いつもは「取材する」側ですが、今週は「取材される」側が多かったです。 私が9月25日に書いた記事「小室圭さん報道で考える「人の見た目問題」。日本は真の多様性に向け何が必要か」という投げかけについて、複数のメディアにも興味を持っていただきました。 いくつか取材オファーをいただいたので、コメントさせていただきました。 ネットニュース ABEMA NEWS 「アメリカのメディアでは考えづらい」 小室さんの“見た目”報道に問題提起したジャーナリスト ヤフーニュースにも取り上げられました。 テレビ MBS よんチャンTV9月27日(月)3:40-7pm 英字新聞 The Japan Times ジャパンタイムズ Kei Komuro’s ponytail caused a media frenzy in Japan — leaving some to ask why ヤフーニュース個人で投げかけた私の問いが、このようにテレビ、ネットニュース(動画と音声)、そして英字新聞(他言語)でもお届けできたことに感謝します。 アメリカメディア また、日本の一部のメディアによる「長髪論争」ですが、28日になって米主要紙ワシントンポストや米ヤフーニュースでも大きく取り上げられています。 P.S. 長髪報道ではありませんが、ニューヨークの地元メディア、NYポストからも取材をされまして、私のコメントが日曜日版に掲載されました。電子版でも読めます。 「長髪論争」関連記事 小室圭さん報道で考える「人の見た目問題」。日本は真の多様性に向け何が必要か めちゃくちゃバズった「小室圭さん報道で考える人の見た目問題」後記 … 人は他人に自分のことをあーだこーだと言われたくない生き物(ノアドット) 米主要紙も疑問を呈した「日本の髪型報道」 眞子様&小室さん結婚問題、アメリカではどう報じられたか ### 安部かすみ
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めちゃくちゃバズった「小室さん長髪報道で考える人の見た目問題」後記
人は他人に自分のことをあーだこーだと言われたくない生き物 金曜に書いた記事が、Yahoo! JAPAN, NewsPicks, はてななどのトピックスに取り上げられ、びっくりするほど多くの方に読んでいただきました。日本時間の土曜日3pmからツイッターのトレンド入りもしたようです。 小室圭さん報道で考える「人の見た目問題」。日本は真の多様性に向け何が必要か 小室氏の見た目言及 NYではNG 記事執筆のきっかけ そもそもこの記事を書くきっかけは、ニュースフィードに並ぶ各紙の見出しに小室圭さんの「長髪」「ロン毛」という文字が散見されていたことに違和感を持ったことからです。小室さんの近影を確認したら不潔な印象もないですし、単純に「長髪の何が悪いのだろう?」と思いました。パンデミックで散髪する機会も減り、忙しすぎて伸びてしまったのかなくらいしか思いませんでした。髪型がニュースフィードで踊るなんて日本らしい話題だなと思い、ヤフーのオーサーコメントに書いてみたら反応が良かったので、翌日記事で発信してみました。 さまざまな反響(まとめ) まず自分のツイッターにたくさん意見が寄せられました。 リツイートもたくさん。(以下順不同) 反響は過去記事にも波及しました。 近藤サトさんに学ぶ「ありのまま」の美しさと、アメリカ人のグレイヘア観 私の記事への反響の中には、論点のすり替えといった意見や長髪ではなく彼の態度が問題という意見もありますが、私はそもそもその視点で筆を執っていないので…。 (反対意見も含む)これだけ多くの人が何かしら普段からふつふつと考えることがあったからこそこれだけ大きな話題になったのだろうし、私はただメディアへの問題提起として発信したことが、読んでくれた人々にとっても何かしら「考えるきっかけ」となったようなので、発信してよかったと改めて思っているところです。 AbemaNewsも取材してくださったので、良かったらご覧ください。 9月27日(月)12-1pm(生放送のため変更の場合もあり) (執筆後に改めて思ったこと)人は他人に自分のことをあーだこーだと言われたくない生き物 私は、小室さんの人柄や眞子さまとの結婚問題について関心がそれほどないので、それについてのコメントは差し控えますが、あくまでも「小室さん報道で考えた見た目問題」という視点で考えると、執筆後の反響などを見て思ったこととして、結局のところ「人は他人に自分のことをあーだこーだと言われたくない生き物なんだよなぁ」ってことでした。 