オミクロン株、米上陸も時間の問題…心配をよそにNY次期市長が「アフリカ家族旅行」で物議

ニューヨークで再び非常事態宣言 次から次に出現する新型コロナウイルスの変異株に、人々は「またか」と意気消沈気味だ。 南アフリカで最初に見つかった変異株「オミクロン」に関して、アメリカでも一気に話題を席巻し始めた。つい数日前の感謝祭(25日)の集まりでは誰一人とて話題に持ち出すことはなかった変異株が、ここ2、3日で一気に人々の新たな関心事として浮上している。 オミクロン株は現時点(29日朝)でアメリカ国内では未確認だが、NBCニュースによると、すでに5大陸にわたる少なくとも15ヵ国で確認されている。隣国カナダも含まれており、アメリカ国内で検出されるのも「時間の問題」と見られ、警戒が強まっている。 今月8日アメリカはワクチン接種完了を条件に、これまで渡航が禁止されていた国からの外国人の入国を再許可したばかりだったが、バイデン政権は水際対策として、アフリカ南部8ヵ国からの入国を禁止するなど先手の対応に着手した。対象国は南アフリカ、ボツワナ、ジンバブエ、ナミビア、レソト、エスワティニ、モザンビーク、マラウイで、これらの国に過去14日以内に滞在した外国人は、アメリカに入国できない。 ニューヨーク州でも感染再拡大を受け、ホークル知事が26日、再び非常事態を宣言した。非常事態は12月3日から来年1月15日まで有効で、期間中は病床と医療従事者を確保するため、緊急でない手術を制限したり、パンデミックに備えて物資を調達したりすることが可能になる。 同州は今年6月、1å¹´3ヵ月に及ぶ非常事態を解除したばかりだった。しかし州内の陽性率は再び4%を超えており、デブラシオ市長も29日、ワクチン接種済みの人々を含むすべての市民に対して、屋内での活動時におけるマスク着用を再勧告した。 この時期「スピリチュアルな旅」でアフリカへ? そんな中、ある人物の言行が物議を醸している。 次期ニューヨーク市長、エリック・アダムス氏(61)である。同氏は29日、以前より予定されていたアフリカ、ガーナへの家族旅行について、取りやめないことを記者団に語った。滞在は12月8日までの予定だ。 オミクロン株の感染拡大を懸念し旅行を取りやめる人も出ている中、同氏は地元紙デイリーニュースからの「渡航における心配はないのか」という問いに対して、「私は何も恐れていない」と答えた。 渡航の目的は、奴隷がアフリカからアメリカに連れて来られて400年以上が経過した今、市長に選出されたらアフリカを訪れると決めていたという。その理由として「祖先が奴隷船で連れて来られてから400年後、私は最重要都市の一つの市長になろうとしている。その祈りのため、そしてスピリチュアルな浄化のため」とした。 当初、ガーナに先駆けヨーロッパ旅行も計画していたようだが、オミクロン株の拡大によりそちらは中止とした。一方でガーナへの「スピリチュアル旅行」は変更しないということのようだ。 同氏はブルックリン区の特に犯罪率の高いブラウンズヴィル地区出身で、以前は警察官として勤務し、2014年よりブルックリン区長を務めるなど、叩き上げの人物として知られる。来年1月1日からは、ニューヨーク市で史上2人目の黒人市長として就任することが決まっている。 ガーナはアフリカ大陸の西部に位置し、渡航禁止となった8ヵ国には含まれていないものの、APによると少なくとも1回のワクチン接種済みは人口の18%に止まるなど、接種率の低さが指摘されている。 オミクロン株の世界的な拡大が懸念されているこの時期に「なぜ国外、しかもアフリカへの渡航を押し通すのか」「これが次期市長にふさわしい行いか」など、素養を疑問視する声が出ている。 関連記事 1å¹´3ヵ月ぶり「非常事態」が解除 NYはいま【昨年との比較写真】 米入国にワクチン接種義務化。健康上の理由で接種できない人は今後どうなる?… 専門家に聞いた 入国は「ワクチン接種者のみ」……どうなる?海外旅行。(フィガロ) Text by Kasumi Abe (Yahoo!ニュース 個人より一部転載)無断転載禁止

