中絶を禁じられた女性の立場で「見過ごせない理由」を考えてみた ── 白熱する「中絶論争」

6月に連邦最高裁判所が、半世紀にわたって人工妊娠中絶の権利を合憲だとしてきた「ロー対ウェイド判決」を覆す判断を示した。それ以降、中絶にまつわる議論が全米で日を追うごとにヒートアップしている。 中絶の規制は各州に委ねられ、州は独自の州法で中絶を禁止できるようになった。 過去記事 米最高裁「中絶禁止:ロー対ウェイド判決の覆し」なぜこれほど論争になっているか。米国人視点で考える 中絶が禁止の州はどこ? ロー対ウェイド判決を覆す最高裁の判決を受け、現在は少なくとも14州(妊娠6週以降の4州含む)で中絶が禁じられている。 今後数週間以内に、中絶を禁止する州はさらに増えると予想される。中絶を制限する法の施行を阻止するため、中絶擁護派(プロチョイス)によって多くの州で訴訟が起こっているものの、これまでの歴史を振り返ってみても、中絶反対派(プロライフ)の一部の過激派により、中絶クリニックの医師を襲って手術を阻止しようとした事件が起こった事例もあり、一部地域ではクリニックの閉鎖がすでに始まっている。 ニューヨークタイムズによる最新のインフォグラフィック そんな中、カンザス州では今月2日、大きな動きがあった(地図の真ん中のグレーの州)。州憲法から中絶権の保護を削除する是非を問う住民投票が行われたのだ。同州は歴史的に保守的で共和党支持者が多い。専門家は投票率について36%止まりになると予想し、住民投票で修正案が承認されるだろうと見ていた。 しかし蓋を開けてみれば、投票率は49%と半数近くで、中絶権を削除する法案を拒否したのは全体の59%にあたる54万票を超えた。削除を受け入れるとした41%(37万票超え)を18%も上回った結果に。つまり投票者の過半数が、中絶の権利がないとする州法修正案を拒否して合憲性を維持し、このような保守的な州でも中絶権についてさまざまな考えが存在することが明らかになった。(ニューヨークのような民主党寄りの州も然り) ニューヨークタイムズによると、例えば2020年の大統領選で81%と大多数の人がトランプ氏に投票した同州ハミルトン郡でさえ、今回の住民投票で反中絶の支持者は56%止まりということだ。 カンザスは、ロー対ウェイド判決の覆し以降、中絶の権利を巡る住民投票で擁護派が勝利した初の州となった。同様の住民投票は年内にケンタッキー州、カリフォルニア州、バーモント州でも予定されており、中絶権擁護派はカンザスでの結果が今後の指標になることを求めている。 中絶の権利がなぜこれほどの議論になっているのか、日本からはなかなか理解しづらい。2回目の今回は、中絶禁止州に住む擁護派の女性の立場から、なぜ中絶へのアクセスが禁止されると困ることになるのか考えてみる。 女性として、中絶へのアクセス権が譲れない理由 各研究機関により、以下のファクトが指摘されている。 アーバン・インスティテュートによれば 合法的な中絶へのアクセス:女性の経済的および社会的生活を改善する 中絶を拒否されること:女性と生まれてくる子に経済的困難と経済的不安をもたらす。健康と幸福に多くの悪影響を与える可能性がある コロラド大学の研究によれば 妊娠は安全な中絶よりもリスクが高く、もし全米で中絶が禁止されるようなことが起こるとなると、2年以内に妊娠関連の死亡者数が、少なくとも21%増加する可能性がある そもそも中絶手術を受ける理由として、予定外の妊娠や経済的困難、レイプ、DV、持病の悪化、子の重度の障害など、人それぞれだ。それぞれの事情により中絶が必要となった場合に、住む地域で、中絶へのアクセスが比較的しやすいかしにくいかは非常に重要だ。 住んでいる州で中絶手術へのアクセスが絶たれた場合の対策として、ディズニー、JPモルガン、メタ、アマゾン、スターバックス、テスラなど多くの大企業が、従業員が他州で中絶手術ができるよう、旅費を負担する方針を打ち出している。あなたは「それならば心配はない」と安堵するだろうか? 大企業で働いている人は、高所得者で恵まれた環境にあり、実際には皆が皆、そのような福利厚生がしっかりした大企業に勤めているわけではない。ガットマッハー研究所によると、そもそも中絶を受ける女性の75%が、貧困層か低所得者層であることがわかっている。そのような人々はきちんとした健康保険に加入しているケースは少ない。よって、中絶手術を受けるためだけに仕事を休んで、わざわざ他州に旅行ができるわけがない。 また、望まれた妊娠だとしても、突発的になにが起こるかわからない。