家族にしろ友人にしろ彼氏彼女にしろ、上司や同僚にしろ、今日会ったばかりの人にしろ、自分以外の誰かに自分の容姿、生活、人生について「あれ?ちょっと太った?」「わぁ実際に会ったら意外と大きいんですね!」「そんな生活であなたやっていけるの?」「あんな人と付き合って大丈夫?」なんて言われたくないのです。 すべて「放っておけ」事案です。 ちなみに「人の見た目」を気にするかしないかについては、アメリカ人も気にします。以前ブログに書きました。 でも「気にする」と「あーだこーだと(わざわざ)言葉にする」は異なるもの。 他人のヘアスタイルの言及についても、問題になっているからこそニューヨークでは法律で取り締まりが行われていて、その動きの中で人々が「人の見た目や容姿について、他人があーだこーだ言わないようにしようね」っていう考えが広まっているのです。 見知らぬ子供から自分が着ているものについて「そのコート素敵!」なんて褒められることも珍しくないアメリカで私自身が19年暮らしていて、普段の生活の中で他人から褒められることはあれど、あーだこーだと言われたことはありません。多民族が共存するこの街では、まともな人であれば、デリケートな話題には触れないというデリカシーに関しての基準を血で理解している、そんな気もしています。 そしてデリカシーに関しての基準は、メディアと教育者から変わっていかないと、なかなか人々の意識まで変わっていかないです。黒人の肌の色を茶化したり、ライトカラーに塗り替えられたりすることが数年前まで日本のメディアや広告で堂々となされてきたのが、人々がやっとそれらをタブーだと理解し、近年は厳しく規制されるようになりました。肌の色や髪型など人の見た目について、井戸端会議で話すような下世話なことをメディアや教育の場で面白おかしく話題にしないというのが今後求められているのでしょう。 また、他人の見た目があまりにも気になりつい言ってしまうというのは自分の自信のなさの表れでもあります。 人の見た目について他人がとやかく言わない世の中に1歩でも近づくことを願っています。 Text by Kasumi Abe 安部かすみ(ノアドットより一部転載)無断転載禁止
小室圭さん報道で考える「人の見た目問題」。日本は真の多様性に向け何が必要か
眞子さまと小室圭さんの結婚問題に注目が集まっている。最新の報道では、ニューヨークに暮らす小室さんがミッドタウンで一時帰国に必要なPCR検査後、日本のテレビ局にスクープされたという話題で持ちきりだ。 小室さんと母親のさまざまな疑惑について多くの国民が納得していない状態では、何をしても火に油が注がれる状態のようで、一挙手一投足がマスコミの格好の餌食となってしまっているようだ。 さてニューヨークでの路上スクープについて、筆者は当地に長く住んでいる身として、どうしてもニュースフィードに並ぶ「長髪」「ロン毛」「コムロン毛」「ポニーテール」などという言葉が気になってしまう。 近影の長髪姿を見たが、後ろで縛って不潔な印象は特になかったし、普段はほとんど寮から出ていない生活のようだから、(結婚、就職、労働ビザ取得などの準備で)忙しすぎて髪を切りに行く時間がなく自然と伸びてしまったのかな、くらいの印象しか持たなかった。しかし、これほど長髪についての見出しが並ぶと、否が応にも気になってしまう。 日本はそもそも、髪型(ヘアスタイル)について厳しい国だ。学校では生徒の髪型や服装を校則で厳しく取り締まっているし、令和の時代においても生まれながらの自然な茶髪を黒髪に染めるように言われた、本人の意向を無視し教師が勝手に手を加えた、天然パーマを縮毛矯正するよう指導された、三つ編み禁止を通達されたなど、意味不明な校則がいまだに存在するようだから、小室さんの「長髪報道」もなるほど日本らしいと思った。 小室さんが今いるのはニューヨークであるから、ニューヨーク事情を説明すると、多民族が暮らすこの街では、人の見た目や身体的特徴について、例えば障害はもちろんのこと、肌の色、髪型、体型などについて、他人があれこれ物申すのはハラスメントにあたり、タブーとされている。 