「クラフトビール」ブームを作った男 ブルックリンラガーが世界のビールになるまで【創業者インタビュー】

創業者のスティーブ。カウンター右端がいつもの指定席。© Kasumi Abe 水曜日の午前10時。テイスティングルームの2階にあるオフィスはとてつもなく広く、剥き出しの天井と柱がいかにもブルックリンぽい。「ようこそ」と笑顔で現れた創業者のスティーブ・ヒンディは、ストライプシャツの上にカジュアルなベストを羽織りジーンズ姿。いわゆる会社の「エライ人」というより、 どちらかと言うと同業者を思わせる。 私は大好きなブルックリンラガーの話を聞けるこの日を、とても楽しみに迎えた。スティーブに誘導され、スタッフが仕事をしているオフィスを歩く。右側の全面ガラスの向こう側にはミーティングルームが連なり、いくつもの戦略会議が行われているようだ。胸が高鳴る中、一番奥の部屋へと通されテーブルに着いた。 ブルックリンブルワリー(Brooklyn Brewery)とは? 全米はもとより、日本や北欧でも流通するニューヨーク発の地ビール。創業は1987年。戦場ジャーナリストだったスティーブ・ヒンディ(Steve Hindy)が、中東特派員を終え帰国後、自宅キッチンで趣味のビール作りをしたことが始まり。クラフトビールという概念はここから始まったと言っても過言ではない。 (以下、創業者スティーブ・ヒンディ氏のインタビュー内容) 80年代、戦場を駆け抜けた 私は1979年から5年半、ジャーナリストとしてAP通信で働き、中東地域に派遣されました。イラン革命時にはイランでアメリカ大使館人質事件をレポートし、イラン・イラク戦争時はバグダッドでイラク軍のすぐそばにいました。湾岸戦争時はベイルートで戦況を追っていました。特派員という仕事は大変やりがいがありました。 それがなぜブルックリンでのビール作りに至ったか。 妻エレンとのロマンスが関連します。札幌生まれのエレンとは16歳の時に出会い、彼女が大学を卒業した73年に結婚しました。私は24歳、エレンは22歳。私の就職のために北部アップステート・ニューヨークからニューヨーク市内に引っ越しました。しかしその後いろいろあって、私たちは離婚することに。ベイルートに派遣された後も、私はしばらく報道にのめり込んでいました。しかしある時ふと心の中で、エレンを恋しく思うようになりました。手紙を書き何度かのやりとりの後、彼女がベイルートまで会いに来てくれました。 最終的にはよりが戻り、私たちは戦時中のベイルートで再婚しました。子どもが生まれた後は、危険と隣り合わせのベイルートからカイロに引っ越し、2人目の子も授かりました。そんな訳で私たち夫婦は山あり谷ありですが47年間も一緒にいます(笑)。 そうこうしていたら、マルコス元大統領の件でフィリピンへの派遣要請がきました。私は嬉しくて意気込んでいたのに、エレンが幼子連れでのマニラ行きは嫌だと大反対。それで私は自分の意に反して84年に退職し、家族と共にニューヨークに戻って来たのです。 翌年から新聞社のニューズデイ(Newsday)の編集者の仕事を得ました。しかし私は全然ハッピーではありませんでした。世界を揺るがす場所で動き回っていた私にじっと机に座る仕事ができると思いますか? もちろん編集者次第でレポートの価値も上がってくるので良い編集者はとても価値があります。しかし私にとって編集職は見返りを感じられませんでした。オフィスを見渡すと、年寄りの白髪頭の同僚男性が、ネクタイを締めて机にひたすら向かっている。「これは自分がやりたいことではな~い」と思いました。 振り返ると、おそらくこれが起業への強いモチベーションになったのでしょう。 ビール作りは自宅キッチンから そのころ私は趣味で、自宅でビール作りを始めました。カイロで出会ったアメリカ大使館の外交官が、サウジアラビアに住んでいた時、アルコールを買えないので自宅で作っていたと教えてくれました。その時にビールって自宅でできるんだと知りました。 当時からニューヨークには、ビールやワインのホームブルワリーキットを販売する店がいくつかありました。ラガーは温度調整が大変だけどエールは簡単なので、最初はアンバーエールを48ボトル作りました。なかなか美味しかったですよ。ただし…ボトルに蓋を取り付けるのが一苦労でね。いつもボトル半分が破損し、ガラスの破片が散乱するわエレンには怒られるわ…。 それから2年後の87年に、トム・ポッターと一緒に創業しようということになりました。私はそれまで大企業に属していたわけですから、起業は大きな変化でした。事業を立ち上げるのは未知の世界で怖かったです。資金が持つか、売れなかったらどうしようか、など心配は尽きませんでした。 治安悪し=安い土地、ブルックリンで創業 ビールを販売したのは翌88年からです。今の場所よりもっと奥地のブッシュウィック地区で醸造していました。 その時代のブルックリンは、とても治安が悪かったです。日暮れ後は大男のトラックドライバーでさえも近寄らなかったほどでした。なんでそんな場所を選んだか?19世紀のビール醸造所の廃墟ビル(Otto Huber Brewery)跡地の2階が無料で貸し出されたからです。 しかしタダより高いものはありません。床はガタガタで、エレベーターとフロアの段差も大きく、ビールの搬出は相当骨の折れる作業でした。