ジャネット・ジャクソンの曲「Made For Now」歌詞の和訳

元音楽ライターによる、気の向いた時にやる歌詞の和訳シリーズ。曲は思いついたものをピックしています。 If you’re livin’ for the moment もし今という時を生きてるならDon’t stop, and celebrate the feelin’ 止まらないで この気持ちを大切にGo up, if you’re livin’ for the moment もし今を生きてるなら 行こうよDon’t stop, ’cause I break those ceilings やめないで そんな垣根なんて取っ払っちゃうGo up (Fuego)We’re made for now   さぁ行こう 今のためにここにいるNot tomorrow 明日とかじゃないMade for now 今なんだLook around 周りを見てごらんよ We’re made for now  今のためにここにいるNot tomorrow 明日とかじゃない Made for now (uno) 今なんだ(1) Look around (dos, tres) 周りを見てごらんよ (2,3…)We’re made for now (fuego) 今を作るんだ Everybody move…

入り口に金箔の新彫刻がお目見え ── NYのメトロポリタン美術館

ニューヨークのメトロポリタン美術館(The MET)の外観に、このほど新しい彫刻が設置されました。 設置場所は、正面玄関入り口横です。隣には、現在開催中の着物展「Kimono Style」の大きな垂れ幕も。 外観、しかも正面玄関と言えば、美術館の「顔」とも呼べる場所。そんな場所に新たな彫刻作品を設置するThe Facade Commissionシリーズの第三弾。 勝利やパワーの象徴であるトロフィー型の金箔の作品で、英国の彫刻家で南米ガイアナにもルーツを持つ、ヒュー・ロック(Hew Locke)氏によるもの。 設置は今日から2023年の5月23日まで。 Info メトロポリタン美術館 1000 Fifth Avenue, New York, NY 10028, U.S.A. The Facade Commission: Hew Locke, Gilt 筆者によるメトロポリタンミュージアム関連記事 Text and photos by Kasumi Abe (ブログ記事より一部転載)無断転載禁止

日本の人気3ブランド、ブルックリンへ ── 「50 Norman」9/16オープン

日本の人気3店が集まった「50 Norman」(50ノーマン)が、ニューヨークのブルックリン(グリーンポイント)に9月16日オープンします。 3店はこちら CIBONE (シボネ) ハイセンスなライフスタイル雑貨 職人が1つ1つ手作りした、ハイセンスなうつわや生活雑貨など。日本のモノづくりの質の高さが感じられる品ぞろえ。(アーティストはローテーションで変わる) DASHI OKUME(出汁尾粂) 無添加のだし 1871年日本橋で創業の水産仲卸店。スープや煮物、味噌汁、パスタなどに使える乾きもの(すべて日本産)は量り売り。トマトと玉ねぎを試食させていただきましたが、噛みごたえあって良いおだしが出そうでした。だしや日本の調味料は、隠し味として高級店のシェフによく使われるようになりました。この裏技、今後一般の消費者にも浸透していきそうです。オーナーさん曰く、今後はテーブル席で定食を出す予定。「そのうち角打ちもしたい」とも仰っていました。 HOUSE(ハウス) ジャパニーズ・フレンチのレストラン 2007年西麻布にオープン以来新スタイルのフランス料理を提供する店。ブルックリン店は8席のカウンターのみで、日本のエッセンスが入ったフレンチのコース料理を160ドルで提供予定ということです。 Info 50 Norman 50 Norman Ave., Brooklyn, NY 11222 U.S.A. (写真をもっと見る) #Greenpoint Text and photos by Kasumi Abe (こちらより一部転載)無断転載禁止

