさんは、ミスユニバース世界大会でトップ10入りを果たしていた。その後はテレビ番組の司会やレポーター、モデルなど、パブリックフィギュアとして活躍していた。 別の報道によると、ノースキャロライナ州のロースクールを卒業後、法学博士号とMBA(経営学修士)を取得。シヴィル・アトーニー(弁護士の権限を与えられた民事の専門家)として、不当な判決を受けた可能性のある人々のために無償支援するなど、司法制度の改革にも尽力してきた人物のようだ。 関連記事 クリストさんがミスUSAに輝いた2019年は、ほかにミスユニバース、ミスワールド、ミスアメリカ、ミスティーンUSAと5大会を黒人女性が優勝したエポックの年だった。 世界一の「美」の王冠は5大会すべて黒人女性へ【2019ミスコン】 亡くなった30日のインスタには… クリストさんは死亡した30日、インスタグラムに自身の顔写真と共に「May this day bring you rest and peace (Heart)」(この日があなたに安らぎと平和をもたらしますように(ハートの絵文字))と投稿していた。 その2週間前には、「Those January workouts been workin lol」(1月のエクササイズはちゃんと機能しているわ笑)とフィットネス・ウェアを着て、心身ともに健康そうな一面も覗かせていた。 またクリストさんはこれまでもさまざまな機会に、メンタルヘルス(心の健康)の啓蒙活動を行ってきた。例えば、2019å¹´10月には「世界メンタルヘルスデー」に寄せて、フェイスブックに以下のように発言をしていた。 「メンタルヘルスをどのように保っているか。私はたくさんのことをしています。その中でも私が行ったもっとも大切なことは、カウンセラーと話すことです。彼女は本当に話しやすく、特に私が悲しい時、ハッピーな時、忙しくなる直前に素晴らしいアドバイスをしてくれるのでおすすめです。カウンセラーを利用しない時は、ただ1人でくつろぐようにしています。携帯電話などすべての電源を切り、メッセージの返信もせず、ただお気に入りの映画を観て過ごすようにしています」 コロナ禍になった2020å¹´5月には、自身のセルフケアとし以下の情報も発信していた。(動画の1:05から) 「1つ目は、毎日の生活をルーティーン化し、規則正しい生活を送ること。毎朝午前6時45分に起きて、活動を開始します。2つ目は外界とはメリハリをつけてちゃんと距離を取るようにしています。午後6時にはメールの返信を止め、すべてのコンタクトを断ちます。3つ目は、体を健康に保ち頭をスッキリさせるため、定期的に運動をしています」 メンタルヘルスの健康のために尽力し、自身もさまざまな努力を行ってきたであろうクリストさん。一体何があったというのか。 ニューヨークでは、自殺を防止するために、24時間年中無休の無料相談電話が設けられています。 (市内)1-888-NYC-WELL(692-9355) (市外)1-800-273-TALK (8255)、もしくは SuicidePreventionLifeline.org ▽ 市内には、日本人心理療法士による相談機関「ハミルトン- マディソン・ハウス 日米カウンセリングセンター」もあります。 引きこもりから犯罪まで、精神疾患が原因? 在米日本人の苦悩や米事情を専門家に聞いた (Text by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人より一部転載)無断転載禁止