NY市が決別するトランプ・オーガニゼーションって?… 意外なスポットも「トランプ帝国下」だった

アメリカ下院本会議は13日、トランプ大統領に対して弾劾訴追決議案を賛成多数で可決した。 トランプ氏は「大がかりな魔女狩りの続きだ。すさまじい怒りを引き起こすことになるだろう」と同決議案に強く反発していたが、2019年のウクライナ疑惑に続いて2回弾劾訴追された、全米史上初の大統領となった。 同日ニューヨーク市では、ビル・デブラシオ市長がMSNBC局の朝のニュース番組に出演し、トランプ・オーガニゼーションが市内で運営する4つの人気アトラクションとの契約を打ち切る予定であることも発表されていた。 契約は数百万ドル(約1億円)規模とされているが、同市長は「政府組織に対する反乱の扇動は、明らかに犯罪行為だ。企業とそのトップがそのような違法行為を働いている場合、契約破棄の権利は我々にある」と述べた。さらに「ニューヨーク市はトランプ・オーガニゼーションとは今後何の関係もなくなる」と、トランプブランドや関連事業との断交を強調した。 トランプ・オーガニゼーションとは? トランプ・オーガニゼーションとは、世界中に広がる500ものビジネスを擁する一大グループ企業のことだ。 不動産事業が核となっており、それに付随する商業および住居用ビル、ホテル、リゾート、ゴルフ場、ワイナリー、カジノ、航空、メディア、小売、飲食、ホスピタリティーなど数えきれない。関連事業全体で働く従業員は2万人を越えるとされている。 その中には、五番街のトランプタワーといったわりと有名なスポットから、セントラルパークのアイススケート場やメリーゴーランド、高級フレンチレストラン「ジャン・ジョルジュ」など意外なスポットまで含まれており、ニューヨーク観光の際に何の気なしに訪れたことがある人も多いだろう。 ニューヨーク市が運営面で何らかの契約を締結しているのは、うち4事業だ。セントラルパークのアイススケート場「ウォルマンリンク」と「ラスカーリンク」、そしてメリーゴーランド「カルーセル」、そしてブロンクス区のゴルフ場「トランプ・ゴルフ・リンクス」の4スポット。 特に2つのスケート場とメリーゴーランドは映画でもおなじみの人気の観光名所であり、一般市民(特に子連れの家族)にも親しまれているものだ。だから、筆者も(おそらく大多数の市民も)、これらがトランプ組織の傘下だとは、このニュースを聞くまで知らなかった。 市の突然の決定に対して、トランプ氏に代わり2017年から運営に携わっている次男のエリック・トランプ氏はABCニュースで、「デブラシオ市長の無能さを露骨に表した最たる例であり、政治的差別以外の何ものでもない」と反撃。「ニューヨーク市に我々との契約を強制終了する法的権利はない。市がそれでもプロセスを進めるとなれば、我が社に3000万ドル(約30億円)以上の債務を負うことになる」と威嚇し、市に対して宣戦布告した。 トランプ・オーガニゼーションと言えば10日にも、全米プロゴルフ協会(PGA of America)が、2022年の全米プロ選手権を同オーガニゼーション所有のゴルフ場「トランプ・ナショナル・ゴルフクラブ」(ニュージャージー州)で開催しないと発表したばかりだった。 トランプ氏が訴える「現代の魔女狩り」は、トランプブランドの失速まで及ぶか。 関連記事 今年最初の「悪夢」… 怒りのトランプ支持者が議事堂を占拠しカオス状態に トランプ支持者は、厳重なハズの議事堂を「なぜこれほど簡単に」襲撃できたのか? ── 現地で深まる謎 跡形もなくなったトランプ氏ツイッター。世界のリーダー7人はビッグテックの制裁をどう見たか? 次期駐日大使にトランプの長女、イヴァンカ・トランプが浮上。その噂について現地の声を聞いた(’06) (Text by Kasumi Abe  Yahoo!ニュース 個人より一部転載)無断転載禁止