日本初「体験型ゴッホ展」仕掛け人の「こだわり」とは。新作「クリムト展」NYでスタート

世界各地で注目の没入型アート 埼玉で「ゴッホ」展 ゴッホの歴史的な名画を目と耳で鑑賞する、日本初の360度体験型デジタルアート展「ファン・ゴッホ ー僕には世界がこう見えるー」が、今年6月18日から11月27日まで開催中だ。 会場は、埼玉県所沢市の角川武蔵野ミュージアム。 最新テクノロジーを駆使して作られた映像を、会場の壁や床、柱など360度に投影し、音楽と共に披露されるこのインスタレーションは、イマーシブアート(没入型アート)とも呼ばれ、世界各地で注目されている。 展覧会は現在、日本のみならずパリ、アムステルダム、ソウル、ドバイなど世界各地で開催中だ。 筆者も「体験」したことがあるが、作品は目と耳の両方で感じ、映像は会場全体に(自分の足元の床まで)投影され、アート展というより「ショー」というニュアンスの方が近いと感じた。 見る角度によって作品の見え方がまったく異なるため、歩きながら鑑賞するも良し、ただ座って作品に没入するも良し。自分の好みで楽しめる。 NYでは最新「クリムト」展も グスタフ・クリムトの作品をテーマにしたイマーシブアートの最新作「ゴールド・イン・モーション(Gold in Motion)」もこのほど完成した。こちらはニューヨークで現地時間9月14日から、約10ヵ月間の予定で開催される。 会場は1912年に建てられたランドマーク的な高層ビルで、最新のデジタルアートセンターとして生まれ変わったばかりのホール・デ・ルミエール(Hall des Lumieres)。ここは、旧・移民産業貯蓄銀行(Emigrant Industrial Savings Bank)で、分厚い扉の金庫室までも展示室としてそのまま残されている。最先端のイマーシブアートと20世紀初頭の歴史的建造物が見事に融合している。 GUSTAV KLIMT: GOLD IN MOTION | NYC 世界中で開催されているこのイマーシブアート。その仕掛け人は、イタリア人クリエイティブ・ディレクターのジャンフランコ・イアヌッツィ(Gianfranco Iannuzzi)氏。クリムト展でニューヨークに滞在中、話を聞くことができた。 ベニス出身で、仕事で世界中を行き来している以外は、パリをベースに活動するイアヌッツィ氏。イマーシブアートを手がけて8年、アート業界では32年のベテランだ。 そんな最先端のアートシーンを牽引する彼に、作品作りにおいて絶対に譲れないものを聞いた。 まずは場所の選定だ。 プロジェクトの準備に1年かけ、その初期段階で会場選びのため現地に飛び、実際に自分の目で確かめるという。 「これは自分にとって重要な作業です。イマーシブアートはバーチャル体験ではなくフィジカル体験だから、どの街のどのような会場で行うか、自分で確認することはとても大切です」 世界中で展開している作品だが、どれ一つとて同じものはないと言う。 「今日本で開かれているゴッホ展も、昨年ニューヨークで見せた作品とは違います。会場の特性に合わせ、新たな作品として一から作り変えています」 自ら趣き、会場内を歩く。自分の五感で確かめ、瞑想をして心を落ち着かせ、そこから得たインスピレーションを作品に取り込む。 映像と共に流す音楽選びも、自ら行う。 「音楽は体験型アートの大切な要素です。同じヴィジュアルでも、感情を喚起する音楽次第でまったく違う作品として映るからです。自分で音楽も手がけると、イメージや動画、すべての要素を自分の頭の中でつなげる作業ができます」 もう一つ譲れないこと。それは初期段階でインスピレーションを得るために、また実際に作品に使うために、会場や素材写真を自ら撮影するということだ。すべての創作はそこから始まる。クリエイティブ・ディレクターといえば現場の総監督といった立ち位置だが、自らがやることが自分にとって大切なのだと言う。そのような地道な作業をアシスタントに任せない理由は、 「自分が欲しいものは自分が一番知っているし、誰かに説明してやってもらうより自分がやった方が早いのです」 自分でやるという姿勢を貫いているのは、ほかにも訳がある。「どういう作品にしていくのか?ストーリー仕立ては?それらを考える時、誰かに頼んでいたらアイデアなど出てきません。想像力が掻き立てらるのは、いつも自分で動いてみた『後』なのです」 一言一句に地位や経験値に甘んじることのないプロ意識と「職人」としてこだわりが垣間見えた。 撮影で使い分けているカメラは、キヤノン、ニコン、パナソニック。日本が好きで、今年5月も仕事で訪れたばかりだ。「今ゴッホ展が行われている角川武蔵野ミュージアムは、とてもモダンで特別な場所です。10万人もの来場者がすでにあったと聞いてとても嬉しい気持ちです。日本での次回作はおそらく来年、東京やその近郊で行う予定です。ゴッホ展、そして次回作もどうぞお楽しみください」。 補足 Interview, text and photos by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人より一部転載)無断転載禁止