中絶への自由なアクセスがない環境において、流産が避けられず母体の生命が危険に晒される事態になったとして、万が一中絶手術を受けられなければ「妊産婦死亡率は上昇するだろう」とメディアは警鐘を鳴らす。医師が起訴されることを恐れて「法的枠組み」を遵守し、中絶処置を拒否した結果、母体が命を落としたケースは、アメリカのみならず、伝統的にカトリック教徒が多い(人口の70%を占めるような)国々で後を絶たない。 繰り返しになるが、そのような不幸に見舞われるのは大企業で働いている女性ではない。主に影響を受けるのは、身近に中絶手術ができる医療機関のない場所に住む人、社会経済的に地位の低い人、そして思春期の若者だ。 【写真キャプ】ロー対ウェイド判決を覆す判決後、プロライフ派がクリニックの外に集まった。「生命は神の賜物。胎児を殺してはならない」がカトリックの「基本原則」とされている。 「私の体は、私が選ぶ」の本当の意味 中絶権擁護派(プロチョイス)と言っても、中絶を100%奨励しているわけではなく、そうならないように防止することが大切だとしている。その上で、中絶が必要となってしまった場合に、「誰もが自分自身のことは自分自身で選択するべき」というのが基本原則だ。 日本の母体保護法の定める「中絶は配偶者(夫やパートナー)の同意があってこそ」の概念は一切ない。まさに“My body, my choice”(自分の体は“自分”が選択)の本来の意味に則っている。 中絶にあたって配偶者の同意を法的に規定している国と地域は、日本、台湾、インドネシア、トルコ、サウジアラビア、シリア、イエメン、クウェート、モロッコ、アラブ首長国連邦、赤道ギニア共和国の11ヵ国と地域。資料 伝統的なカトリック教徒の国、アイルランドをはじめとし、ヨーロッパの国々でも中絶に対する規制が緩められているのが世界の潮流だ。一方アメリカでは(ロー対ウェイド判決が覆される前であっても)、中絶擁護派と反中絶派が政治と法律面で幾度も闘ってきた。まるで時代と逆行しているようにも見える。 ますます白熱する中絶議論は、11月の中間選挙の大きな争点となりそうだ。激しいインフレ、杜撰な移民対策、アフガニスタンからの米軍撤退などでバイデン大統領の支持率は31%とさらに低迷している。銃規制、税制改革、インフレ対策など選挙結果を大きく左右するであろう要素の中に、国民の間でヒートアップする中絶問題も選挙の争点となり、民主党は反転攻勢をしていくだろうか。 Text by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人より一部転載)無断転載禁止

米最高裁「中絶禁止:ロー対ウェイド判決の覆し」なぜこれほど論争になっているか。米国人視点で考える

憲法9条改正か否かの議論が日本にあるように、アメリカにも国を二分する議論がいくつもある。そして、ますます分断が広がる政治論争の最たるものは、「人工妊娠中絶と女性の権利」「銃規制」についてだ。 連邦最高裁判所は24日、中絶の権利を認めた「ロー対ウェイド事件」、つまり半世紀も前に認められた判決を覆す判断を示し、アメリカが大きく揺れた。この訴訟は、妊娠15週以降の中絶を禁じるミシシッピ州の州法の合憲性を争うものだったが、この日最高裁の判事9人のうち保守派6人が同州法を合憲と認めた形だ。これにより中絶の規制は各州に委ねられ、各州は独自の州法で中絶を禁止できるようになった。(ドブス対ジャクソン女性健康機構訴訟の判断) なぜこれほどの大ニュースになっているのかは、日本からはなかなかわかりづらいため、本稿ではこの国に住むアメリカの人々のさまざまな価値観から考える。 「ロー対ウェイド事件判決」とは? 妊娠していた未婚女性(原告名ジェーン・ロー。身元を隠すため仮名)や中絶手術を行い逮捕された医師らが原告となり、中絶は憲法が保障する女性の基本的権利であり、中絶手術を禁止したテキサス州法が違憲であると、同州ダラス郡ヘンリー・ウェイド地方検事を訴えた訴訟(1970年)。 望まない妊娠を継続するか否かの判断は女性のプライバシー権に含まれるとし、最高裁の判事9人のうち7人が、中絶を規制する法律を違憲とした最高裁の判決(1973年)。 以降、50年近くにわたって連邦政府によって認められた中絶の権利だったが、国家レベルでその憲法上の解釈が根本的に変更された。 過去記事 キリスト教の保守的勢力(宗教右派)と呼ばれる人々は、人工妊娠中絶を殺人と捉える。昨年のバイデン大統領就任式の日の議事堂周辺にも、そのような人々の主張が数多く渦巻いていた。 