 NYタイムズスクエアの年越しカウントダウン  コロナ禍で史上初「無観客」

日本から14時間遅れて、ニューヨークでも年が明けました。 新年おめでとうございます! 当地の一番有名な年越しイベントは、タイムズスクエアのカウントダウン。 ボールドロップが始まったのは1907年(イベント自体は1904年)のこと。それ以来、100年以上にわたって毎年この地で行われてきたのですが(第二次世界大戦下の1942年、43年を除く)、コロナ禍の今年は史上初の無観客&バーチャル形式で行われました。 現地時間12月31日午後6時~翌0時15分(日本時間の2021年1月1日午前8時~午後2時15分)、ウェブキャスト、Facebook、Twitterなどで生配信されたため、日本から観た人もいたかもしれません。 招待された人は、スポンサー企業関係者に加え、今年のヒーロー的存在である医療現場の最前線で働いているファーストレスポンダー、医療従事者、教師など一部のエッセンシャルワーカーと家族のみ。 そうは言っても教師だけでも相当な数いる中で、「どうやって選んだの?」と思っていたら、母親と一緒に参加していたある教師の女性は「勤務先の学校でインタビューを受けて選ばれた」と言っていました。面接に加えて数が多い場合は抽選などで選ばれたのでしょう。 このボールドロップの参加者は毎年、基本的に観光客もしくはニューヨークに移住したばかりの人が多く、地元の人は少ないので(極寒の中で早朝から場所取り、トイレなし、など過酷な状況なため)、今年は1年間の感謝も込めて、このように「ヒーローたち」に開放できてよかったと思います。また市がこのような形で彼らに敬意を表したというのも好感が持てます。 ライブパフォーマンスとして、グラミー賞を2回受賞したディスコソングの女王グロリア・ゲイナーがコロナの年にふさわしい“I Will Survive” や “Joy Comes In The Morning” “Never Can Say Goodbye”を披露(パワーみなぎる若々しいお姿と歌声。何歳?とググったら77歳!全然見えない…)。ほかにジェニファー・ロペス、ピットブル、シンディ・ローパー&ビリー・ポーターなども登場。 アンドラ・デイも、グラミー賞にノミネートされた“RiseUp”や“ForeverMine”、そして年が明ける直前には、ジョン・レノンの“Imagine”も披露してくれました。 これらの大スターがすぐそこのステージにいたんだけど、私など取材陣が入れるエリアからはスクリーンしか見れませんでした。音が聴けたのでよかったですが。 こんな感じで「異例」のボールドロップは今年も終わりました。例年に比べて人がとにかく少ないので迫力には欠けたけど、考え方によってはもう2度とないであろう(あって欲しくない)スタイルでのイベント。未だ感染拡大が止まらないコロナ禍において、withコロナ・イベントとしてはこのスタイルがもっとも適切だったのではないでしょうか。 2021年が皆さまにとっても、健康でより良い1年になりますように願っております! 2020-21年カウントダウン準備(インストール風景&おまけ映像つき) 2019-20年(コロナ禍直前)のカウントダウンの記事 2019-20年の動画 (Text, photos and video by Kasumi Abe) 無断転載禁止

「クリスピー クリーム」ドーナツ、NY中心地に復活 セックス・アンド・ザ・シティにも登場した人気店

私はこのクリスピークリーム(Krispy Kreme)ドーナツを食べると、いつも18年前、ニューヨークに来たばかりの頃を思い出します。 TVシリーズ「セックス・アンド・ザ・シティ」にも登場したということで、当時話題のドーナツでした。当時の私はマンハッタンのモーニングサイドハイツに住んでおり、すぐ近くのハーレムに住んでいた留学仲間がお気に入りっていうことで、ハーレムにあったこのドーナツ店に一緒に行ったのが始まり。店内奥に工場があって、そこで焼き上がったばかりの甘いドーナツをコーヒーと一緒にいただくのが、貧乏学生にとってのささやかな楽しみであり贅沢でした。 いつしかクリスピークリームはニューヨークから姿を消し、気づいたらペンステーション店だけ、あとはスーパーで見かける箱売りだけになっていったのです。 パンデミックの最中、タイムズスクエアに復活 そんな私にとっての「懐かしい味」が、今回ニューヨークに大復活しました。 オープンしたのは初の旗艦店。場所はNYの中心地、タイムズスクエア。時は2020年9月15日という新型コロナのアウトブレイク最中! 取材した、最高マーケティング責任者(CMO)のデーブ・スケナさん曰く、本当は5月オープン予定だったけど、パンデミックにより4ヵ月も遅れたのだそうです。 見える工場 店に到着すると右側の列はドーナツやコーヒー購入者用、左側は体験型と聞き「どういうこと?」と思ったら、店に入ってなるほど。 店内左部分は「見える工場」になっていて、目の前でドーナツが作られている様子を「工場見学」できるようになっています。1時間に4500ものドーナツが作られていると言います。CMOのデーブさん曰く「世界中にある同社他店と比べて、旗艦店の工場は最大規模」。 消費者側からすると、目の前で作られている様子を実際に確認できるのは、安心ですね。 新店舗のコンセプトは「スタジアム型」だそうで、見える工場の向かい側には、野球場のようなシートがありました。つまりドーナツができる様子(試合)をそのシートから「観戦」できるというわけです。 エンタメはこの店の1つのテーマで、時折スタッフが全員で、急に楽しげに掛け声をかけて歌い出します。なんだかこのガヤガヤした熱気が、野球観戦にでも来たように気分を盛り上げてくれ、店内でもドーナツを買うのに待ったのですが、自然と楽しい気持ちになれました。 リピートする楽しさ 顧客に「リピートさせる」いくつかの工夫も見られました。 まず1つは、オリジナルグッズの豊富さ。 店の敷地の半分がグッズ販売コーナーになっています。売られているものは、各種Tシャツ、エコボトル、マグカップ、キーホールダーなど。NY観光シーズンがまた復活したら、お土産を買うのにおすすめです。 2つ目は季節ごとに変わるドーナツ。今の時期はパンプキンドーナツでした。 NY店限定ドーナツ「ビッグアップルドーナツ」(Big Appleにかけて)もあります。10.99ドルと割高ですが、CMOのデーブさんは「今のところトップセラーは、このりんごドーナツなんです」とのこと。 私のお気に入りは当時も今も「Original Glazed」(1.99ドル)と「Chocolate Iced Kreme Filled」てやつです。機会があればぜひ食べてみてください。 10年ぶり?15年ぶり?に食べたドーナツの感想はというと… フワフワ、超甘〜い、でも美味しい!通っていたハーレム店とあの頃の日々を懐かしく思い出しました。 この旗艦店は、今年のクリスピークリームの拡大戦略の一環であり、市内では今年だけでも新しく7店舗をオープンし、400人以上の雇用を生み出す予定だそうです。 (Text and photos by Kasumi Abe) 無断転載禁止