米同時多発テロから21年。ニューヨークに住む人々にとって9.11はどんな日だったのか

アメリカで同時多発テロ(9/11)が発生し、今年で21年目となる。2001年に生まれた人は21歳となり、テロ発生後生まれの人口も増えている。 年数が経過しても、今だこのテロ事件は尾を引いている。 21年目の主な動き: 9.11それぞれの記憶 ニューヨークに暮らす人々は、あの日どんな体験をし、何を感じたのか?21年目の9月11日に寄せて、今年もあの日を振り返ってもらった。 人生最悪の日を救ったヒーローたちと希望のトラック モニカ・グリックさん(61歳、カトリック教布教組織 勤務 3歳だった末娘は今年24歳。あれから21年も経ったけど、あの日のことは今でもはっきり覚えています。 目を閉じると、すべての出来事がまるで昨日のことのように脳裏に浮かびます。助けに来てくれた息子の表情や髪型、ラップトップを抱えた煤(すす)のついた男性、南部訛りの警官……。 2001年9月11日、あれは火曜日の朝でした。 8時55分ごろ、いつものように最寄りの駅に到着し、勤務先に向かっていました。 まず思い出すのは、駅に着いて見上げた空です。「わ〜、今朝の空はなんて青いの」と思いました。それほどあの日は雲一つない素晴らしい晴天でした。 当時、オフィスはマンハッタン区35丁目と五番街、ちょうどエンパイアステートビルから1ブロック北にありました。ブロンクス区の自宅からバスと地下鉄を乗り継ぎ1時間半ほどの場所です。 オフィスに近づくと、消防車のサイレンがけたたましく鳴っているのに気づきました。あちこちでサイレンが鳴り響くなんてニューヨークでは至って日常風景だけど、この日のサイレンはなんだかいつもより賑やかでした。後から考えると、ちょうど1機目が北棟に突入した直後だったのでしょう。人々は立ち尽くしたまま、一様にダウンタウンの方角を見つめていました。そこには、晴天に黒く巨大な煙の柱が立ち込めていました。 私は今でもこう思ったのを覚えています。「仕事に向かう時間よ。皆、なんで同じ方向を見ているのよ?」と。私はこの地で生まれ育ち、今の今までここで生きてきた生粋のニューヨーカーです。21年前だからあの時は40歳。この街で事故は日常茶飯事だから、またどこかで火災でも起きたのでは、くらいの受け止めでした。 私が働くカトリック教布教組織のオフィスではその日、大規模な理事会の会合が予定され、他州から多くの来客を迎える予定でした。ロビーに着くと係員が先ほどの騒動について「心臓発作か何かによる事故でしょうね」と言っていました。 飛行機のビル衝突事故と言えば、その昔、小型機がエンパイアステートビルに突っ込んだ事故*があまりにも有名です。この事故も、操縦士が発作か何かで操縦できなくなったんだろうと、当時誰もが思っていました。 補足 会合前にミサが予定されていて、事故に遭った被害者のためにお祈りを捧げようということになりました。しかしその後、取締役の秘書がやって来て「今度は別の飛行機がほかの建物に衝突しました。これはただの事故ではありません」と言いました。1、2時間すると警察がやって来て「今すぐ避難せよ」と避難勧告が出たため、私たちはビルの外に避難しました。 予想だにしないことが次々に起こり、一体全体何が起こっているのか誰も理解が追いついていませんでした。当時、通話用の携帯電話は持っていましたが、スマホなんてない時代*です。 補足 結局、全航空機に着陸命令があり空路は閉鎖されたのですが、事故直後はまだ無数の航空機が上空を飛んでいる状態だったので、「また別の飛行機が別のビルに追突するのでは?」「次に狙われるのはすぐ近くの(アイコン的な)エンパイアステートビルかもしれない」と恐怖で一杯でした。「とにかくこの場から避難しなければ!」と焦りました。 家族のことも気になりましたが、電話の通信障害*で夫とは電話がまったく繋がりませんでした。 補足 3歳だった末娘ハンナは夫と自宅にいて、テレビでアニメを観ている時間でしたが、何より夫の子、長男ジョシュが気がかりでした。当時24歳だった彼は(レストランや施設のインテリアに植物を取り入れ景観をデザインする)ランドスケーピング会社で働いていました。この日、ジョシュは同僚と軽トラックで、世界貿易センター(以下WTC)に向かっていたのです。でも彼はいつものように遅刻気味で事故直後に到着し、テロ事件に巻き込まれずに済んだのでした。 WTC周囲が閉鎖されたためジョシュは引き返し、途中で私のビルに寄ってくれ、同僚と一緒にここから救い出してくれたのです。公共交通機関はカオスで道路は人でごった返し、どうやって帰宅しようか途方に暮れていた中、目の前に突然現れた息子はまるで『ランボー』(アクション映画の主人公、ジョン・ランボー)のようでした! 軽トラの荷台は13、14人が立った状態で乗れるスペースがありました。造園道具や土やらで散らかっていましたが、そんなことは誰も気にしていられません。 息子が救いに来てくれた。しかしそれでも恐かったです。想像してみてください。あなたの近くで今、予想だにしない事件が連続で起こったとします。一体誰の仕業か、何のためか、単独犯によるものか共犯者がいるのか、次に何が起ころうとしているのか……電話も繋がらない(もちろんスマホもない)。そんな状況では、恐怖と不安しかありません。 大混乱の中、軽トラは北へ北へと進みます。交通渋滞でゆっくりとしか進みません。長く続く道中、私たちは軽トラから叫び続けました。 「誰か乗りたい人いませんか?」 「降りる人はいますか?」 