「クラフトビール」ブームを作った男 ブルックリンラガーが世界のビールになるまで【創業者インタビュー】

創業者のスティーブ。カウンター右端がいつもの指定席。© Kasumi Abe 水曜日の午前10時。テイスティングルームの2階にあるオフィスはとてつもなく広く、剥き出しの天井と柱がいかにもブルックリンぽい。「ようこそ」と笑顔で現れた創業者のスティーブ・ヒンディは、ストライプシャツの上にカジュアルなベストを羽織りジーンズ姿。いわゆる会社の「エライ人」というより、 どちらかと言うと同業者を思わせる。 私は大好きなブルックリンラガーの話を聞けるこの日を、とても楽しみに迎えた。スティーブに誘導され、スタッフが仕事をしているオフィスを歩く。右側の全面ガラスの向こう側にはミーティングルームが連なり、いくつもの戦略会議が行われているようだ。胸が高鳴る中、一番奥の部屋へと通されテーブルに着いた。 (以下、創業者スティーブ・ヒンディ氏のインタビュー内容) 80年代、戦場を駆け抜けた 私は1979年から5年半、ジャーナリストとしてAP通信で働き、中東地域に派遣されました。イラン革命時にはイランでアメリカ大使館人質事件をレポートし、イラン・イラク戦争時はバグダッドでイラク軍のすぐそばにいました。湾岸戦争時はベイルートで戦況を追っていました。特派員という仕事は大変やりがいがありました。 それがなぜブルックリンでのビール作りに至ったか。 妻エレンとのロマンスが関連します。札幌生まれのエレンとは16歳の時に出会い、彼女が大学を卒業した73年に結婚しました。私は24歳、エレンは22歳。私の就職のために北部アップステート・ニューヨークからニューヨーク市内に引っ越しました。しかしその後いろいろあって、私たちは離婚することに。ベイルートに派遣された後も、私はしばらく報道にのめり込んでいました。しかしある時ふと心の中で、エレンを恋しく思うようになりました。手紙を書き何度かのやりとりの後、彼女がベイルートまで会いに来てくれました。 最終的にはよりが戻り、私たちは戦時中のベイルートで再婚しました。子どもが生まれた後は、危険と隣り合わせのベイルートからカイロに引っ越し、2人目の子も授かりました。そんな訳で私たち夫婦は山あり谷ありですが47年間も一緒にいます(笑)。 そうこうしていたら、マルコス元大統領の件でフィリピンへの派遣要請がきました。私は嬉しくて意気込んでいたのに、エレンが幼子連れでのマニラ行きは嫌だと大反対。それで私は自分の意に反して84年に退職し、家族と共にニューヨークに戻って来たのです。 翌年から新聞社のニューズデイ(Newsday)の編集者の仕事を得ました。しかし私は全然ハッピーではありませんでした。世界を揺るがす場所で動き回っていた私にじっと机に座る仕事ができると思いますか? もちろん編集者次第でレポートの価値も上がってくるので良い編集者はとても価値があります。しかし私にとって編集職は見返りを感じられませんでした。オフィスを見渡すと、年寄りの白髪頭の同僚男性が、ネクタイを締めて机にひたすら向かっている。「これは自分がやりたいことではな~い」と思いました。 振り返ると、おそらくこれが起業への強いモチベーションになったのでしょう。 ビール作りは自宅キッチンから そのころ私は趣味で、自宅でビール作りを始めました。カイロで出会ったアメリカ大使館の外交官が、サウジアラビアに住んでいた時、アルコールを買えないので自宅で作っていたと教えてくれました。その時にビールって自宅でできるんだと知りました。 当時からニューヨークには、ビールやワインのホームブルワリーキットを販売する店がいくつかありました。ラガーは温度調整が大変だけどエールは簡単なので、最初はアンバーエールを48ボトル作りました。なかなか美味しかったですよ。ただし…ボトルに蓋を取り付けるのが一苦労でね。いつもボトル半分が破損し、ガラスの破片が散乱するわエレンには怒られるわ…。 それから2年後の87年に、トム・ポッターと一緒に創業しようということになりました。私はそれまで大企業に属していたわけですから、起業は大きな変化でした。事業を立ち上げるのは未知の世界で怖かったです。資金が持つか、売れなかったらどうしようか、など心配は尽きませんでした。 治安悪し=安い土地、ブルックリンで創業 ビールを販売したのは翌88年からです。今の場所よりもっと奥地のブッシュウィック地区で醸造していました。 その時代のブルックリンは、とても治安が悪かったです。日暮れ後は大男のトラックドライバーでさえも近寄らなかったほどでした。なんでそんな場所を選んだか?19世紀のビール醸造所の廃墟ビル(Otto Huber Brewery)跡地の2階が無料で貸し出されたからです。 しかしタダより高いものはありません。床はガタガタで、エレベーターとフロアの段差も大きく、ビールの搬出は相当骨の折れる作業でした。結局、有料(年間リースがスクエアフィートで1ドルと格安)の1階に移ったものの状況は変わらず。91年からウイリアムズバーグ地区にオフィスや倉庫を置きながら、88年から96年まで州北部のユティカ市で醸造していました。 ウイリアムズバーグの今の場所に醸造所とテイスティングルームを置いたのは96年のことです。 今ではウイリアムズバーグは、マンハッタンより不動産が高くなりました。しかし当時は倉庫や工場以外何もなく、年間リースがスクエアフィートで3ドルと格安でした。うちは35,000スクエアフィートなので当時の賃料は年間105,000ドル程度。今では60ドル以下は見つからないから、どれだけ安かったかわかるでしょう? 