結局、有料(年間リースがスクエアフィートで1ドルと格安)の1階に移ったものの状況は変わらず。91年からウイリアムズバーグ地区にオフィスや倉庫を置きながら、88年から96年まで州北部のユティカ市で醸造していました。 ウイリアムズバーグの今の場所に醸造所とテイスティングルームを置いたのは96年のことです。 今ではウイリアムズバーグは、マンハッタンより不動産が高くなりました。しかし当時は倉庫や工場以外何もなく、年間リースがスクエアフィートで3ドルと格安でした。うちは35,000スクエアフィートなので当時の賃料は年間105,000ドル程度。今では60ドル以下は見つからないから、どれだけ安かったかわかるでしょう? 世界的デザイナーが手がけた「B」ロゴ誕生秘話 ブルックリンはもともとビール作りの盛んな街で、19世紀には48もの醸造所があったんですよ。76年に廃業するまで、この辺にも2つの大きな醸造所がありました。 だから私たちの創業時のキャンペーン(スローガン)は「メイド・イン・ブルックリンのビールを作り、この街に醸造所を復活させよう」ということでした。 私が最初に考えたブランド名は、地元紙からとった「ブルックリン・イーグル・ビール」。ブランド名が決まれば次はラベル作りです。エレンが「せっかく作るのだからトップ中のトップにお願いしては?」と言います。私の頭に浮かんだのは「I(ハート)NY」のロゴやボブディランのアルバムを手がけたミルトン・グレイザーでした。 早速彼のオフィスに電話をかけてみました。電話に出た女性は「あなた、ミルトンが誰だかお分かり?」と聞きます。私は「もちろん。それを承知で電話しています」と答えたところ「ミルトンは誰でも闇雲に会うわけではありませんよ」とあっさりと断られました。私のジャーナリスト魂がメラメラと燃え、こう返しました。「私はミルトン・グレイザーに会うつもりでいます」。その日から毎日電話をかけ続けました。 ある日その女性が「あなた、諦める気になったわけではないですよね?」と聞いてきたことがありました。私は「いいえ。私はミルトンと話をしたいのです」と答えました。彼女は「待って」と言い、ついにミルトンに繋げてくれたのです! ミルトンに構想を話したところ「それは楽しそうだね。会いにおいで」と招いてくれました。そうして出来上がったのが87年に完成した「B」のロゴです。 《誕生》「クラフトビール?何それ?」 ただし、事業はまったく思うようにいかなかったです。ニューヨークはビジネスをする上で過酷な街です。「俺たち、ビールを作っているんだ」と言って「おぉ、すごいね!じゃ100ケースオーダーするよ」…とはなりません。たいてい「そうなんだ」で終わる。クラフトビールがまだ浸透していない時代ですから、「そもそもクラフトビールって何だよ?」という反応でした。 クラフトビールとは? 当初、小規模のビール会社はマイクロブルワリーと呼ばれていた。American Homebrewers Associationが発行する雑誌で、コロラド在住のITライターが「ブルワリーはまるでマイクロプロセッサーのようだ」と表現したのがきっかけ。その後、スティーブが06年より会長を務め、現在は取締役会のメンバー、Brewers Associationでクラフトビールという言葉を使うようになった。 「我々が『クラフトビール』と名付け定義化することで、小規模のブルワリーの販売を促進しようとしたのです。生産量が年間600万バレル以下で、独立企業でかつ大手により25%以上の株シェアを持たせない、そして醸造免許を保持している──これらを満たせばクラフトビールと呼んでいいのです」 日本でクラフトビール、いつから聞くように? 過去30年以上の日本全国の新聞記事(約150紙)を一括検索できる「G-Searchデータベース」によると、クラフトビールという言葉の新聞掲載数は、2000年代初頭には年間15件、10年には35件、11年には99件。12年に入って3桁台の260件、13年には502件。14年に入って4桁台の1198件で昨年1年間では2167件。 《衰退から復活まで》資金が底尽き、二足の草鞋 91年には会社の資金がとうとう底を突いてしまいました。社員への給料はかつかつ支払えたけど、私とトムの給料がまったく出ない状態に。当時湾岸戦争が勃発し、私はニューズデイから戻らないかと声をかけられ、午前中はブルワリーのオフィスで営業電話や顧客訪問をし、午後から42マイル(約67km)離れた新聞社で真夜中まで働く生活になりました。トムは1人でここを回し髪の毛が真っ白になりました。事業がこれからどうなっていくのか、不安でいっぱいでした。 事業が好転したきっかけですか? 94年にギャレット・オリバー(Garrett Oliver)がブルーマスターとして働き始めたことが大きいですね。彼に商品開発を任せるようになってから、ブルワリーを立て直すためにより多くの資金を調達できるようになりました。 ギャレットはうちの各種ビールの生みの親です。美しいビールを創り出すことにいつも情熱を燃やしている素晴らしい「アーティスト」でもあります。 ある日、ギャレットとミルトンの共通点に気づきました。共に天才で、共に自分たちのビジョンを持っています。だから他人が彼らの仕事について、あれこれ口を出せない、そのような存在です。 ビジネスを成功させる秘訣とは?…