056 Black Lives Matter 巨大路上アート出現

白人警官に殺されたジョージ・フロイドさんの死をきっかけに、全米に広がった、BLMことBlack Lives Matter(黒人の命は大切)ムーブメント。ごく一部の過激派や犯罪者により、暴動や略奪にも発展しましたが、現在は沈静化し、平和的にデモが続けられています。そんな中で現れたのがこの路上アートです。 DCに続きNYにも 6月5日、ワシントンDCでBLM関連の巨大ミューラル(=ミューロ、市公認の路上アート)が完成し、話題になりました。ニューヨークのデブラシオ市長も「われわれも、力強く叫ばれているBLMパワーを(市民に)感じてほしい。市は全面的にバックアップする」と言い、市内5区全てでのミューラルの完成を約束しました。 DCでの完成の1週間後、ブルックリンに市内初のミューラルが完成しました。場所は、人口の65%を黒人が占めるというベッドフォードスタイヴサント地区。この一角のフルトン通りに完成したのは、ビビッドな黄色で描かれた「Black Lives Matter」の巨大文字。早くも街並みにとけ込んでいます。約1ブロックいっぱいに描かれ、全長約114メートル、幅約8.5メートルもの大きさです。 アーティスト30人参加 プロジェクトを指揮したのは、ビリーホリデー・シアターのエグゼクティブ・アートディレクター、インディラ・エトゥワルーさん。著名アーティストのセイ・アダムスさんとダウッド・ウエストさんらがリードし、ブルックリンで活躍する約30人のビジュアルアーティストが共同で作業。13日に開始し、1日で完成しました。 またミューラルの傍には、人の形をした像もあります。フロイドさんの他に、NYPDに殺された黒人の犠牲者の名前がグラフィティー調のフォントで刻まれています。人々の記憶にいつまでもBLMの理念が残り、コミュニテーィの士気を高めてくれそうです。 ミューラルは、全米では他にもロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトル、オースティン、シャーロットなど多数の街で誕生中です。マンハッタンでは、五番街のトランプタワー前の道路も予定されています。2020年を代表するBLMのシンボルとして残されていくでしょう。 フルトン通りに面した雑貨店、ニコラス・ブルックリンに入ってみました。お香やアロマオイルが充実していました (c) Kasumi Abe ミューラルのそばには、フロイドさんをはじめとする犠牲者の名前が描かれた像も展示されています (c) Kasumi Abe [by Kasumi Abe]All images and text are copyrighted. 本稿はWeekly NY Japionのコラム 、安部かすみ(Brooklyn本著者)が案内する「古くて新しい、とっておきのブルックリンへ」からの転載。無断転載禁止

新型コロナウイルスに関するNY最新現地事情まとめ(3)ロックダウンまでのタイムライン篇

日本でも緊急事態宣言が出され、都市封鎖かと心配されている方が多いと思います。ニューヨークでの緊急事態宣言が発令されてからロックダウン(外出制限、ニューヨークでは – ON PAUSE – ポーズ=静止という言葉が使われています)までのタイムラインを、ここでまとめてみました。 3月1日 NY州で初の新型コロナウイルス感染者を確認 (筆者が、街中のマスク着用者を初めて見かけたのは1月末だが、3月上旬の時点でマスク着用者は全体の0.5~1%くらい) 3月7日 NY州知事が緊急事態宣言を発令 3月13日 5pm 市内の全ブロードウェイが閉鎖 収容人数500人以上の集会禁止 (この前後から、スーパーでは水やトイレットペーパーなどが売り切れ) 3月16日 8pm バー、クラブ、映画館、カジノ、スポーツジムなどが閉店 レストランは持ち帰りとデリバリーのみ許可 500人以下の場合は収容率50%以下に 職場で働く人の数を50%以下に削減 この週から、学校、図書館、博物館、美術館、デパート、ショップなども次々とクローズ。また職場で在宅勤務が増え始める。 (筆者の感覚で、マスク着用者は5%くらいに増えたことを実感) 3月19日 8pm ショッピングモール、遊園地、ボウリング場などがクローズ 職場で働く人の数を25%以下への削減を要請 3月21日 8pm 美容室、理髪店、ネイルサロン、タトゥーパーラーが閉店 (筆者の感覚で、マスク着用者は10%以上に増えたことを実感) 3月22日 8pm エッセンシャルサービス* (生活に必要なもの)以外、すべて閉鎖。人々は自宅待機、在宅勤務へ (* 医療従事者、救急隊員や警察、消防隊、スーパー、デリ、薬局、公共交通機関、郵便局、銀行、電話、電気、水道、ガス、WIFIなど) [All photos and video by Kasumi Abe] All images and text are copyrighted. 本稿はYahoo! Japan News個人からの転載。無断転載禁止