世界的デザイナーが手がけた「B」ロゴ誕生秘話 ブルックリンはもともとビール作りの盛んな街で、19世紀には48もの醸造所があったんですよ。76年に廃業するまで、この辺にも2つの大きな醸造所がありました。 だから私たちの創業時のキャンペーン(スローガン)は「メイド・イン・ブルックリンのビールを作り、この街に醸造所を復活させよう」ということでした。 私が最初に考えたブランド名は、地元紙からとった「ブルックリン・イーグル・ビール」。ブランド名が決まれば次はラベル作りです。エレンが「せっかく作るのだからトップ中のトップにお願いしては?」と言います。私の頭に浮かんだのは「I(ハート)NY」のロゴやボブディランのアルバムを手がけたミルトン・グレイザーでした。 早速彼のオフィスに電話をかけてみました。電話に出た女性は「あなた、ミルトンが誰だかお分かり?」と聞きます。私は「もちろん。それを承知で電話しています」と答えたところ「ミルトンは誰でも闇雲に会うわけではありませんよ」とあっさりと断られました。私のジャーナリスト魂がメラメラと燃え、こう返しました。「私はミルトン・グレイザーに会うつもりでいます」。その日から毎日電話をかけ続けました。 ある日その女性が「あなた、諦める気になったわけではないですよね?」と聞いてきたことがありました。私は「いいえ。私はミルトンと話をしたいのです」と答えました。彼女は「待って」と言い、ついにミルトンに繋げてくれたのです! ミルトンに構想を話したところ「それは楽しそうだね。会いにおいで」と招いてくれました。そうして出来上がったのが87年に完成した「B」のロゴです。 《誕生》「クラフトビール?何それ?」 ただし、事業はまったく思うようにいかなかったです。ニューヨークはビジネスをする上で過酷な街です。「俺たち、ビールを作っているんだ」と言って「おぉ、すごいね!じゃ100ケースオーダーするよ」…とはなりません。たいてい「そうなんだ」で終わる。クラフトビールがまだ浸透していない時代ですから、「そもそもクラフトビールって何だよ?」という反応でした。 《衰退から復活まで》資金が底尽き、二足の草鞋 91年には会社の資金がとうとう底を突いてしまいました。社員への給料はかつかつ支払えたけど、私とトムの給料がまったく出ない状態に。当時湾岸戦争が勃発し、私はニューズデイから戻らないかと声をかけられ、午前中はブルワリーのオフィスで営業電話や顧客訪問をし、午後から42マイル(約67km)離れた新聞社で真夜中まで働く生活になりました。トムは1人でここを回し髪の毛が真っ白になりました。事業がこれからどうなっていくのか、不安でいっぱいでした。 事業が好転したきっかけですか? 94年にギャレット・オリバー(Garrett Oliver)がブルーマスターとして働き始めたことが大きいですね。彼に商品開発を任せるようになってから、ブルワリーを立て直すためにより多くの資金を調達できるようになりました。 ギャレットはうちの各種ビールの生みの親です。美しいビールを創り出すことにいつも情熱を燃やしている素晴らしい「アーティスト」でもあります。 ある日、ギャレットとミルトンの共通点に気づきました。共に天才で、共に自分たちのビジョンを持っています。だから他人が彼らの仕事について、あれこれ口を出せない、そのような存在です。 ビジネスを成功させる秘訣とは? 1. ロゴ(ブランディング) 私たちは初期の初期に大切なことをしました。それはブランディングです。 先のミルトンの話には続きがあります。打ち合わせで彼にブランド名を話したら、彼が「イーグルはいらない。シンプルにブルックリンラガー、ブルックリンブルワリーにしよう」と言いました。その言い分はこうでした。「ブルックリンで事業をしようとしている。そして誰も土地名を名乗っていない。だからブルックリンにフォーカスしよう」。ただし、今ではクールなイメージの土地柄ですが、先述のように30年前は良くなかった。「ブルックリンブルワリーという名にする」と人に言っても「えええ?」という反応でした。 また、こんなこともありました。ミルトンができあがったロゴを見せてくれた時のこと。そこには「B」とだけ書かれてあります。私は思わず「え、これだけ?」と聞きました。彼は「何も言わずに持って帰り、多くの人に見せず、キッチンのテーブルに置いて奥さんだけに見せてごらん」と言います。その通りにしたところ、Bのシンプルな美しさが浮き立って見えるようになりました。かつての球団ブルックリン・ドジャースを始めとするこの地のスポーツの歴史も呼び起こすものでした。でもノスタルジーとは違い、逆に新鮮で新しくスマート(賢さ)だった。これらはミルトンから教わったことです。 2. 流通(ディストリビューション): 近所にソフィア・コーリヤ(Sophia Collier)という女性起業家が住んでいました。彼女はSoho Natural Sodaという会社を興した人で、事業をアパートの1室でスタートし成功した人だから、私たちはとても刺激を受けていました。 ある日彼女と会う機会があり、ミルトンのロゴを見せたら、彼女が「主流ビールとは異なり素晴らしい。さすがミルトンだ」と褒めてくれました。「しかし、デザインがいいからと言って胡坐をかけませんよ」と言います。ディストリビューション(流通)なしでは事業は難しい、と。彼女は健康食品のディストリビューターを使って売ろうとしたけどうまくいかず、ソーダに特化したディストリビューターもだめ、最後はバンを購入し、ロゴをつけ、自分たちで運転し販売してみてやっとうまくいったということでした。…