027 フランス人も絶賛のベーカリー「L’imprimerie」

ブルックリンのガイドブック『NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ』の著者、安部かすみが、本で書ききれなかったことや、まだあるお気に入りスポットを紹介します。「大切な友人に紹介するとしたら?」という目線で選んだとっておき。今週はブッシュウィックにある「L’imprimerie」です。 以前パリを旅して以来パンのおいしさに目覚め、ニューヨークでもフレンチベーカリー探しをするようになりました。フランス人に出会ったら、おすすめのパン屋を聞くのがお決まり。今回紹介する店は、フランスの友人がすすめてくれた本格ベーカリーです。 元印刷店でパン作りオーナーは異色の経歴 ドアを開けると、店のロゴそっくりの男性が迎えてくれました。フランス出身のオーナー、ガスです。ウェブサイトの写真ではこわもてですが、直接会うと、とても優しい人でホッとしました。 「ようこそ」とペコリとするガス、その経歴を聞いてびっくり。今でこそ堂に入ったパン職人ですが、以前は金融業界で働いていました。リーマンブラザーズ、ノムラを経て、「変化が必要だった」ということで、退職後に市内のフレンチ・カリナリー・インスティチュートでパン作りを学び、インターンシップを経て、このベーカリーを2015年にオープンしました。 新たな人生のテーマにパンを選んだのは「フランス人にとって、コミュニティーを幸せにするマジカルな食べ物だから」。フランスではパンを分け与えることが文化的に根付いていて、パーティーに持参すると必ず喜んでもらえるとのこと。  店名はフランス語で印刷店。ここが以前、印刷店だったという歴史へのオマージュから名付けたそうです。 本物へのこだわり手作りを少量生産 品質管理は特に厳しく、質を一定に保つために少量生産にこだわっています。地下のキッチンは毎朝4時から稼働し、1階奥のオーブンで8時に焼き立てのパンが出来上がります。 どっしりとした本格的なサワードウは、かむほどに味わいが増します。皮がサクサク、中がふわふわな「Croissant」と、チョコチップとアーモンドクリーム入りの「Chocolat Amandes」も人気。コーヒーと一緒に、どうぞ至福な時間を! ブッシュウィックのカフェやグロサリーにも卸しています。「あそこのサンドおいしいよね」って店、もしかしてガスが作ったパンかもしれませんよ。 All photos ©️ Kasumi Abe(安部かすみ) [All photos by Kasumi Abe]All images and Text are copyrighted. 本稿はWeekly NY Japionのコラム ã€å®‰éƒ¨ã‹ã™ã¿ï¼ˆBrooklyn本著者)が案内する「古くて新しい、とっておきのブルックリンへ」からの転載。無断転載禁止