髪型に関することは特に近年、規制が強まっており、2019年より州内の職場において、従業員の髪型について言及したり、髪型を理由に不採用にしたり解雇したりすることを法律(人権法=NYSHRL)で禁じた全米初の都市になった。 このような法律がなぜできたかと言うと、裏を返せばそれだけ髪の毛を含む見た目にまつわる嫌な思い(ハラスメント)を多くの人が受けているからにほかならない。被害を受けやすいのは主に黒人、ヒスパニック系、ユダヤ系などで、近年でも職場や学校で、そのようなハラスメントが皆無とは言えない。たびたびニュースにもなっており、例えば18年、ニュージャージー州の白人が多く通う高校のレスリングの試合において、審判がドレッドヘアの黒人選手に対して、髪を切るか試合を棄権するかの選択を迫り、一時試合に出場できない事態になったこともある。 ちなみにアジア系が髪型で被害に遭うケースはほとんど聞かないが、それでも身体的特徴について言及されたというようなケースは存在するようだ。 多民族が共存するNYで求められること 誰の髪が長かろうと、ドレッドロックスだろうと、スキンヘッドだろうと、この街では我関せずが求められる。その人のそのままの姿を受け入れるというのが、真の多様化に向けた1歩になるのではないだろうか。 人の見た目について他人があれこれ言及することがタブーと言えど例外はあり、「褒める」ことは歓迎されている。もちろん異性を過度に褒めちぎることやリップサービスは注意が必要だが、例えばYou look great.(元気そうだね)やYou changed your hair. It looks nice.(髪型変えたんだね。いいじゃん)などは普段の会話でもよくされる。 またそれほど多くはないものの、自虐に他人が多少乗ったり笑い合ったりするのは問題ないとされている。アメリカ人特有のユーモアセンスで、自虐ネタで会話を和やかにするのはよくあることで、コメディの技法でも使われる。 ただ日本人にとってトリッキーなのは、褒め言葉だと思ってかけた言葉が、外国人にとっては実は褒め言葉になっていないものがあることだ。 例えば、日本人が外国人を見て言ってしまいがちな「顔が小さい」「鼻が高い」「(女性の)背が高い、大きい」「髪が多い、少ない」などはNGワードだ。「痩せた」も褒め言葉のようで実はアメリカでは褒め言葉ではない。アメリカでは痩せていることが必ずしもよしとされておらず、太った・痩せたは健康に関わるデリケートな話題のため、よっぽど親密な関係でない限り避けた方が無難だ。 褒め言葉か否かの判断がつきにくい場合、他人の見た目について「何も言及しない」のが賢明だろう。 話が少し脱線してしまったが、今回小室さんの長髪にまつわるヘッドラインがなぜこれほど多いのかというと、「眞子さまの婚約者らしからぬ」ということがあるのだろう。筆者は個人的に、だらしない格好ではなく清潔感がなくされていなければ、どんな髪型でも格好でも気にならないのだが、そのような価値観は日本で許されないのだろうか。「こういう人はこうあるべき」「このような職業の人はこういう格好をするべき」などという固執したイメージを強く持ち続ける限り、なくなっていかない価値観だろう。これは日本だけではなく、イギリスでもヘンリー王子と結婚したアメリカ人のメーガン妃がイギリス国民にだいぶん叩かれてきた。(そんな彼らもカナダを経て現在アメリカ在住) そもそも、小室さんは多民族が共存するニューヨークに移り住んで3年も経つから、日本独特の「〜らしさ」「〜であるべき」という価値観の中でもはや生きていないかもしれない。 反対意見ももちろん多いだろうし、どれが正解かは見えづらい話題ではあるが、今回の「長髪報道」でふとニューヨーク現地から考えさせられたことだった。 関連記事 オーサーコメント 子どものヘアスタイルと多様性、アメリカでは訴訟問題。(フィガロジャポン) 悪気ない行動に差別のDNAが宿っている?有名人ブログの「あえて白人」発言の違和感 近藤サトさんに学ぶ「ありのまま」の美しさと、アメリカ人のグレイヘア観 Text by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人より一部転載)無断転載禁止