053 スターシェフによるブルックリンの名イタリアン「Misi」

以前このコラムでも紹介した、ミシュランガイド・ニューヨーク版の二つ星を毎年獲得している「Aska」など、ブルックリンのサウスウィリアムズバーグは近年、さまざまな名店が集まる、フーディーたちに注目のエリアです。 手打ちパスタルームがお出迎え 「Misi」を訪れると、広くて清潔感のあるパスタルーム(手作りパスタ作業場)で職人が作業をしている様子が全面ガラスからうかがえ、胸が高鳴ります。ここは作業場のみならず、24人までのプライベートディナーにも使えるスペースです。 お店の中は白と黒の2色と木目調が基調の、シンプルで洗練された北欧風のインテリア。調理場がオープンキッチンになっていて、シェフたちがすぐそばで働いている様子もうかがえ、活気が伝わってきます。 名店リリアの姉妹店 なぜこの店が人気で、予約が取りづらいのかと言うと、オーナー&シェフがミッシー・ロビンズさんだからです。ミッシーさんは、料理界のアカデミー賞と言われるジェームズ・ビアード財団賞など、数々の受賞歴があり、彼女が2016年に最初に手掛けた店は、ニューヨークタイムズ紙により三つ星レストランに選ばれた、同じくブルックリンの「Lilia」です。「Misi」はそれに続く2軒目のイタリアンレストラン&バーとして、18年9月にオープンしました。 ミッシーさんは、以前シカゴにあるイタリア料理の名店「Spiaggia」で2003年から5年間、エグゼクティブシェフとして調理場に立ってきました。 その後ニューヨークに戻り、「A Voce Madison」と「A Voce Columbus」のエグゼクティブシェフとなり、在職中はずっとミシュラン星を獲得。10年には、『フード&ワイン誌』の「ベスト・ニューシェフ」の1人として選ばれています。 「『Misi』のシグネチャーフードは、パスタ料理に加え、季節の野菜を使った料理です」と広報のエレノア・メイヤーさん。人気店なので、ゴールデンタイムを狙うなら早めの予約が良いでしょう。 [by Kasumi Abe and Evan Sung]All images and text are copyrighted. 本稿はWeekly NY Japionのコラム 、安部かすみ(Brooklyn本著者)が案内する「古くて新しい、とっておきのブルックリンへ」からの転載。無断転載禁止