022 ゼロウェイスト、市内初のバルク(量り売り)デリ「Precycle」

ブルックリンのガイドブック『NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ』の著者、安部かすみが、本で書ききれなかったことや、まだあるお気に入りスポットを紹介します。「大切な友人に紹介するとしたら?」という目線で選んだとっておき。今週はブッシュウィックにある「Precycle」です。 レシピを見て凝った料理をするとき、常備していない調味料や食材が必要になったりします。スーパーで買って残りを使わないままホコリが被ったもの、結構あったりしませんか? そんなときに「必要な分量だけ」を買える量り売り(バルクフード)店が、昨年12月オープンしました。昔は日本にもアメリカにもこういうお店、ありましたよね。 ゼロウェイスト(粗末にしない) 「Precycle」のウェブサイトの「The Problem」ページをクリックすると、海岸一帯を埋め尽くしている大量のペットボトルやごみの衝撃的な写真が掲載されていて、考えさせられます。 「市内初のゼロウェイスト専門のグロッサリーマーケットです」と、オーナーのカテリーナ。ジュエリーデザイナーをしていたある日、自宅で大量のごみを見て唖然(あぜん)としたそうです。「過剰包装されていないものを売る店、必要のないごみを出さない店を作ろう」。そう思い付いたのが2015年のことでした。 ここで販売されているものは、米、パスタ、小麦粉、豆やナッツ類、スナックやスパイス、発酵食品、茶葉、オイル類、せっけん、歯ブラシなどの生活用品、そしてジャーなどの透明容器です。 白みそ(1ポンド18ドル99セント)やキムチ(1ポンド8ドル99セント)、豆腐(1ポンド4ドル59セント)、マルカン酢(1ポンド4ドル 99セント)もあります。食品はできるだけオーガニック認証された地元産を仕入れています。 容器を持参しよう 重量分が料金なので、持参した容器の重量を店内にあるスケールでまず計り(その数値をスマホ撮影してレジで見せる)、必要な量だけを入れる。包装などはないので、購入後はそのまま自分のバッグへ。 「オープンから1カ月以上経ち、出たごみは1袋分のみ。これからもごみ量を、同業他社が出す平均量の10%以内に保っていきたい」とカテリーナ。 必要な分だけを買いたい時はもちろん、少量のみ必要な調味料や試したことのない味を試しで買うときなどにも、ぜひ利用してほしいお店です。 (Text & Photo by Kasumi Abe  安部かすみ) 本稿はWeekly NY Japionのコラム ã€å®‰éƒ¨ã‹ã™ã¿ï¼ˆBrooklyn本著者)が案内する「古くて新しい、とっておきのブルックリンへ」からの転載。無断転載禁止

013 手作りコスメ&自然ハーバルスキンケア「Brooklyn Herborium」

ブルックリンのガイドブック『NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ』の著者、安部かすみが、本で書ききれなかったことや、まだあるお気に入りスポットを紹介します。「大切な友人に紹介するとしたら?」という目線で選んだとっておき。 今週はウィンザーテラスにある「Brooklyn Herborium」(ブルックリン・アーボリウム)です。 ホリスティックスキンケアのお店で、全商品をウィンザーテラス店奥のワークショップ(作業場)で手作り&少量生産しています。 日本の友人に連れて行かれて知ったと話したら、共同オーナーのモウリーは「口コミが日本まで広まっているのね」とうれしそうでした。 妊娠を機に「自然派」に目覚める 商品の原料は自然成分にこだわっていて、ニームの木のハーブなど一部は国産がないため輸入品ですが、基本的にはアップステートの農家などと対話し、仕入れ先を選定。環境問題にも取り組み、熱帯林の破壊につながるパーム油などは一切使用しないなど徹底したポリシーです。 モウリーの第一印象は、すてきな笑顔と透明感のある肌。洗顔にはクレー、保湿にはオイルとミストと自分たちで手作りしたものだけを使っていて、日焼け止めクリームやファンデーションは塗らないそう。以前は芸術家だった彼女は現在3児のママ。1人目を妊娠して、自然派に目覚めたそうです。 心身が健康になるフェーシャルも人気 ベイビーヨガクラスで出会ったハーバリスト&エステティシャンのエマが市販品で肌が荒れ、オリジナルライン「Between You & The Moon」を作ったことから2人は意気投合し、店を2011年に立ち上げました。 ホリスティックとは、肌表面だけでなく体の内側と外側、メンタルなども含んだ総合的なアプローチのこと。フェーシャルサービス(75分、169ドル~)では、コンサルテーションもしっかり行います。 「伝統的なハーバリズムをベースにアユールベーダなどさまざまなメソッドの良さを組み合わせて提供しています。ただし人は自ら治療する力がある。私たちは心身ともに健康になるための『神聖な旅』に出るドアを開けているだけです」 メソッド取得の見習いコース(毎週、3カ月間)もあり(参加無料)。 「いいものは私たちだけのものにしておきたくない」海外からの応募歓迎とのことです。 (Text & Photo by Kasumi Abe  安部かすみ) 本稿はWeekly NY Japionのコラム ã€å®‰éƒ¨ã‹ã™ã¿ï¼ˆBrooklyn本著者)が案内する「古くて新しい、とっておきのブルックリンへ」からの転載。無断転載禁止