ごった返す道の脇から見知らぬ人々が、次々に荷台へ飛び乗ります。これはエクアドルや中米で見た光景でした。 過酷な状況ですが人々は互いに笑顔を忘れません。全部で40人くらいが乗り降りしたかもしれません。トラックの中では国籍、人種、年齢、職業……あらゆる垣根を超え、人は皆平等でした。 このトラックにはさまざまなドラマがありました。ラップトップを抱え煤で汚れた男性は、コンピュータコンサルタントをしていて、最初に衝突があったビルから避難して来たと言っていました。アフリカ系の男性、確かナイジェリア出身だったと記憶していますが、彼は荷台に乗っても無言のままでした。ある地点に差し掛かったところで涙をボロボロ流し始め、こう言いました。「人々が次々にビルから飛び降りる姿を見てしまった」と……。 ある女性はトラックを降りるとき神に祈りながら私たちをハグし、ジョシュの軽トラを「Hope Truck(希望のトラック)」と名付けて去って行きました。 確かに息子らは我々のヒーローでした。息子だけではなく、あの日はたくさんの人がヒーローとして身を捧げました。 「希望」は続きます。 トラックがブロンクス区に差し掛かると、そこには小さな食料品店があり、避難する人々にミネラルウォーターやクッキーを配布していました。私はこの光景を目にした瞬間、途轍もないほど強いソリダリティ(連帯感)を感じ、胸がいっぱいになりました。誰もがこの困難に直面しながら、見知らぬ人同士が互いに助け合い、繋がっていました。 2年後に起こった大停電*、そして2020年の新型コロナ感染拡大とロックダウン……。この街は幾度もサバイブしてきたけれど、9.11同様に街が大混乱に陥った大停電の時でさえ、水や(歩きやすい)サンダルは有料で売られていたし、パンデミック中は人に寄り添うどころか一定の距離を保たなければなりませんでした。9.11ほどの助け合いや連帯感はありませんでした。 補足 9.11の日は、自宅に到着するまでいつもの2倍の時間、3時間半ほどかかりましたが、実感としてはそれ以上でした。自宅の椅子にへたり込むと、夫がグラスワインをそっと手渡してくれました。 自宅近辺から遥か遠くにローワーマンハッタン(テロ現場)が見えます。雲一つなかった真っ青な空は真っ黒になっていました。 テロから時間が経過するにつれ事件の真相が明らかになり、少し冷静になると今度は不安な気持ちが襲ってきました。親として子の未来について、成長していく彼らにとってどんな世の中になっていくのかとか、そういった危惧です。また、毎朝家族に挨拶して別れ、その後何が起こるかなんてわからない。それを教えてくれたのもこのテロでした。 私がオフィスに戻ったのは数日後です。私は自宅で仕事ができない性分で、コロナ禍でもオフィス勤務は欠かせません。この時も木曜日には職場に戻ったと思います。地下鉄は運行しておらず、シャトルバスで行ったでしょうか。とにかく「私の街だもの。負けるもんか!」という思いで向かいました。 街中が通常運転に戻るのにはしばらく時間がかかりました。テロ再発の恐れもありマンハッタンはゴーストタウンのようでしたが、エンパイアステートビルには巨大な星条旗が掲げられ、通りからは方言が聞こえてきました。若い警官が南部アクセントで「大丈夫でしたか?」と私に気遣ってくれたとき、緊張の糸が切れたのか、歩道に突っ立ったまま涙がポロポロ溢れ出し、止まらなくなりました。 テロで多くのファーストレスポンダー(消防隊員、救急隊員、警察官)を失ったニューヨークに、他州の人々が心を寄せ、我々と共に立ち上がり、救助や援助に駆けつけてくれたのです。瓦礫や粉塵まみれの中、現場周辺の教会だけはオープンし、救助隊に水や酸素吸入器を配布していました。世界中からも心配の声が届けられました。支援のエネルギーがひしひしと感じられ、本当に心強かったです。 テロ後、今とは違う「ニューノーマル」が生まれました。バスに乗ったら周りの人々の顔を互いに見て確かめ合うようになりました。セキュリティは強化され、ビルの入り口でIDを求められるようになり、空港では「このバッグは他人から手渡されたものですか?」などと質問されるようになりましたよね。 幸い、友人や家族で亡くなった人はいませんが、子どもから命を救われた近所の男性を知っています。あの日の朝、バスに乗ろうとした時その男性に会いました。彼はWTCで会議があるのに、直前に息子と言い争いになって出発が遅れたと非常に焦っていました。でもそれでテロに巻き込まれずに済んだのです。後日偶然再会し、この日の朝を思い出して、互いの無事を喜び合ったのでした。 犠牲者の中で、マイケル・ジャッジ神父*が倒壊現場から救助隊に運び出されるシーンはあまりにも有名です。彼は市消防局のチャプレン(神父)を務めており、犠牲者のために祈りを捧げるために現場に向かい、倒壊に巻き込まれて命を失いました。 補足 犠牲者は現場で亡くなった人だけではありません。化学物質で事件後に救出活動をした人や周辺の住民の多くもその後、呼吸器系や癌などの病気になり亡くなっています。 テロの翌年に生まれた私の孫は今年ハタチで、9.11を直接知りません。3歳だった末娘も記憶にありません。そんな若い世代に伝えたいこと。そうですね、あの日は最悪な1日だったけれど、私たちがベストピープル(最高、最強などの意)になった日でもあったということです。 それを成し遂げたのは「助け合い」です。名前も知らない人同士の間で、援助の輪がありました。それらが心の癒しに繋がったのは言うまでもありません。そして心に突き刺さったのは「希望」でした。…