伊ローマ発で世界展開、本格的なモッツァレラ&ピッツェリア (ニューヨーク店)

Obicà Mozzarella Bar, Pizza e Cucina(オービカ・モッツァレラ・バー・エ・クッチーナ)は世界初のモッツァレラ・バーを謳った、モダン&カジュアルな本格的ピッツェリアのお店です。Silvio Ursini氏が2004年にイタリア・ローマで創業しました。 天井が高く、奥に広く、ガヤガヤととても活気がある店内 (c) Kasumi Abe 店名の一部にもなっているモッツァレラチーズ(9-16ドル)は、イタリアから定期的に空輸されるカンパニアの水牛の牛乳のみを使用しとても新鮮です。クラシックタイプのものからブラッタなど、6種類がそろっていて、3種類を少しずつお試しできる「モッツァレラ・サンプラー」(24ドル)もおすすめ。 店内奥の石窯で焼かれる本格的なピザも外せません。どれもクラストがふんわり、サクサクしています。中でも筆者のおすすめは、2種類のチーズがたっぷりでリッチな味わいの、ポルチーニ茸、タレッジョ、バッファローモッツァレラのピザ、Porcini E Taleggio(写真下)です。 Porcini E Taleggio(24ドル)(c) Kasumi Abe お腹に余裕がある場合は、パスタもオーダーしてみてください。幅広の平麺、パッパルデッレに濃厚なラグー(イタリアのミートベースのソース)が絡んだPappardell(一番上の写真)も試してほしい1品です。ラグーに絡むほのかに酸味のあるオレンジの皮の香りがポイントです。 現在はイタリア国内に10店舗、イギリスに4店舗、アメリカに3店舗(うちニューヨークには2店舗)、そして日本には六本木ヒルズや東京ミッドタウンなど5店舗と世界4ヵ国に22店舗展開中です。 [All photos by Kasumi Abe]All images and text are copyrighted. 本稿はTabizineに寄稿したものを一部加筆修正したもの。無断転載禁止

新型コロナウイルスに関するNY最新現地事情まとめ(1)マスク篇

旅行、もしくは仕事や留学でニューヨークを訪れる方も多いと思います。いくつか関連記事を書いているので、ここでまとめたいと思います。 第1回目は日本でも品切れの「マスク」事情について。   2月3日(月)の週になって、ドラッグストアにマスクを買いに行ってみたところ、見事に売り切れ状態でした。 マスク姿は「ウイルス持ち」「病気」のようなイメージを人々に与えかねないため、滞在中に予防用マスクをする際は十分気をつけましょう。 【新型コロナウイルス:速報】ニューヨークの最新現地事情とアメリカ人のウイルス防止対策 (2.8.2020) これについては、マスク姿のアジア人女性と男性が地下鉄の駅でいざこざになり、女性が男性に暴行されているところがSNS上で拡散され話題になりました。2人の間に何が起こったかは知る由がありませんが、中にはピリピリしている人もいるのは間違いないでしょう。 また私の知り合いの女性も先日地下鉄の駅で、防止用のためにマスクをしていたところ、通りすがりの女性に「病気を移さないで」と言われたそうです…。   街中や電車内でマスクをしている人はほんの一部(筆者の感覚では0.5〜1%ほどの割合)なので、おそらく転売業者などが買い占めているか、華僑が自身で使用したり、中国の家族や親戚に送るなどしているのかもしれない。 価格はやや高いが(2枚で5ドル=約500円)、路上などでは現在このように販売されていたりもする。 NYで初の感染者、全米で死者6人 パニックで水や米の買い占め騒動に? (3.3.2020) マスク不足と言っても、あるところにはあるんですよね。(箱から出されたマスクの衛生面が気になるところですが…) ちなみに私は、2月上旬に薬局でスタッフに尋ねたところ、始めは「売り切れ」と言われたのですが、後で倉庫の隅に残っていた「最後の1個が残っていた」と持って来てもらいゲットでました(上写真)。 アメリカ国内には需要に応じて、4,300万枚のマスクの供給準備があり、今後もさらに製造、入手可能の予定。 (その後、マイク・ペンス副大統領が「医療関係者や感染の疑いがある人以外は、マスク着用の必要性はまったくない」とフォローし釘を刺した) 新型コロナで初の死者も専門家により封じ込めに自信 「パニックになることは何もない」トランプ大統領 (3.1.2020) CDC(アメリカ疾病管理予防センター)では「マスクは健康な人には必要ない」と発表されています。そういう事情で、感染者が出たニューヨークでもいまだにマスク率は低いです。私もまだ、マスクは着けたことはありません。 以上、旅行や滞在の際の参考になれば幸いです。 (Photos and text by Kasumi Abe) 無断転載禁止