010 ブルックリンの隠れ家 非日常的空間のティーサロン「Bellocq Tea Atelier」

ブルックリンのガイドブック『NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ』の著者、安部かすみが、本で書ききれなかったことや、まだあるお気に入りスポットを紹介します。「大切な友人に紹介するとしたら?」という目線で選んだとっておき。今週はグリーンポイントにある「Bellocq Tea Atelier」(ベロック・ティー・アトリエ)です。 スプレーの落書きがあるレンガ壁にメタル製の重厚なドア。ドアブザーを押すと、スタッフがドアを開けてくれました。まさか中にこんなすてきな空間が広がっているとは、地元のグルメな友人に紹介してもらうまで想像もしなかったです。 世界中でとれた100種類のお茶がそろう 店内には日本、中国、インド、ネパールなどから仕入れた高品質の茶葉が73種類、同店オリジナルのブレンド茶26種類がそろっています(季節により異なる)。 オーナー自ら茶園に足を運び、生産者と会話をし、高品質のものだけを厳選。ブレンドするのも自然素材のものです。 マーサ・スチュアートでフードエディターをしていたハイディと、プロダクトデザイナーのマイケル、インテリアデザイナーのスコットという同僚同士が3人で「Bellocq Tea Atelier」を立ち上げたのは2010年のこと。 「もともとお茶が好きな人は昔からたくさんいたけど、近年さらにその需要が高まっています」とハイディ。まず3人は紅茶の本場ロンドンで1年間ポップアップ店を開いて地盤固めをして、現在に至ります。「意外にも英国人より外国人がたくさん店に来て買ってくれました」とマイケル。 隠れ家形態のお店にしたワケ なぜこのような隠れ家形態なのか、その理由はというと? 「卸売りから始めたからよ」とハイディ。当初は店の奥のファクトリーだけだったのですが、噂を聞き付けた地元客が「直接買えないか」とドアをノックしたことがショールームを作るきっかけになったそう。始めは1日からスタートして徐々に増やし、今では週5日営業しています。 今の時期のおすすめは「どんどん寒くなるから、チャイコレクション(セットで83ドル)で温まってほしい」と2人。 また、「一つだけお好みを選ぶとすると?」と聞くと、白茶好きのマイケルはブレンド茶の「The White Wolf」(17ドル/3オンス)、ハイディは緑茶ブレンドの「Kukuya」(31ドル/3オンス)を紹介してくれました。 週末はテイスティングも不定期開催中です。 (Text, Photos and video by Kasumi Abe 安部かすみ) 本稿はWeekly NY Japionのコラム ã€å®‰éƒ¨ã‹ã™ã¿ï¼ˆBrooklyn本著者)が案内する「古くて新しい、とっておきのブルックリンへ」からの転載。無断転載禁止

009 19世紀の薬屋で食べるイタリアン「Locanda Vini e Olii」

ブルックリンのガイドブック『NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ』の著者、安部かすみが、本で書ききれなかったことや、まだあるお気に入りスポットを紹介します。「大切な友人に紹介するとしたら?」という目線で選んだとっておき。今週はクリントンヒルにある「Locanda Vini e Olii」(ロカンダ・ヴィニ・エ・オリ)です。 ブルックリン本の取材で、オーナーや地元のミュージシャンにインタビューした際、「おすすめ」ということで偶然にも2人に教えてもらったのが、この店でした(そのうちの1人は、毎週通うほどの大ファン)。 本場トスカーナのシンプルで素朴な味 店名は「ワインとオリーブオイルの旅館」という意味。魅力は何といっても、1896年創業の薬屋さん時代の内装がそのまま大切に残されていることです。 当時使われていたままの戸棚には、アルコールのボトルや置物などが陳列されていますが、「当時のままのピル入りのボトルもあるよ。古いから絶対に服用できないけど」と笑うのは、同店の共同オーナー兼シェフの、ミケル・バルダッチ。 ミケルはイタリア中部のトスカーナ州フィレンツェ出身で、彼がこの店で作っているのも本場のトスカーナ料理。ミケルいわく「一言にイタリア料理と言っても地方によってさまざま。同じ地域でさえも北部と南部では微妙に異なるんだ」と聞いて、妙に納得しました(私の地元福岡は豚骨ラーメンが有名ですが、博多と北九州で確かに違うな、と)。 同店の料理は良質のオリーブオイルや牛肉、豆類などをよく使い、バターの使用は控えめです。一番人気のメニューは、パスタのTagliatelle Al Ragu(17ドル)。どれもイタリアンマンマから受け継がれてきたような、素朴なおいしさです。 「ニューヨークでは手に入らない食材も結構あるんだけど、すべてが手に入ってしまうと世界はつまらなくなる。だからそれでいいんだと思う」という意見に、私も大きく納得しました。 古き良きNYらしさが残る隠れ家 お店に行くときは迷うかもしれません(!)。なぜなら、外観には以前の薬屋「Lewis(ルイス)のオリジナル看板が今でも掲げられているからです(私も初めて行ったとき、気づかずに通り過ぎました…)。 地価が高騰するニューヨークではランドマーク的な多くの老舗が閉店に追いこまれています。このような素敵な店がいつまでも残り続けますように。