乱入防止の鉄線の外側で起こっていたこと ── 米大統領就任式 現地ルポ どの州が中絶禁止となりそうか? ロー対ウェイド判決の覆しにより、26の州で犯罪とみなされる中絶を禁止、もしくは規制強化すると見られている。 その州とは、以下の柿色に塗られている場所だ。 アラバマ、アリゾナ、アーカンソー、ジョージア、アイオワ、アイオワ、ケンタッキー、ルイジアナ、ミシガン、ミシシッピ、ミズーリ、ノースダコタ、オハイオ、オクラホマ、サウスカロライナ、サウスダコタ、テネシー、テキサス、ユタ、ウェストバージニア、ウィスコンシン、ワイオミング、フロリダ、インディアナ、モンタナ、ネブラスカ ご覧の通り、主に南部と中部に位置する「赤い州」がマジョリティだ。ざっくりと説明すると、これら柿色の州の人々(の多く)は、最高裁のロー対ウェイド判決の覆しを歓迎していると考えることができ、グレーの州の人々(の多く)は覆しに落胆し、そして一部では抗議活動も起こっている。(もちろん人々の支持や思考はより多様化しており例外はある) Voxが報じたピュー研究所のデータによると、例外なくすべての場合において中絶が合法であると答えているのはわずか19%ということだが、Gallupの調査によると(中絶の支持率は妊娠週数にもよって異なってくるが)有権者の85%は、中絶は女性の権利=合法であるべきだと考え、国民の多くは半世紀にもわたって憲法で保障された権利が、もはや国家レベルで存在しないことについて落胆し失望したと考えることができる。それでこのような大きな論争が全米で巻き起こっているというわけだ。 「旅費を負担」大企業の動き ロー対ウェイド判決の覆しを受け、ディズニー、ネットフリックス、パラマウント、ゴールドマン・サックス、JPモルガン・チェースなど、大企業も対応に追われた。 これらの企業は、従業員が中絶のため他州を訪れる必要がある場合、その旅費などを会社が負担すると示したことが報じられた。 イーロン・マスク氏率いるテスラ社も同様の措置を発表。同社は昨年、本社を青い州のカリフォルニア州シリコンバレーから赤い州のテキサス州に移転した。テキサスは、妊娠6週間以降の中絶を禁止する法律とトリガー法(ロー対ウェイド判決の覆しにより、自動的に中絶禁止または規制強化できる法的措置)を可決した州だ。マスク氏はこれまで、共和党支持を表明し保守派に歓迎されてきた人物だが、こと中絶に関してはポリシーが異なるということか。 前日、NYでは銃規制法の覆し 最高裁の州法の覆しといえば、この前日、拳銃を自宅外で隠して持ち運ぶことを禁じるニューヨーク州法を違憲とする判断が下されたばかりだ。同州は全米でも銃規制が厳しく敷かれており、拳銃を(周囲から見えないように)携帯する場合に免許の取得を義務付けている。これには、闇取引されている銃器の持ち歩きや乱用を制限する効果があった。しかしこちらも最高裁の保守派6人の判事により、自衛のために公共の場で拳銃を携帯する権利は、憲法で保障されているとの判断が示された。 ニューヨークの人々は、最高裁の保守的な過半数の判事により、銃を(隠して)携帯する必要がある際にまっとうな理由を示すことを要求する一世紀もの長い歴史を持つ州法を覆されたことに怒りを示した。当地はそれでなくても、コロナ禍以降、犯罪者がストリートに溢れているところに他州からの違法銃が湯水の如く流入し、街中や地下鉄での銃犯罪が急増しているのだ。 同様の厳格な銃規制法があるニュージャージー、カリフォルニア、ハワイ、メリーランド、マサチューセッツ、首都ワシントンなど米全土にも今後、影響を及ぼしそうだ。 これら中絶と銃規制に関する最高裁による覆しの共通項は、この国の人々がもっとも重視する基本的な権利について改めて問われたものだ。半世紀以上もの間、人々の中にあった根本的な権利についての解釈が覆され、保守派勢力が勝利を収めた形だ。これが4ヵ月後に迫った中間選挙にどう影響を及ぼすだろうか。 ロー判決が下された1960~70年代のアメリカは、ウーマンリブ(Women’s Liberation、女性解放)運動が盛んだった時代だ。ニューヨークに住む筆者の友人の女性は、ロー判決の覆しのニュースを聞き、ため息をつきながらこのように言った。「現代に生きる女性が、自分の母親の世代より権利がより限られてきているって、一体どういうこと?」 Text and photos by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人より一部転載)無断転載禁止