テロ発生後、現場に向かったヒーローたちの9.11【米同時多発テロから21年】

9月11日。誰もが21年前の「あの日」を思い出す。 今年は朝から空が厚い雲に覆われ、時折小雨がぱらつく天気だった。そんな中、ニューヨークの世界貿易センタービル跡地「グラウンドゼロ」での追悼式典には、多くの人が集まった。 遺族代表が壇上で犠牲者一人一人の名を読み上げ、旅客機が墜落しビルが倒壊した同時刻に、鐘を鳴らし黙祷を捧げた。 21年の年月の経過と共に、杖をついて参加している人や、1人で参加していると思われる人など、遺族の高齢化が印象的だった。また、同時多発テロを知らない若い世代の参加も見られた。 一方でグラウンドゼロ周辺はというと、昨年は20年という節目の年で式典会場に入ることができない人で溢れていたが、今年は天気も影響してか、昨年ほどの人出は見られなかった。 テロ発生後、現場に向かった勇敢なヒーローたちの9.11 今年も、式典に集まった遺族や救助活動をしたファーストレスポンダーたちに話を聞いた。 「救急隊員」「消防士」「警察官」、それぞれのあの日・・・。 救出活動で倒壊に巻き込まれた救急隊員 イリアナ・フローレスさんは、市消防局の救急隊員(EMT)だった弟、カルロス・リロ(Carlos R. Lillo)さんを9.11で亡くした。 リロさんは当時37歳で働き盛りだった。あの朝、飛行機が墜落したツインタワーの人々の人命救助のため、クイーンズの管轄病院から現場に出動し、倒壊に巻き込まれた。最初に倒壊した南棟の中で救命措置をしていたという。 2人は姉弟仲が良く、職場も同じだった。フローレスさんはあの朝、職場の病院で流れたテレビニュースで、テロ事件を知った。 「私たちはまさか弟がツインタワーに救助に行っているとは思いもしませんでした。彼はきっとどこかの病院に出動していると思っていたから、いろいろな病院に連絡し、行方を探したのです。WTCの現場で救出活動をしている時にビルの倒壊に巻き込まれたと知ったのは、事件から1、2週間後のことでした」 「彼(の亡骸)は一部しか見つかっていない……」 今でこそ冷静に話せるようになったが、そのような突然の死は、家族にとって非常に辛い出来事だった。 2年前に結婚したばかりで子どもがいなかったリロさん。甥っ子にあたるフローレスさんの息子を自分の子のように可愛がったという。(写真後ろの男性を指差しながら)「その息子もこんなに大きくなりました」。 「私たちは毎年家族でここに来ます。ここは彼の最期の場所ですから。彼は優しく素晴らしい人格の持ち主で、友人も多かったです。ここに来るといつも彼の友人(同僚)がたくさんいるので、彼らとの再会が毎年楽しみなんです。ここは私たちにとって、弟のことを知るたくさんの人に会うことができる場所でもあるのです」 消防隊員の息子を失った母 ローズマリー・ケインさんの息子ジョージ・ケイン(George Cain)さんも、勇敢なヒーローの1人だ。 ジョージさんは当時35歳で市消防局(FDNY)の消防隊員として働いていた。21年前のこの日、事故が起こったツインタワーに出動し、消火活動を行っていたところ、テロの犠牲となった。 「はじめは小さい飛行機が衝突したと思っていたのですが、テロリストによる攻撃と知りました。それがこの21年間の始まりでした」 倒壊跡地で行方不明になったままの犠牲者はいまだに多く、跡地から発見された2万2000もの遺体の一部が採集されDNA鑑定されているが、DNA鑑定は難しいため、倒壊跡地の死者の多くとまだ照合されていない。21年経った今でもDNA鑑定作業は地道に続けられている。過去記事 以前ニューヨークタイムズで、息子のそのような状況に触れ、自分が死ぬときはジョージさんの遺体の一部を自分と一緒に埋葬することを望む意思を示していたローズマリーさん。追悼式典のこの日は、あまり多くを語ることはなかった。 救助活動をした警官、5年後に健康被害 テロの犠牲者一人一人の名前、そして「名誉の旗」と書かれた大きな星条旗を抱えてこの日参列した、イーロイ・スアレス(Eloy Suarez)さん。 彼は当時、ダウンタウン管区の警察署で、公園の治安を守るパークポリスとして勤務していた。ツインタワーが2棟とも倒壊した後、ファーストレスポンダーとして召集され、倒壊現場に駆けつけた。警備の管轄となるまでの半年間、スアレスさんは倒壊跡地で救助活動に従事した。 現場で何を見たかと質問すると、スアレスさんは「それは見るに耐えない、目を覆うような光景でした」と言い、一呼吸置いた。 「大量の血と多数の負傷者。手足が切断された人もいました。大量のダストと煙、鎮火させるための消火活動。どんな制服を着ていようと(どこの所属だろうと)、救出活動にあたっていた者全員が、ニューヨーカーとして一致団結し、(倒壊現場で目にしたものによって)パニックになることなく心を落ち着かせることに集中し、どこかで誰かを1人でも多く救出できるよう努めていました」 健康状態は決して良くないと言う。症状はテロから5年後に出始めた。 「いくつか健康上の問題があります。鼻が詰まり、呼吸器疾患、睡眠時無呼吸症候群の症状があるため、年に2度マウントサイナイ(大病院)に通って健康チェックをしています。また皮膚癌の可能性も指摘され、良性か悪性かの確認も毎年しています」と言いながら、腕にある傷のようなものを指差した。 2001年9月11日。多くのヒーローがこの地で命を落とした。また生き残ったとしても、その後何らかの苦しみを抱えている。 スアレスさんのケースは特別ではなく、多くのファーストレスポンダーや周辺住民がその後、さまざまな疾患やPTSDを発症している。 合衆国消防局によると、市消防局に所属する99%のアクティブメンバーが9.11の救出、救助、復興のため現場に駆けつけた。その結果、343人の消防隊員がテロ現場で亡くなり、その後10ヵ月間にわたって1万6000人の消防隊員が倒壊跡地での救助、復興活動に従事し、作業員は粉塵、有毒ガス、化学物質などに晒された。20年後の昨年の時点で、このうち1万1300人に健康被害が確認され、胃食道逆流症、癌、鬱やPTSDといった精神疾患などの症状が見られるという。 今も続くDNA鑑定や健康被害。21年経った今でも、9.11は終わっていないのだ。 関連記事 Interview, text and photos by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人より一部転載)無断転載禁止