007 創作カクテルのおいしいバー「The Binc」

ブルックリンのガイドブック『NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ』の著者、安部かすみが、本で書ききれなかったことや、まだあるお気に入りスポットを紹介します。「大切な友人に紹介するとしたら?」という目線で選んだとっておき、今週はブルックリンハイツにある「The Binc」です。 ブルックリンには、歴史的建造物の保存地区が33カ所もあり、ブルックリンハイツは第1号として1965年に認定された地区。 それより102年も前の1863年に創立されたブルックリン歴史博物館を中心に、映画に出てくるような重厚なブラウンストーンが一帯に広がり、街歩きが楽しい地区です。 関連全6店はすべてブルックリンに そんなブルックリンハイツを散策していてたまたま見つけたバーが、この「The Binc」でした。 The Bincがオープンしたのは2016年。姉妹店全6店の一つとして誕生しました。 姉妹店は、Bevacco、Provini、Bar Tano、Bar Toto、Ogliastroなど、すべてブルックリンにあり、イタリア系です。 そしてBevaccoとThe Bincは隣同士で、Bevaccoでの食事後にThe Bincへ移動し2次会というのもカンタンです。 The Bincは看板バーテンダーのフレージャー・タイが生み出す、季節ごとのクラフトカクテルが自慢。常時13種類以上がそろい、好みを伝えればその場でオリジナルカクテルを作ってくれます。 中でも人気は、日本文化にインスパイアされた酒&ジンベースの「ボンサイ」と、メキシコの蒸留酒メスカルベースの「エビータ」。 私はボンサイをいただきましたが、ワサビが鼻腔を通ってほんのり香り、レモンの爽やかさと黒コショウの苦味が混じり合ったユニークな味で飲みやすく、一瞬で飲み干してしまいました…。 環境問題にも真剣に取り組む店 この店は、環境問題にも真剣に取り組んでいます。脱プラスチックに向け、プラ製ストローから紙ストローへの移行をオープン時から計画していました。取引先の会社が紙ストローを取り扱っていないため、紙ストローの業社を調べたそう。 「価格は1本プラ製が0.005セントほどなのに対して、紙製は3~5セントほどに値上がりしました。でも環境保全を考えたらどうってことのない差額です」と、ジェネラルマネジャーのエイミー・マスセナ。 今後は、フードの持ち帰り用の紙製容器の導入も考えていくそうです。T (Text & Photo by Kasumi Abe  安部かすみ) 本稿はWeekly NY Japionのコラム ã€å®‰éƒ¨ã‹ã™ã¿ï¼ˆBrooklyn本著者)が案内する「古くて新しい、とっておきのブルックリンへ」からの転載。無断転載禁止