フランク・シナトラの曲「New York, New York」歌詞の和訳

Start spreadin’ the news, I’m leavin’ today  朝になりニュースが騒ぎ出す 今日は出発の日だI want to be a part of it 私はこの街の一部になりたいNew York, New York ニューヨークニューヨークThese vagabond on shoes, how longing to stray さすらいの旅人たちは彷徨うRight through the very heart of it  この街のど真ん中をNew York, New York  ニューヨークニューヨーク I wanna wake up, in a city that doesn’t sleep 眠らない街で、私は再出発したいAnd find I’m king of the hill そうして私は丘の上の王者になるTop of the heap この街のナンバーワンにのぼり詰める…

新型コロナで死者千人超えでも希望を捨てない人々(ニューヨーク今日の風景)

ニューヨーカーの希望の光 「我々が必要としていたものが今、ここに到着した。我々の仲間、海軍兵士によるこの病院船は、ただベッドや医療物資を届けるためだけにやって来たのではない。これは私たちの希望(Hope)なのだ」 現地時間3月30日午前、アメリカ海軍の病院船「USNSコンフォート」(以下コンフォート)がニューヨーク市マンハッタン区のピア90に到着し、ビル・デブラシオ市長はメディア向けのプレスカンファレンスで、力強くこのように語った。 ニューヨーク州内ではこの日、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の感染者が6万6497人、死者が1218人(前日965人)となった。コンフォートはこれらの事態を受け、州内にある医療施設のキャパシティを増やすために派遣された。 船内には1000床のベッド、12の手術室、80の集中治療室、医療ラボなどを備えており、ここでは新型コロナウイルス感染症以外の救急患者の治療が行われる。医療関係者1200人が任務にあたる。 Updated April 6: ニュージャージー州も含む新型コロナ患者の受け入れに転換しました(最大500床)。 コンフォートの船内の写真 バズフィードニュース コンフォートは通常、国外でのハリケーンや大地震の救済に使われているもので、ニューヨークにやって来たのは2001年の同時多発テロ以来だ。 実はこの日、ほかにジャビッツセンター(Javits Center)が仮設病棟としてオープンした。ジャビッツセンターは平常時、コミコンやNY NOWなどが行われる大型展示会場だ。ここには2500のベッドが設置され、新型コロナ感染症以外の患者が搬送される。 Updated April 3: 新型コロナ患者の受け入れに転換しました。 州内ではほかにも、大学のキャンパスやセントラルパークの屋外テントを仮設病棟とする計画が急ピッチで進められている。 コンフォートを一目見ようと多くの人々が集まったが、ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)の確保がされておらず、警官が出てくる一幕も。 取材帰りの非現実的な光景 in タイムズスクエア ニューヨークでは今、エッセンシャルワーカー(医療現場や交通、スーパーや薬局などで働く人々)以外、自宅待機が求められている。筆者は前夜遅く、コンフォートのプレス用カンファレンスの知らせを急遽受け取り、この日約2週間ぶりに取材に出かけた。 カンファレンス終了後、地下鉄へ向かう途中、ニューヨークの中心地、タイムズスクエアがある。 いつもは全米そして世界中からやって来た観光客でごった返し、なかなか前に進めないくらい人が多いタイムズスクエアが、新型コロナの影響でガランとしている。 どの店もシャッターが降り、店内が暗い。人もまばら。いつもならうるさいほどのクラクション音もない。 感謝祭やクリスマスなど一連のホリデーがすべて終わり、年末最後の大騒ぎをする大晦日の翌朝、つまり静まり返った元旦のようだ。 この街とは1990年代からの付き合いだが、こんなに寂しいニューヨークを初めて見た。 駅に向かって歩いていると、タイムズスクエアの顔なじみの人と遭遇した。 年中パンツ一丁でギターを弾くネイキッド・カウボーイこと、パフォーマーのロバート・バーク氏だ。筆者は15年ほど前、彼に同じ場所でインタビューをしたことがある。まさかこんな誰もいない日にも彼がここに出没しているとは思わなかった(しかも気温は10℃ちょっと。まだコートが必要) 今日だけいつもと違うのは、オリジナルマスクを着けていることだ。 久しぶりに日本語の歌を目の前で歌ってくれたので、チップを出そうとしたところ、ロバートが「いらない、いらない」と言う。「なぜ?」と聞くと「今はソーシャル・ディスタンシングが叫ばれているからいらない。それより経済が早く回復してもらうことを願っている」とクールに言い放ち、次の通行人のもとへと去って行った。 さらに駅に向かって歩を進めると、今度はさっきまでシーンとしていたのに、突然大音量の音楽が聞こえてきた。派手な三輪のスポーツカー、スリングショットが信号待ちをしている。音楽はそのスピーカーからだ。 曲は、フランク・シナトラの『ニューヨーク・ニューヨーク』。 田舎からやって来た男性がこの街で一旗揚げるぞ、と意気込む希望の曲だ。この曲はニューヨークでは、イベントやエンターテインメントが終わった後、成功を記念してかかるお決まりで、毎年大晦日のタイムズスクエアのカウントダウン後の定番曲でもある。 筆者が最後にこれを聴いたのは、ちょうど同じ場所で2019年の大晦日のカウントダウンだ。 このスリングショットを走らせるのは、ニューヨーク州ロングアイランドから運転してきたマットさん。景気付けにやって来たようだ。 人のいないタイムズスクエアで、偶然出くわした『ニューヨーク・ニューヨーク』。 たった2、3人の通行人と共に聴く。 映画みたいなことが、いいことも悪いことも、 今ここニューヨークで起こっている。 [All photos and video by Kasumi Abe] All images and text are copyrighted. 本稿はYahoo! Japan News個人からの転載。無断転載禁止