【まとめ記事】911それぞれの記憶 ニューヨーカーの証言

2017年から毎年911の時期に、ニューヨーカーに話を聞き、あの日の記憶を手繰り寄せてもらっています。4カテゴリーに分け、以下まとめています。 1【遺族の証言】 2【あの日を体験したニューヨーカーの証言】 3【911から20周年 現地はいま】 4【追悼式典などの映像】 — 1【遺族の証言】 2【あの日を体験したニューヨーカーの証言】 ニューヨークに暮らす人々は、あの日どんな体験をし、何を感じたのか?あの日をサバイブしたニューヨーカーの回顧録。 3【911から20周年 現地はいま】 4【追悼式典などの映像】 To Be Continued… Text, photo, and video by Kasumi Abe 無断転載禁止

NYで銃の携帯が禁止…観光は安全?なぜ人は銃を持ちたいのか、ニューヨーカーの証言

銃撃事件が多発しているアメリカ。ニューヨーク州では9月1日より、銃規制を厳格化する改正法が施行される。 新たな改正法には、コンシールウェポン(外から見えないように隠して持ち運ぶ武器)所持申請の厳格化や、タイムズスクエアなどの銃所持禁止区域の指定も含む。 ニューヨーク市のエリック・アダムス市長は記者会見で「市内で発砲事件は、今年はすでに900件(924件)近く起こり、犠牲者は1000人以上(1115人)にも上る」と現状を悲観し「880万人の市民の安全を守っていく」と決意を新たにした。 関連記事 コロナ禍以降、市内の中心地や観光地でも銃撃事件が度々発生するように…。 【NY治安悪化】タイムズスクエア、ピーター・ルーガー … 人気観光地で連続の発砲事件 銃所持に関してアメリカでは、合衆国修正第2条(Second Amendment:1791年成立)で、自由な国家と安全のために国民が自衛のための武器を保有し携行する権利を侵してはならない、と定められている。 ただし人口密度が高い都市を擁する州(ニューヨーク、ニュージャージー、カリフォルニア、ハワイ、メリーランド、マサチューセッツなど)では、比較的銃規制が厳しく、これまでも独自路線を進んで来た。 例えばニューヨーク州の銃規制法では1世紀も前から、銃保持や携帯に厳しい資格要件が課されていた。しかし今年6月23日、連邦最高裁がこの州法について6対3で違憲であり無効との判決を下したのだった*。 関連記事 最高裁の保守派6人の判事により、自衛のために公共の場で拳銃を携帯する権利は、憲法で保障されているとの判断(NY州法の覆し)が示された。「ロー対ウェイド判決の覆し」と同じ時期だ。 米最高裁「中絶禁止:ロー対ウェイド判決の覆し」なぜこれほど論争になっているか。米国人視点で考える この決定により、自衛のための銃を自宅で所有する権利が自宅外(公共の場)にも拡張されたのだが、9月1日に施行されるニューヨーク州の改正法では、人々の安全を守るために、その一部が覆されることになる。 この改正法では、申請者は銃の16時間の実地訓練を受け、3年分のソーシャル・メディアの情報を提出するなどし「自衛のための銃を所持するに値する善良な人物か」の審査を受けることになる。 また9月4日に施行する別の法律では、半自動小銃の購入年齢がこれまでの18歳から21歳に引き上げられる。 関連記事 アメリカの多くの州では、10代の人々も銃を手にすることができる。 改正法施行前の駆け込みとして、多くのニューヨーカーがコンシールウェポンの許可申請を急いだようだ。 CBSニュースによると、8月だけで9187人が銃所持許可証のバックグラウンド・チェックのため、州に指紋採取を申請。同様の申請数は昨年同月の3187人を大きく上回った。また6月の最高裁の判決以降、銃の許可申請はニューヨークポストによると54%も急増し、CBSによると新規で1100件の銃(ライフルなどではないハンドガン)の申請が受理された。 NY観光は安全か? 改正法により、銃の携帯の禁止エリアとして、タイムズスクエアのほかにも、地下鉄、公園、教会や礼拝所、学校、バーや娯楽施設など人が集まる場所が定められた。 とは言え、法律でいくら禁止されたところで、法律を破って罪を犯す者は後を絶たない。よって安全か否かは何とも言えないが、筆者は当地に20年住み、1度たりとも自分の耳で本物の銃声を聞いたことがないというのもまた事実(一度、銃声っぽい音がした際、友人に「銃声?」と聞くと「花火だよ。銃声はもっと乾いた音がする」と教えてもらったことがある)。 ニューヨークでは銃がらみの事件のみならず、殺傷事件や窃盗、レイプなどさまざまな事件が起こりうる。観光の際には周りに注意を払いながら、恐れ過ぎず、自分の身は自分で守るべし。 関連記事 今年、銃を初めて手に入れたニューヨーカーの証言 最後に、銃が飛ぶように売れている昨今のニューヨークの情勢を反映するかのように、筆者の周りでも、新たに銃を手にした人が1人いるので、そのエピソードを添えておく。 筆者は夏の間、友人が自宅の裏庭を使って開催するバーベキューパーティーに、たびたび呼ばれることがある。そのようなパーティーに何度か顔を出すようになって、顔見知りになった60代くらいの夫婦と先日話をしていたときのこと。 妻にあたるHさんが、今年、人生で初めて銃を手にし、自宅に所持するようになったと話しだし、筆者は少し驚いた。治安悪化の一途を辿る市内、特に筆者の住居ビルの治安を心配し、Hさんが筆者に「銃を持つことは考えないの?」と聞いてきたのがきっかけだ。「え?銃所持なんて考えたことがなかった…」と筆者は答えた。実際に筆者の自宅は警察署から目と鼻の先なので、緊急事態が発生しても5分以内に出動してもらえたことが実際にある。Hさんは続けた。「私だってこれまで銃を持つなんて考えもしなかった…」。 Hさん夫婦がその年齢にしてなぜ初めて銃を持とうと思ったかというと、2020年のジョージ・フロイドさんの事件がきっかけだという。BLM運動は全米中に瞬く間に広がり、抗議デモ、店舗の略奪、破壊行為が相次いだ。「警察の注力がその騒ぎに行き手一杯になっているのを見て、いざ自分の自宅や敷地内で何か起こったとしても警察はすぐに来てくれないだろう、と怖くなった」と話した。確かに夫妻は、警察署が近くにない郊外の静かな住宅地に住んでいる。 興味本位で質問を投げかけると、Hさんは臆することなく気軽に情報を教えてくれた。値段は、プロセスフィー(銃取得のための申請費用)も銃のセット(弾倉や弾丸など一式が、ケースに収納されているらしい)も、それぞれ500ドル、700ドルほどと誰もが手が届く料金帯だと言う。銃の取り扱い方を学ぶ講習を課されたため1度受け、もう1度受ける必要があるらしい。また申請から銃の所持まで1年半ほどかかり、やっと今年手にしたということだ。 ブルックリンの筆者が住む地域は、徒歩圏内に警察署があるだけでなく、警察管区(precinct)の犯罪率は市内でも低い方、つまり治安は割と良いとされるエリアだ。一方、犯罪率が高いエリア程、警察の手が回らず、騒音問題などちょっとしたいざこざ程度では警察が動いてくれないという話も、友人から聞くことがある。そしてHさん夫妻のように、治安は悪くなくとも近くに警察署がない地域に住めば、銃を持って安心を得たいと思うのは、至極自然なのかもしれない。むしろ筆者のようなケースはアメリカでは稀であり、内陸部や田舎の方に行けば、警察署なんてまったく存在しないなんてよくある話だ。Hさんから話を聞き、この2年で拳銃が飛ぶように売れている現状、銃を手に入れたいと思う人々の気持ちに合点がいく気がした。 関連記事 アメリカ人は、日本人のように「銃があるから危険」とは考えず、「銃を多く所持するほど、より安全が守られている」と考えるから、社会不安が人々の中で広がれば、自分や家族を守るために銃を購入する動機に繋がり、銃の売れ行きがよくなる。 Text and photos by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人より一部転載)無断転載禁止