006 川沿い&絶景が魅力の地中海店「Celestine」

ブルックリンのガイドブック『NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ』の著者、安部かすみが、本で書ききれなかったことや、まだあるお気に入りスポットを紹介します。「大切な友人に紹介するとしたら?」という目線で選んだとっておき。今週はダンボにある「Celestine」です。 イーストリバー沿いの絶景が眺められるダンボの老舗レストランといえば、昔も今も「The River Cafe」(ザ・リバーカフェ)。プロポーズの場所としても有名で、これまで何組のカップルがここで結ばれたことか。 明るい店内&天気の良い日はテラス席へ 高級&ロマンチック路線はThe River Cafeがダントツおすすめですが、よりリーズナブルでカジュアルな雰囲気を探しているなら、ぜひ「Celestine」へ。 地中海料理店のCelestineは2017å¹´10月にオープンしたばかり。全面ガラスの明るい雰囲気で、川沿いの景色を眺めながらの食事はおいしさがさらに増します。 店を取り仕切っているのは、ハワイ出身で飲食業界20年のマネジャー、ニック・フォルチャー。フレンチやベジタリアン・レストラン、ペイストリー業界でキャリアを積んできたニック。実は日本にあるイタリアンレストランでも働いた経験があるそうです。しかしなぜ日本へ? 「名古屋のNOVAで英語教師をしていたんだけど2007年に会社が破綻したため、東京の広尾にあるイタリアンのシェフから声が掛ったんです」 名古屋に4年と東京に1年住み、ニューヨークへ。ブルックリンのボーラムヒル地区にあるイタリアンの名店「Rucola」(ルッコラ)で働き、オーナー&レストラター(飲食ビジネスを手広くするビジネスマン)であるジュリアン・ブリッツィに実力を認められ、彼が新しく手掛けるようになったCelestineをまかされることになったのです。 新鮮なアペタイザーやワインがおすすめ 味もお墨付きです。主に東地中海沿岸料理(トルコ、イタリア、ギリシャ)をニューヨークスタイルでアレンジしているのは、アメリカ人シェフのガレット・マックハーマン。 ジューシーで香ばしいラム・カバブや、新鮮なメゼ(アペタイザー)をいただきましたが、焼き立てのフラットバン(パン)や地中海の各種コーストワインとの相性もぴったりでした。天気の良い日は、テラス席がおすすめです。 C 取材こぼれ話 今週のジャピオン掲載の私のコラム「古くて新しい、とっておきのブルックリンへ」は、ダンボの景色の良い地中海レストラン。伊語で苦いという意味の食後酒Amaroは消化を助け、日本の養命酒のように老人が飲んでたけど今では若者のトレンドのドリンクだって。お昼から、美味しゅうございました😇 pic.twitter.com/MbA7re8YR8 — a.kasumi NY (@kasumilny) October 27, 2018 (Text & Photo by Kasumi Abe  安部かすみ) 本稿はWeekly NY Japionのコラム ã€å®‰éƒ¨ã‹ã™ã¿ï¼ˆBrooklyn本著者)が案内する「古くて新しい、とっておきのブルックリンへ」からの転載。無断転載禁止

005 ブルックリナイツの社交場「Royal Palms Shuffleboard Club」

  ブルックリンのガイドブックの著者が、本で書ききれなかったことやまだまだあるお気に入りスポットをご紹介します。大切な友人に紹介するとしたら?という目線で選んだ私のとっておきスポット。今週は「Royal Palms Shuffleboard Club」です。     メタルの加工工場をリノベートした、500人収容可能な「Royal Palms Shuffleboard Club」。 1,579平方メートルの広さを誇る元工場ならではの広くて開放的なスペースは、ブルックリンならでは。友人から「ブルックリンらしいところに行きたい」というリクエストを聞いて、まず思い浮かぶお店です。 ここでは、夜な夜なブルックリナイツ(ブルックリン子)がニューヨークでも珍しいシャッフルボードをしながら、飲んだりおしゃべりしたりして、社交を楽しんでいます。   誰でも簡単にできるルールが魅力 シャッフルボードとは、キューと呼ばれる長い棒で円盤を突いて点数が書かれた枠の中に入れるゲームのこと。2人以上からプレーでき、もともとはクルーズ客船の甲板で行われていたスポーツとのこと。 オーナーのジョナサン・シュナップスは、「初心者には無料レッスンがあります。シンプルなルールので、誰でもすぐにプレーできるようになりますよ」と紹介してくれました。   人気は東海岸から中西部にも拡大中 ジョナサンがシャッフルボードと出合ったのは、幼少のころ。 祖父母の住むフロリダで人々がプレーしているのを初めて見て興味がわき、大人になったある日「ブルックリンで若者がシャッフルボードをプレーできる場を作ろう」とひらめいて、2013年にオープン。これが大当たりして噂が広がり、シカゴにも姉妹店ができました。 飲みながらする軽めのスポーツかと思いきや、参加者はチームごとにユニフォームなどをそろえて、リーグトーナメントも開催するほどの熱の入りよう、です。 シャッターを開けたスペースには、週替わりのフードトラックが横付けされ、タコスやホットドッグ、バーベキューなどの軽食も楽しめます。それぞれのグループがプレーしているのを、飲みながら見るだけでも楽しめますよ。   コートの使用料は、1時間40ドルで予約不可(早いもの勝ち)。人数が多ければ多いほどお得です。パーティーは10人以上からコートの予約が可で、ドリンクつきのパッケージ料金も用意されています。 Royal Palms Shuffleboard Club (ロイヤル・パームズ・シャッフルボード・クラブ) (Text & Photo by Kasumi Abe  安部かすみ) 本稿はWeekly NY Japionのコラム ã€å®‰éƒ¨ã‹ã™ã¿ï¼ˆBrooklyn本著者)が案内する「古くて新しい、とっておきのブルックリンへ」からの転載。無断転載禁止