新型コロナウイルスに関するNY最新現地事情まとめ(2)ニューヨークにアジア人差別はある?篇

旅行、もしくは仕事や留学でニューヨークを訪れる方も多いと思います。いくつか関連記事を書いているので、ここでまとめたいと思います。 第2回目は、日本人として気になる「アジア人への差別はありますか?」について。 これはコロナ以前から、日本から視察や観光で来られた方にたまに受ける質問でした。 私の答えは「人の心の中までは知る由がありませんが、実際に私が直接感じたあからさまな差別はニューヨークでは特に思い出しません」ということです。 私が住むニューヨークとは違いますが、ロンドンやパリではびっくりする出来事が、たったの数日の滞在でいくつかありました。 例えば、2018年に訪れたロンドンのハイエンドなアフタヌーンティの店で、テーブル待ちをしていた時のこと。謂れ無き理由で白人の年配のカップルに待合室の椅子を強制的に譲るように、スタッフに言われてびっくりしたことがありました。ニューヨークでは感じたことがない経験でした。この時に移民の国と、王族・貴族の由緒ある国でのアジア人(観光客)の扱い方の違いを身近に感じました。 フランス、パリでもちょっとした意地悪をお店のスタッフにされたことがあります。 ただ、ロンドンでもパリでも差別をする人は「一部の心ない人」だと思うので、私はそれくらいでその国の人々を嫌いになったりはしません。ただ「この国ではそういうことが起こるんだ…」っていう程度の感想です。 またアメリカでも15年以上前のことになりますが、中西部でこんなことがありました。 その街では白人がほとんどで、アジア人は滅多に見かけません。友人(白人)とダイナーでご飯を食べていた時、隣のテーブルに2人組の女性が座りました。うち1人が私をチラッと見て「そう言えば、私最近、中国人に仕事を取られたのよねぇ〜」と話しはじめました。私を中国人と思って言った言葉であることは間違いありませんでした。 18年間、海外に住んでいますが、今思い出す差別はこれくらいです。 (細かいこと言えば〜の対応が悪かった、などはありますが、社会的立場の高い教養のある方から差別や失礼な態度を取られたことは一度もありません) 今回、新型コロナウイルスが中国から発生したということで、私もアジア人として嫌がらせを受けたりしないかと初めのころは身構えていたのですが、特に何も起こっていません。 ただ1月末に1度だけ、ちょっと嫌な気持ちになったことはあります。 電車に乗っていた時、向かいに東欧系の言葉を話す白人の女性2人が座っていました。チャイナタウンの駅で中国系の女性が乗車し2人の女性の隣に座った時、そのうち1人が笑いながらタートルネックを鼻の上まで引き上げました。私はその瞬間、眠ったふりをしました。見ていられなかったのです。しばらくするとタートルネックは降ろされていたのでほんの冗談のつもりだったとは思うのですが、同じアジア人としてまったく良い気はしませんでした。 でもこの出来事も後でよく考えてみると、差別をしたのは「ニューヨークの人ではない」というのがポイントかと思います。ニューヨーカー(ここに長く住む人々を含む)は、多様性の中で生きているので「普通の人」は差別などしないです。 それでもたまに差別や憎悪犯罪が起こるとしたら、それはもう「事故」にあったようなものでしょう。 (以下は、Tabizineに寄稿した記事の一部を抜粋します) ヨーロッパなどでは言われなき差別をアジア人が被ったというような話がよく聞こえてきます。 ニューヨークは移民の街であること、アジア人がもとから多いことなどから、私自身も、周りの友人も特に目立って大きな差別を受けていません。 クオモ知事も、このようにツイッターで発信しています。 「ニューヨークの街の強さは多様性だ。ここにはヘイトなんて起こるスペースは1mmもない」#NoHateInOurState マスクをしていることで「病気を移さないで」とからかわれたことがある人もたまにいるようなので、病気でなければニューヨークではマスクを着けない方がいいでしょう。 正気でない人が、アジア人に向かって嫌がらせをしている様子がたまにソーシャルネットワークなどに上がってきますが、そのような正気でない人はきっと全人口の一部だと思いますので、それを気にしてニューヨーク行きを諦めるのはもったいないです。 【新型コロナウイルス:速報】感染者急増のニューヨーク最新現地事情と渡航情報 3.11.2020 Coronavirus is NO excuse for racism. This assault is disgusting & I am directing the State Police Hate Crimes Task Force to assist in the investigation to make sure…