有名アパレルのSNSが炎上!「多様化」目指す米でも批判を免れなかった体型イメージ

米アパレル、Abercrombie & Fitch(アバクロンビー・アンド・フィッチ)がソーシャルメディアに投稿したあるイメージが、大炎上した。 ニューヨークで1892年に創業した同ブランドは、主に白人の大学生を中心に人気がある。歴史が長く若年層に大きな影響力を持つ有名ブランドが、あるモデルを採用してイメージ広告を作成し、先週公式インスタグラムに投稿したところ、週末にかけて一気に拡散されたが炎上する騒ぎとなり、同社が投稿を削除した。 火種となったイメージ広告は、プラスサイズの女性にフィーチャーしたものだった。近年、プラスサイズのモデルを積極的に採用するアパレル企業は増えている。しかしこのイメージ広告に対しては、否定的な反応が大多数を占めた。 物議を醸した主な理由は「体型の多様性とインクルージョン(互いの個性を認め合うこと)を口実に、肥満と不健康な食習慣を正当化しようとしていないか?」というものだった。 あるSNSユーザーは「今シーズンの彼ら(アバクロ)は、糖尿病と心臓発作(の原因)にフィーチャーしている」と書き込んだ。また別のユーザーからは「あの写真を見て『あんな姿になりたい、あのショートパンツを注文しよう』と誰が思うのだろうか?」「​​肥満のイメージをセクシーで魅力的なものとしてアピールすることは、不健康そのものではないか」という書き込みもあった。 インスタのイメージ広告の炎上はほかのSNSにも波及した。ある投稿者の「削除したのか?」との質問に、「質問やお問い合わせがある場合はDMを送ってください」と同社。 イメージに対して、擁護派の意見ももちろんあった。ある人は「肥満の人のために服を作ることは、今やそんなに悪いことなのか?」と反対意見を挙げた。 同ブランドはイメージ戦略としてこれまで、鍛え上げられたモデルのような上半身裸の男性スタッフを店頭に立たせるなどし、ルッキズム重視の傾向があった。女性もののXLサイズ以上を販売しなかったことに対して2013年、当時のCEO、マイク・ジェフライズ氏が「自分の店には大柄の人ではなく、細身の美しい人に来てほしい」と発言し、批判の的になったこともある。 これまでアメリカのファッション業界全体でも、伝統的に痩せたモデルが持て囃される傾向が強かった。しかしそのようなカッコ良いとされるイメージが、若者の痩せ願望や非現実的なボディスタイルへの憧れを助長させ、間違ったダイエットや不健康な食生活に誘導しかねないとして、近年、同ブランドやヴィクトリアズ・シークレットなど若年層に人気のブランドは、痩せ過ぎたモデルの採用を避ける傾向にあった。加えて、時代の流れと共にプラスサイズのモデルを積極採用するアパレルも少しずつ増え、体型の多様性がフォーカスされるなどし「価値観」の軌道修正がなされてきた。 ただし同時に、アメリカという国は先進国の中でもっとも肥満率が高いことでも知られる。CDCのデータによると、2017年から2020年3月まで、アメリカの成人の41.9%が肥満とされており、肥満率は年々増加傾向にある。肥満は心臓病、脳卒中、高血圧、糖尿病など生活習慣病の原因にもなり、高い肥満率は社会問題の1つである。よって、ダイバーシティが重視される近年のアメリカにおいても、今回のイメージ広告について「やや行き過ぎ」と見た人が多かったようだ。 Text by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人より一部転載)無断転載禁止

増えるテレワークと厳しい「従業員の監視」… 米国では?