美食家が唸る名実共に世界一 NY最高級のニューアメリカンを体験してきた「Eleven Madison Park」

水曜日の午後9時半すぎだというのに、店内は満席です。「ホンモノ」だけを知っている世界中の美食家の社交場的な存在である最高級レストラン、Eleven Madison Park(イレブン・マディソン・パーク)。 料理界のアカデミー賞と言われるJames Beard Foundation Awardで「アウトスタンディング・シェフ」にも選ばれた奇才、ダニエル・ハム氏が腕を振るう店。2017年には世界のトップレストランを決める毎年恒例のWorld’s 50 Best Restaurantsで、世界1位の名誉を獲得。またミシュランガイドのニューヨーク版でも、最高の三つ星を毎年取り続けています。 8-10品のテースティングメニュー ここで提供されるのはコンテンポラリー・アメリカ料理。季節や新鮮な食材の調達具合に応じて内容が変わる、8-10品のテースティングメニュー(1人335ドル。バーは5品コースで1人175ドル。税別、ドリンク別、チップ込み)を楽しめます。 この日(1月末)のメニューの中から私が選んだのは、 新鮮なキャビアと甘くないセイボリー・チーズケーキ(チョウザメ燻製入り、写真上、テーブルサイドで盛り付けてくれます) フォアグラのコールラビと生姜添え、ロブスターとマテ貝(ウニソース添え) その場で作ってくれる新鮮な自家製豆腐(写真上、黒トリュフをふんだんにかけてくれます) 仔牛の柔らか〜い頬肉 など、デザートも含め目にも舌にも楽しい全9品でした。 どれもが芸術品とも言える素晴らしい味と香りと盛り付けで、ペアリングのワインとの相性も完璧です。(ドリンクはオプショナル。ワインペアリングは2種類 – 1人175ドルと315ドル – から選択) 食事後、スタッフがこの日のメニュー表と、朝ごはん用の手作りグラノーラ(同店オリジナルの専用保存ケース入り)、そして同店オリジナルボトルのアップルブランデーのLaird’sを丸々1本を持って来てくれました。 心からのサービスに感激しきり。 通常の店はおもてなしと言えども、顧客が話をしている所に割って入るサーバーがいるところも珍しくない中、このお店は味、食材の品質、ホスピタリティー(おもてなしと心配り)、エンターテイニング、すべてが二重丸でした。 翌朝、手作りグラノーラがまた何て美味しかったことか! それをいただきながら、前夜の「夢」に改めて浸ったのでした。 予約について:(ウェブサイトによる完全予約制で、フード料金は予約時に支払う) [All photos by Kasumi Abe]All images and text are copyrighted. 本稿はTabizineに寄稿したものを一部加筆修正したもの。無断転載禁止

052 近隣クリエイターが夜な夜な集まる、クラフトカクテル・バー 「Yours Sincerely」(NYブルックリン)