「クラフトビール」ブームを作った男 ブルックリンラガーが世界のビールになるまで【創業者インタビュー】

創業者のスティーブ。カウンター右端がいつもの指定席。© Kasumi Abe 水曜日の午前10時。テイスティングルームの2階にあるオフィスはとてつもなく広く、剥き出しの天井と柱がいかにもブルックリンぽい。「ようこそ」と笑顔で現れた創業者のスティーブ・ヒンディは、ストライプシャツの上にカジュアルなベストを羽織りジーンズ姿。いわゆる会社の「エライ人」というより、 どちらかと言うと同業者を思わせる。 私は大好きなブルックリンラガーの話を聞けるこの日を、とても楽しみに迎えた。スティーブに誘導され、スタッフが仕事をしているオフィスを歩く。右側の全面ガラスの向こう側にはミーティングルームが連なり、いくつもの戦略会議が行われているようだ。胸が高鳴る中、一番奥の部屋へと通されテーブルに着いた。 (以下、創業者スティーブ・ヒンディ氏のインタビュー内容) 80年代、戦場を駆け抜けた 私は1979年から5年半、ジャーナリストとしてAP通信で働き、中東地域に派遣されました。イラン革命時にはイランでアメリカ大使館人質事件をレポートし、イラン・イラク戦争時はバグダッドでイラク軍のすぐそばにいました。湾岸戦争時はベイルートで戦況を追っていました。特派員という仕事は大変やりがいがありました。 それがなぜブルックリンでのビール作りに至ったか。 妻エレンとのロマンスが関連します。札幌生まれのエレンとは16歳の時に出会い、彼女が大学を卒業した73年に結婚しました。私は24歳、エレンは22歳。私の就職のために北部アップステート・ニューヨークからニューヨーク市内に引っ越しました。しかしその後いろいろあって、私たちは離婚することに。ベイルートに派遣された後も、私はしばらく報道にのめり込んでいました。しかしある時ふと心の中で、エレンを恋しく思うようになりました。手紙を書き何度かのやりとりの後、彼女がベイルートまで会いに来てくれました。 最終的にはよりが戻り、私たちは戦時中のベイルートで再婚しました。子どもが生まれた後は、危険と隣り合わせのベイルートからカイロに引っ越し、2人目の子も授かりました。そんな訳で私たち夫婦は山あり谷ありですが47年間も一緒にいます(笑)。 そうこうしていたら、マルコス元大統領の件でフィリピンへの派遣要請がきました。私は嬉しくて意気込んでいたのに、エレンが幼子連れでのマニラ行きは嫌だと大反対。それで私は自分の意に反して84年に退職し、家族と共にニューヨークに戻って来たのです。 翌年から新聞社のニューズデイ(Newsday)の編集者の仕事を得ました。しかし私は全然ハッピーではありませんでした。世界を揺るがす場所で動き回っていた私にじっと机に座る仕事ができると思いますか? もちろん編集者次第でレポートの価値も上がってくるので良い編集者はとても価値があります。しかし私にとって編集職は見返りを感じられませんでした。オフィスを見渡すと、年寄りの白髪頭の同僚男性が、ネクタイを締めて机にひたすら向かっている。「これは自分がやりたいことではな~い」と思いました。 振り返ると、おそらくこれが起業への強いモチベーションになったのでしょう。 ビール作りは自宅キッチンから そのころ私は趣味で、自宅でビール作りを始めました。カイロで出会ったアメリカ大使館の外交官が、サウジアラビアに住んでいた時、アルコールを買えないので自宅で作っていたと教えてくれました。その時にビールって自宅でできるんだと知りました。 当時からニューヨークには、ビールやワインのホームブルワリーキットを販売する店がいくつかありました。ラガーは温度調整が大変だけどエールは簡単なので、最初はアンバーエールを48ボトル作りました。なかなか美味しかったですよ。ただし…ボトルに蓋を取り付けるのが一苦労でね。いつもボトル半分が破損し、ガラスの破片が散乱するわエレンには怒られるわ…。 それから2年後の87年に、トム・ポッターと一緒に創業しようということになりました。私はそれまで大企業に属していたわけですから、起業は大きな変化でした。事業を立ち上げるのは未知の世界で怖かったです。資金が持つか、売れなかったらどうしようか、など心配は尽きませんでした。 治安悪し=安い土地、ブルックリンで創業 ビールを販売したのは翌88年からです。今の場所よりもっと奥地のブッシュウィック地区で醸造していました。 その時代のブルックリンは、とても治安が悪かったです。日暮れ後は大男のトラックドライバーでさえも近寄らなかったほどでした。なんでそんな場所を選んだか?19世紀のビール醸造所の廃墟ビル(Otto Huber Brewery)跡地の2階が無料で貸し出されたからです。 しかしタダより高いものはありません。床はガタガタで、エレベーターとフロアの段差も大きく、ビールの搬出は相当骨の折れる作業でした。結局、有料(年間リースがスクエアフィートで1ドルと格安)の1階に移ったものの状況は変わらず。91年からウイリアムズバーグ地区にオフィスや倉庫を置きながら、88年から96年まで州北部のユティカ市で醸造していました。 ウイリアムズバーグの今の場所に醸造所とテイスティングルームを置いたのは96年のことです。 今ではウイリアムズバーグは、マンハッタンより不動産が高くなりました。しかし当時は倉庫や工場以外何もなく、年間リースがスクエアフィートで3ドルと格安でした。うちは35,000スクエアフィートなので当時の賃料は年間105,000ドル程度。今では60ドル以下は見つからないから、どれだけ安かったかわかるでしょう? 