コロナ禍でさまざまなニューノーマルが生まれた。その1つは新たな働き方、例えば職場におけるリモートワーク(在宅勤務、テレワーク、WFH)の浸透だろう。 筆者が住むアメリカ・ニューヨークでも、昼時のオフィス街に以前のような活気が戻ってきたように見える。しかし、リモートワークがそれほど根付いていなかったコロナ前に「完全に戻った」とは言い切れないかもしれない。 実際に周りの人々に状況を聞いてみると、コロナ禍以降の働き方は実に「多様化」してきた印象を受ける。完全出勤体制(オフィス勤務)に戻った人もいれば、在宅&オフィスのハイブリッド、つまり週の半分をオフィス出勤し、ほかの日はリモートワークの人(出勤は週1の人も中にはいる)、そして完全リモートワークの人もいる。 また、「自宅では集中できない」「経理なので仕事を外に持ち出せない」「取材は市内であるので、オフィスには毎日通っている」と答えた一部の人を除き、筆者の周りの多くは「リモートワークの方が良い」(もしくはハイブリッドでも良いが、リモートワークに比重を置きたい)と考え、それが叶えられている現状に満足している人が多かった。 関連記事 NYのオフィス街に人が戻りはじめたのは2021年春ごろ。 新型コロナに「打ち勝った」“先行事例”となるか?NYが復興へ前進、大規模再開へ ある統計資料によると、労働人口が1億6460万人(2020年2月)を超えるアメリカでは、470万人以上の人が勤務時間の半分をリモートでできる職場環境にあるという。リモートワークのみの従業員を雇用している企業はわずか16%、リモートワークをまったく許可していない企業は44%と半数近くだ。 世界規模で見てみると、完全リモート化の企業は全体の16%と、まだ一部のようだ。またハイブリッドの勤務形態をとっているのは労働者の約62%。 マイクロソフトが今年初めに世界中の3万人以上の従業員を対象に行った調査では、52%の人が完全リモートワークまたはハイブリッドの勤務体制に移行したいと考えていると答えた。今後技術がさらに進歩し、特に若い世代の働き手がリモートワークを求める傾向にあることから、今後もリモートワーク化を進める(許可する)企業は増えていくかもしれない。 関連記事 「ある調査では、9割が在宅勤務を含む働き方を希望し、半数は在宅勤務メインの働き方を希望すると答えた」(2021年8月の時点) いまアメリカで「自宅勤務を認めるvs認めない」企業で大論争が起きていた!(現代ビジネス) 増えている、テレワークの遠隔監視 リモートワーク化が進めば、雇用側として気になるのは「スタッフが自宅(もしくはカフェなど遠隔地)で真面目に仕事をしているか?」ということかもしれない。 24日付のニューヨークタイムズによると、経営者や上司が従業員に対して、テレワーク中に遠隔で監視する企業が増えているという。 記事では、テキサス州のIT企業でバイスプレジデント職に就いたある女性の事例が紹介された。その女性従業員は時給200ドル(約2万7000円)で雇用契約を結び、在宅勤務を開始した。その女性従業員はMBAを取得し、金融業界で長い経歴を持つベテランだ。200ドルの時給はアメリカでも比較的高めだが、この従業員の学歴やキャリアから考えるとアメリカでは特別に破格な時給でもない。 さて、いざ給料日になると、この女性従業員に実際に支払われた金額はその時給より低かったという。なぜか。 テレワーク中、会社はあるソフトウェアを使い、従業員をモニタリング(監視)していたようだ。具体的には、従業員のコンピュータの使用状況やキーボードの操作にどれだけ時間が費やされたかを遠隔でトラッキングし、従業員の勤務状況を把握するため10分ごとに従業員の顔写真とブラウザのスクリーンショットを撮影していた。実際には勤務中、コーヒーを淹れたり宅急便に対応したりするために離席する空白の時間があった。トイレ休憩も含めてそれらのオフラインの時間は「労働」とはカウントされていなかった。従業員が活動していると確認できたオンライン時間だけが時給換算され、給料として支払われたというわけだ。 しかし、この類のソフトウェアは万能ではないと専門家は指摘する。実際には、資料を見ながらコーヒーを淹れることもある。キーボードから手を休めて、外の景色を見ながらプロジェクトについて考えごとをすることもあれば、プリントアウトされた紙の資料を読むこともある。同僚と会話したり部下に口頭で指導したりもする。 ソフトウェアを使った機械的な監視方法ですべての勤務時間を適正に測定することは不可能だと考えられている。何よりも、その女性従業員は具体的な監視方法を知り「ぞっとする」気持ちになったと言う。 またこのような苛立ちや不満は、弁護士や会計士など高学歴の人々の間で高まっていることが特徴だ。「これまで低賃金の労働者が不満に思ってきた類の問題に、今彼らも直面している」と記事は述べている。 監視の効果を認める意見も 反対意見ばかりではない。筆者が話を聞いた中には、この監視制度を100%サポートするわけではないとしながらも、このようなシステムがあるからこそ「仕事に集中できる」「効率的な業務に繋がる」「時間配分をより工夫できる」「生産性が大幅に向上する」という意見もあった。別にサボろうと思っていなくても、時間を確認するためにスマホをチェックしたら、ノーティフィケーションに気づいてSNSを開き、ついつい長時間スマホを触っていた…なんていうことはよくあることだ。監視ソフトについて「集中力を高め、効率的なツールである」「本当に一生懸命働いた日、そのようなツールによる測定は満足感を与えるだろう」と見る専門家はいる。 「監視」は大企業でより浸透 テレワークにおける監視システムの導入でもっとも有名な企業は、アマゾンだ。ニューヨークタイムズによると、同社は依然、在宅勤務の内容をカウント(測量)しているが、15分を超えるアイドルタイム(動作がない時間)を精査し、上司との会話は本当に必要か、トイレにそれだけの時間を費やす必要が本当にあるのかといったようなことをより精査していきたい考えのようだ。 またJPモルガンも、コンプライアンス上の理由から、電話やメールの内容を通し、従業員が日々どのように働いているかを追跡、記録している。同社は「これらが仕事の効率化も担っている」と考えているそうだ。 監視システム(遠隔監視、電子監視)は大企業ほど行われる傾向があり、ニューヨークタイムズは「500人以上の従業員を抱える企業であれば『監視』が行われていると想定できる」と述べている。 またニューヨークポストによれば、これらの監視には主に4つの方法があるという。 タトルウェア(Tattleware)という監視ソフトウェア 電話の盗聴とトラッキング ハイパーロケーション監視 感情分析ソフトウェア (1)従業員のキー入力やマウスの動きを記録したり、コンピュータのライブストリームを介したりして監視する。 (ただし、キーボードに取り付けるマウスジグラーを使えば、実際に作業をしていないときでも作業をしているように取り繕うことができる弱点がある) (2)金融系企業には、1日中電話に耳を傾けるコンプライアンス担当者がおり、担当上司はインサイダー取引から汚い言葉使いまであらゆることをチェックしていると専門家の弁。 (3)Bluetooth(ブルートゥース)を使い、携帯電話や社員証に取り付けることで、雇用主は従業員の居場所、その従業員の周りに誰がいるか、誰が誰と繋がっているかなどを把握することができる。 (4)表情から人の感情を読み取ることができる新技術。例えば会社がZoomを介して従業員に週5日のオフィス勤務が再開する旨を伝えた場合、バイオメトリクス技術により不満げな人の表情をソフトウェアが解析。 テレワークをする従業員の労働を可視化できる、さまざまなソフトウェアが存在する。 ニューヨークポストによれば、「職場監視ソフトウェアの売り上げは新型コロナのパンデミックが発生した2020年3月以降、数週間で3倍以上になり、売り上げは今も伸びている。スパイのような監視行為はあなたが思っているよりはるかに日常的なものとして浸透している」。 リモートワークを好む従業員が増えていることを受け、監視を「交換条件」として使う企業もある。例えば「リモートワークが希望ですか?良いですよ。その代わり当社が使っている監視システムの使用に同意してください」という具合だ。 とは言え、中には監視システムをまったく使っていない企業もある。筆者が話を聞いたIT企業やメディア企業の代表者は、口をそろえて「スタッフがタスクをきちんとやっているかがもっとも大切なことであり、勤務時間内にパソコンの前にいるかどうかはそれほど関係ない」と答えた。 あなたは、監視される側(従業員)の立場として、または監視する側(経営者、上司)の立場として、今後ますます増えていくかもしれない遠隔からの監視体制について、どう受け止めただろうか? 過去記事 テレワークやオンライン授業に移行する人々の声 NY感染拡大で「社会的距離の確保」5事例(2020年) Text by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人より一部転載)無断転載禁止