知り合いのクリエーターが「ブッシュウィックに、近隣のアーティストなどがよく集まるおしゃれなカクテルバーがある」と教えてくれました。聞けばただのバーではなさそうです。真っ暗な店内に引き込まれるように入りました。 タップは全部で31種類 店の看板には昔の趣のあるコカコーラ・マークがあり、一見「これ何の店?」と思いました。「昔キャンディーストアだったのを、前のオーナーがAirbnbとして使い、2015年大みそかに今の形態のバーになりました」と話すのは、店の代表マークさん。 バーカウンターにズラリと並ぶタップから、「Yours Sincerely」がただのカクテルバーでないことが分かります。聞けばここのカクテルはすべて「ドラフト」だそう。全部で31種類で、中にはクラフトビール、ウイスキー、赤&白ワイン、手作りソーダも。タップワインは飲んだことがあるけど、タップカクテルは経験なし。早速いただきました。 まずはホワイトラム、ライム、シンプルシロップなどで作られたダイキリの「Lab Rat」から(10ドル、毎日5〜8pmはハッピーアワーで5ドル)。フレッシュで飲みやすく、喉をリフレッシュしてくれます。軽量のために使われているガラス製ビーカーもおしゃれ! 冬季は温かいカクテルも飲みたくなります。「Re-Animator」(11ドル)はイタリアの食前酒カルダマロに、ビターリキュールのブランカメンタ、コーヒー豆が入っていて、おなかの中から体を温めてくれます。 隠れメニューも どれを注文していいか分からない場合も心配ご無用。メニューには「デシション・メーカー」(判断決定表)の図解があります。 例えば、軽くリフレッシングしたいか、思いっきり飲みたい気分か、好みの味は甘めかドライか、ハーブが効いたものか、トロピカルか…。きっと自分好みの味にたどり着けます。ぜひお試しを。 またあまり知られていませんが、メニューにブラックライトを当てると、隠れメニューも浮き出してきます。遊びゴコロいっぱいのバーです。 フードはないけど、隣のレストランからBYOB(持ち込み)してよいとのこと。良心的なのもうれしいです。 [by Kasumi Abe]All images and text are copyrighted. 本稿はWeekly NY Japionのコラム 、安部かすみ(Brooklyn本著者)が案内する「古くて新しい、とっておきのブルックリンへ」からの転載。無断転載禁止

アルゼンチンの茶の湯、マテ茶専用カフェ「Porteñas Yerba Mate」in ニューヨーク

ブルックリンの街歩きでちょっと休憩したいとき、一風変わったカフェでお茶したいときはこちらがおすすめ。お店は、ウィリアムズバーグ地区にあるPorteñas Yerba Mate(ポルテニアス・イェルバ・マテ)。 ここでは、アルゼンチン人にとっての茶の湯、イエルバ・マテ茶をいただけます。専用カップ、Gourd(ゴード、グァンパ、写真上)で飲むのですが、下に行くほど苦味とコクがあって美味しいのです。 上品な甘みのイエルバ・マテ茶クリームブリュレとの相性もgood! 2020年2月に発売されたばかりの新商品、イェルバ・マテ茶入り(砂糖不使用)の栄養系フルーツジュース(5〜8ドル)。朝のエネルギー補給や肉料理ばかりが続いたときなどに飲んでみてください。 過去記事はこちら [All photos by Kasumi Abe and Porteñas Yerba Mate]All images and text are copyrighted. 本稿はTabizineに寄稿したものを一部加筆修正したもの。無断転載禁止