世界的デザイナーが手がけた「B」ロゴ誕生秘話 ブルックリンはもともとビール作りの盛んな街で、19世紀には48もの醸造所があったんですよ。76年に廃業するまで、この辺にも2つの大きな醸造所がありました。 だから私たちの創業時のキャンペーン(スローガン)は「メイド・イン・ブルックリンのビールを作り、この街に醸造所を復活させよう」ということでした。 私が最初に考えたブランド名は、地元紙からとった「ブルックリン・イーグル・ビール」。ブランド名が決まれば次はラベル作りです。エレンが「せっかく作るのだからトップ中のトップにお願いしては?」と言います。私の頭に浮かんだのは「I(ハート)NY」のロゴやボブディランのアルバムを手がけたミルトン・グレイザーでした。 早速彼のオフィスに電話をかけてみました。電話に出た女性は「あなた、ミルトンが誰だかお分かり?」と聞きます。私は「もちろん。それを承知で電話しています」と答えたところ「ミルトンは誰でも闇雲に会うわけではありませんよ」とあっさりと断られました。私のジャーナリスト魂がメラメラと燃え、こう返しました。「私はミルトン・グレイザーに会うつもりでいます」。その日から毎日電話をかけ続けました。 ある日その女性が「あなた、諦める気になったわけではないですよね?」と聞いてきたことがありました。私は「いいえ。私はミルトンと話をしたいのです」と答えました。彼女は「待って」と言い、ついにミルトンに繋げてくれたのです! ミルトンに構想を話したところ「それは楽しそうだね。会いにおいで」と招いてくれました。そうして出来上がったのが87年に完成した「B」のロゴです。 《誕生》「クラフトビール?何それ?」 ただし、事業はまったく思うようにいかなかったです。ニューヨークはビジネスをする上で過酷な街です。「俺たち、ビールを作っているんだ」と言って「おぉ、すごいね!じゃ100ケースオーダーするよ」…とはなりません。たいてい「そうなんだ」で終わる。クラフトビールがまだ浸透していない時代ですから、「そもそもクラフトビールって何だよ?」という反応でした。 《衰退から復活まで》資金が底尽き、二足の草鞋 91年には会社の資金がとうとう底を突いてしまいました。社員への給料はかつかつ支払えたけど、私とトムの給料がまったく出ない状態に。当時湾岸戦争が勃発し、私はニューズデイから戻らないかと声をかけられ、午前中はブルワリーのオフィスで営業電話や顧客訪問をし、午後から42マイル(約67km)離れた新聞社で真夜中まで働く生活になりました。トムは1人でここを回し髪の毛が真っ白になりました。事業がこれからどうなっていくのか、不安でいっぱいでした。 事業が好転したきっかけですか? 94年にギャレット・オリバー(Garrett Oliver)がブルーマスターとして働き始めたことが大きいですね。彼に商品開発を任せるようになってから、ブルワリーを立て直すためにより多くの資金を調達できるようになりました。 ギャレットはうちの各種ビールの生みの親です。美しいビールを創り出すことにいつも情熱を燃やしている素晴らしい「アーティスト」でもあります。 ある日、ギャレットとミルトンの共通点に気づきました。共に天才で、共に自分たちのビジョンを持っています。だから他人が彼らの仕事について、あれこれ口を出せない、そのような存在です。 ビジネスを成功させる秘訣とは? 1. ロゴ(ブランディング) 私たちは初期の初期に大切なことをしました。それはブランディングです。 先のミルトンの話には続きがあります。打ち合わせで彼にブランド名を話したら、彼が「イーグルはいらない。シンプルにブルックリンラガー、ブルックリンブルワリーにしよう」と言いました。その言い分はこうでした。「ブルックリンで事業をしようとしている。そして誰も土地名を名乗っていない。だからブルックリンにフォーカスしよう」。ただし、今ではクールなイメージの土地柄ですが、先述のように30年前は良くなかった。「ブルックリンブルワリーという名にする」と人に言っても「えええ?」という反応でした。 また、こんなこともありました。ミルトンができあがったロゴを見せてくれた時のこと。そこには「B」とだけ書かれてあります。私は思わず「え、これだけ?」と聞きました。彼は「何も言わずに持って帰り、多くの人に見せず、キッチンのテーブルに置いて奥さんだけに見せてごらん」と言います。その通りにしたところ、Bのシンプルな美しさが浮き立って見えるようになりました。かつての球団ブルックリン・ドジャースを始めとするこの地のスポーツの歴史も呼び起こすものでした。でもノスタルジーとは違い、逆に新鮮で新しくスマート(賢さ)だった。これらはミルトンから教わったことです。 2. 流通(ディストリビューション): 近所にソフィア・コーリヤ(Sophia Collier)という女性起業家が住んでいました。彼女はSoho Natural Sodaという会社を興した人で、事業をアパートの1室でスタートし成功した人だから、私たちはとても刺激を受けていました。 ある日彼女と会う機会があり、ミルトンのロゴを見せたら、彼女が「主流ビールとは異なり素晴らしい。さすがミルトンだ」と褒めてくれました。「しかし、デザインがいいからと言って胡坐をかけませんよ」と言います。ディストリビューション(流通)なしでは事業は難しい、と。彼女は健康食品のディストリビューターを使って売ろうとしたけどうまくいかず、ソーダに特化したディストリビューターもだめ、最後はバンを購入し、ロゴをつけ、自分たちで運転し販売してみてやっとうまくいったということでした。…

053 スターシェフによるブルックリンの名イタリアン「Misi」

以前このコラムでも紹介した、ミシュランガイド・ニューヨーク版の二つ星を毎年獲得している「Aska」など、ブルックリンのサウスウィリアムズバーグは近年、さまざまな名店が集まる、フーディーたちに注目のエリアです。 手打ちパスタルームがお出迎え 「Misi」を訪れると、広くて清潔感のあるパスタルーム(手作りパスタ作業場)で職人が作業をしている様子が全面ガラスからうかがえ、胸が高鳴ります。ここは作業場のみならず、24人までのプライベートディナーにも使えるスペースです。 お店の中は白と黒の2色と木目調が基調の、シンプルで洗練された北欧風のインテリア。調理場がオープンキッチンになっていて、シェフたちがすぐそばで働いている様子もうかがえ、活気が伝わってきます。 名店リリアの姉妹店 なぜこの店が人気で、予約が取りづらいのかと言うと、オーナー&シェフがミッシー・ロビンズさんだからです。ミッシーさんは、料理界のアカデミー賞と言われるジェームズ・ビアード財団賞など、数々の受賞歴があり、彼女が2016年に最初に手掛けた店は、ニューヨークタイムズ紙により三つ星レストランに選ばれた、同じくブルックリンの「Lilia」です。「Misi」はそれに続く2軒目のイタリアンレストラン&バーとして、18年9月にオープンしました。 ミッシーさんは、以前シカゴにあるイタリア料理の名店「Spiaggia」で2003年から5年間、エグゼクティブシェフとして調理場に立ってきました。 その後ニューヨークに戻り、「A Voce Madison」と「A Voce Columbus」のエグゼクティブシェフとなり、在職中はずっとミシュラン星を獲得。10年には、『フード&ワイン誌』の「ベスト・ニューシェフ」の1人として選ばれています。 「『Misi』のシグネチャーフードは、パスタ料理に加え、季節の野菜を使った料理です」と広報のエレノア・メイヤーさん。人気店なので、ゴールデンタイムを狙うなら早めの予約が良いでしょう。 [by Kasumi Abe and Evan Sung]All images and text are copyrighted. 本稿はWeekly NY Japionのコラム 、安部かすみ(Brooklyn本著者)が案内する「古くて新しい、とっておきのブルックリンへ」からの転載。無断転載禁止