アート発信地をチェルシーからハーレムにする男 WhiteBox, ニューヨーク

NYのハーレムで行われた茶会 日本の茶会が、ハーレムのアートスペースで開催されると聞いて驚いた。 ハーレムと言っても最近キラキラした大型商業施設が立ち並ぶ都会の方ではなく、東側の「スパニッシュハーレム」だ。スパニッシュハーレムと言えば、ニューヨークにいる(いた)人はわかるが、治安が良くない地区としてのイメージが今でもある。そこで本格的な茶会が今晩行われるという。 何だか刑務所?のような大きくて重い鉄格子をゆっくりと開ける。 だだっ広いアートスペースが目の前いっぱいに広がった。 冷たい無機質な床に、温かみのある手触りのよい畳が敷かれている。茶の講師が座り、彼女を取り囲むように3人が畳に、別の3人が椅子に座り、お点前をちょうだいしていた。(そのほかにも多くの人が立って見物) 静寂の中、きちんと正座した女の子もいて可愛い! ここにいる誰もが茶の世界に敬意を表し、中には熱心に質問をする人も。ハーレムがこんなことになっているとは誰が想像したか。 場所はWhiteBox Harlem(ホワイトボックス・ハーレム)。2月1日から29日まで「Painter was called outlaw」というテーマで行われている展示会の中での1コマだ。 ここで日本の芸術を中心にキュレーションを行なっている佐藤恭子さんによると、期間中、日本人芸術家(長谷川利行、松本竣介、麻生三郎、宮崎進)の戦時中に日の目を見ることがなかった作品を展示し、その一環として茶会イベントを催したそう。これらの芸術家は、昔の日本では「アウトロー」(無法者)扱いされてきた。皆他界されているが、自分たちの作品が時を経て外国でお披露目とは、きっと誇らしげに思われていることだろう。 最近私は茶会のご縁が多い。この日も改めて茶やアートを含む日本文化の奥深さは、アメリカ人の興味を引くものだと実感した。 NYマンハッタンの中心地にあるお茶室と、そこで定期開催される本格茶会【ニューヨーク】 あるアートの専門家との興味深い会話 さて茶会が終わり、せっかくなので展示されているアート作品を見て帰ることに。 そこに来ていた、ニューヨークのブロンクス区でアート関連の仕事を長年しているという年配のルイスさんと、ある作品の前で立ち話になった。 ルイスさんと作品の前でお互いが感想を言い合ったのだが、会話の中で政治という意味のpoliticsという言葉が彼の口から幾度となく出てきた。私はこのアートの場でまったく予期しなかった言葉が出てきたので一瞬思考が止まり、彼が何の話をしているのか混乱するほどだった。 しかし彼はアートの長年の専門家だ。彼の言っていることは、おそらく「正しい」のだろう。だが私は昔から思ってもみないことを言ったり同意するのが苦手である。正直に理解できていないことを恐る恐る伝えてみた。 そうしたらルイスさん、「この前〜〜で出会った女性が」とさらに混乱する話をし始めるではないか。私の脳内はさらに「???」。ついに「話の腰を折るようで申し訳ありませんが、ちょっと話に着いていけていないかもです…」と伝えたところ、ルイスさんは「私はあなたから今、違う見方を学んでいます。これがアートの面白いところです」と言った。 同じ1つのオブジェクトを見ても、それまで生きてきた経験や知識をもとに、ある人は「政治的」だと感じ、またある人はまったく別のことを感じる。彼が以前出会った女性との会話は、それを彼に気づかせてくれた最初の出来事として、いつもこのようなシチュエーションで思い出すそうだ。 ルイスさんとの会話は私にも学びをもたらしてくれる興味深いものだった。わからないことはわからないと正直に伝える大切さ、そして正解というものがないアートの奥深さや面白さを改めて気づかせてくれた。 ハーレムを次のチェルシーにする男 ここにはもう1人興味深い人物がいた。 このスペースのオーナーで、スペイン出身のファン・プンテス(Juan Puntes)さんだ。彼はその昔、現代アートの発信地、チェルシーにWhiteboxを構えていた。そこが飽和状態になりローワーイーストサイドにスペースを移し、1年前にこのスパニッシュハーレムに引っ越してきた。 聞けば、このだだっ広いスペースは以前は消防署で、大昔は馬車の倉庫だったそう。道理でだだっ広く、ドアも重く、室内奥にも大きな倉庫っぽいドア跡が残っているわけだ。 実はこのWhiteBox Harlemの隣も、別のアートスペースなんだとか。 チェルシーに未だ集まる多くのギャラリーの賃貸契約の更新の時期が今から約10年前で、それ以降はローワーマンハッタンやブルックリンが次のチェルシーになるだろうと言われて久しい。「なぜこのギャラリーはブルックリンを選ばなかったのか?」と聞くと、彼はこのように答えた。 「ブルックリンは若すぎる。もっと成熟した市場が欲しかった。まさかハーレムのしかもスパニッシュハーレムとは、誰もが驚くけど、次(のムーブメント)はここさ」 「ついでに言っておくと」と彼は続ける。 「ここはギャラリーではなく、オルタナティブ(代替的)なアートボックスと僕らは呼んでいる」とあえて、ギャラリーという言葉を否定した。 NPO形態で運営し、ニューヨークの通常のギャラリーのように作品を販売しているわけではなく、grant(企業などからの補助金)で賄っていると言う。 地下フロアでは2月8日から3月1日まで、中国・武漢在住のアーティスト、ケ・ミン(Ke Ming)さんによる作品展もちょうど行われている。 すごいタイミングだが、これはまったくの「偶然」だそうだ。新型コロナウイルス騒動から随分と前に企画されたもので、そして残念なことに、ケさんは今回の騒動で来米できず、展示会に来れなくなってしまった。(ファンさんは武漢の人々を助けるべく、期間中は会場で募金活動も行なっている) ここではほかにも、中国北部出身のアーティストで来月この地下で自身の展覧会をするタンさんや、2ヵ月前にニューヨークに活動拠点を移したばかりの芸術家、野村在さん、そして千住博さんのところで10年ほど働いていたという原田隆志さんらにもお会いした。 アートはまったく専門外で普段はあまりご縁がないが、たまにはそういう所にも足を運んでみるものだ。こんな面白い人々との出会いが待っているのだから。 ちなみにルイスさんとの会話のその後だが、私もルイスさんも作品を見ながらしばらく別の人々と会話を楽しんでいた。そのうち彼は「またどこかで会いましょう」と軽く挨拶し去っていった。 連絡先も交換せず、ご縁があればまたどこかで。何とも後腐れのないニューヨークらしい出会いだ。 [All photos by Kasumi Abe]All images and text are copyrighted.

Zero Waste Danielのランウェーのないショーfrom NY ファッションウィーク2020

2月3日から12日まで開催中の「ニューヨーク・ファッションウィーク」。市内ではさまざまなファッションショーが催され、ファッション関係者やモデルなど世界中のおしゃれピープルが一堂に集まっている。 (続きを読む)「使い捨て文化でしたか?」21世紀最先端のファッション哲学がNYファッションウィークで開花 [All photos by Kasumi Abe]All images and text are copyrighted. 本稿はYahoo! Japan News個人からの転載。無断転載禁止

051ファッショニスタに支持されるブルックリンの古着屋「Antoinette Brooklyn」

上質の「一点モノ」が見つかる! 「元気〜?」と近所の人々が次々に訪れ、オーナーのレキシィにあいさつします。2011年のオープンから9年。「(常連の)彼女は子供の頃から知っていて、親のような気持ちよ」とレキシィ。 世界中のファッショニスタに支持される「Antoinette Brooklyn」では、何十年も前に生産されたアルマーニ、ヴァレンティノ、ミッソーニ、バーバリー、アン・クラインなど、質と価値の高い1点モノの衣類や小物が並びます。 バイヤーでもある彼女の審美眼でセレクトされるのは、1940年代モノから98年モノまで。彼女いわく「ヴィンテージの定義には最低20年必要」で、2000年モノも入りそうですが、98年までと決めているのは訳があります。「ファストファッションは買わないの」。 おおよそ90年代後期から世界中に拡大していったファストファッションですが、環境に与える汚染問題や生産地の劣悪な労働環境は深刻です。「中国で大量生産された衣類は繊維の質が悪いから、すぐ毛玉ができて耐久性がないの。それ以前のアメリカ産の衣類は毛玉などできなかった」。確かにそうですね! 目からうろこでした。 接客中によく聞こえてくるのは「これは日本のデザイナーによるものよ」という会話。日本ブランドも彼女に認められています。 セレブの来店も多い 彼女は以前GAPジャパンで働いていたこともあり、日本が好きで、スタッフも日本人です。HBOのドラマ『ザ・デウス』の衣装スタッフが番組用に、また有名ブランドのデザイナーが昔のデザインを参考にするために、購入したりするそうです。 「日本人の顧客も多いわよ。ローラさん、米倉涼子さん、大島美幸さん、舟山久美子さん、松岡モナさん、植野有砂さんたちも来てくれたわ」 招き猫の影響は絶大のようですね! [by Kasumi Abe]All images and text are copyrighted. 本稿はWeekly NY Japionのコラム 、安部かすみ(Brooklyn本著者)が案内する「古くて新しい、とっておきのブルックリンへ」からの転載。無断転載禁止