フランク・シナトラの曲「New York, New York」歌詞の和訳

Start spreadin’ the news, I’m leavin’ today  朝になりニュースが騒ぎ出す 今日は出発の日だI want to be a part of it 私はこの街の一部になりたいNew York, New York ニューヨークニューヨークThese vagabond on shoes, there are (how?) longing to stray さすらいの旅人たちは彷徨うRight through the very heart of it  この街のど真ん中をNew York, New York  ニューヨークニューヨーク I wanna wake up, in a city that doesn’t sleep 眠らない街で、私は再出発したいAnd find I’m king of the hill そうして私は丘の上の王者になるTop of…

NYから「文化」が消えた日 ブロードウェイ全公演が今日から閉館【新型コロナ】

いつもは賑わっている夕方の劇場街。今日は人もまばら。(c) Kasumi Abe トランプ大統領が国家非常事態を宣言 アメリカ国内のCOVID-19(新型コロナウイルス)感染者数は13日の時点で18752110人、死者4148人となった。 ニューヨークタイムズ紙による、現在の症例数がわかるアメリカおよび世界のマップ(アップデート中) トランプ大統領は同日、COVID-19(新型コロナウイルス)対策として、国家非常事態を宣言した。これにより支援金として、連邦資金から最大500億ドル(約5兆4200万億円)の予算を確保できるという。 また大統領は同日から、UKを除くヨーロッパ諸国からアメリカ市民以外の入国を30日間禁止するという大胆な入国禁止措置を取り、ヨーロッパから旅行や仕事でアメリカ行きを予定していた人々や帰国を予定していたアメリカ人の間で大混乱が生じている。 ニューヨーク州の感染者421人に ニューヨーク州でも同日、感染者は328421人(ウエストチェスター郡148158人、ニューヨーク市95154人、ナッソー郡51人、サフォーク郡28人など)となった。(詳細) 12日、ビル・デブラシオ市長もニューヨーク市の非常事態を宣言した。この宣言により、市は公共交通機関の運休や道路の閉鎖、夜間外出禁止令など人々の移動規制、必要な物資の供給などが行えるようになる。市長は、感染者増加により混乱を招く異常事態や一般生活への打撃は半年以上続くかもしれないことを示唆した。 ブロードウェイやメットオペラが休演に すでに非常事態を宣言している州全体では13日から、人の密度を減らす新しい施策が取られ始めた。 具体的には、収容人数が500人以上の施設で行われる州内の集会やイベント、ライブなどは禁止され、収容人数が500人以下の場合は、収容率を50%以下に削減することが開催の条件となっている。 この施策は同日の午後5時からスタートし、約1ヵ月(ブロードウェイの劇場は4月12日まで)行われる。 これにより、ニューヨーク市の人気観光スポットであるブロードウェイ・ミュージカルの41の劇場すべて、メトロポリタンオペラ、カーネギーホールはすべての公演の中止を発表した。また閉館施設には、メトロポリタン博物館も含まれる。 ニューヨークタイムズ紙によると、ブロードウェイの昨シーズンの集客は1480万人で売り上げは18億ドル(約1940億円)にも上るといい、1ヵ月もの休演は、経済的にも相当な打撃をもたらすことが予想される。 新型コロナウイルスの影響により失業、アパートの立ち退き、事業閉鎖、食糧不足になる可能性が懸念されている。クオモ知事は13日、このような緊急事態において新型コロナの影響で失業した場合、失業保険の7日間の待機期間の廃止や、光熱費を払えなくなった場合でも電気やガスなどを止めることがないよう担当機関へ要請した。 ニューヨーク市は1970年代の財政危機を引き金に犯罪数が激増し治安が悪くなった暗黒の歴史がある。失業や社会不安などにより人々や街の雰囲気が荒んでくると、治安の悪化も十分ありえるので、注意が必要だ。 自粛傾向は公立図書館、学校から一般の生活まで 13日午前中の段階で規制の対象外だったのは学校、図書館、病院、養護施設、公共交通機関だったが、同日午後になって、92の全図書館や学校の一部もクローズされると発表があった。筆者の友人Vが教師として勤務するブルックリンの小学校はまだ休校になっていない。友人曰く「休校になってしまうと貴重なバケーション日数が削られてしまうから、休校になってほしくない」と呟いているが、休校も時間の問題かもしれない。 さらに小規模のイベントでも少しずつ「自粛」傾向にあり、12日には私もよく利用する図書館でのイベントが4月末まで中止になることが告げられた。また、13日夜に予定していた久しぶりに会う別の友人とのディナーも、友人曰く「further noticeまで」、つまり政府から事態回復の発表があるまで、取りやめようということになってしまった。 17日には、ニューヨーク市の春の風物詩であるアイルランド発祥の大イベント「セントパトリックス・デー・パレード」が予定されていたが、これも取りやめに。この日は通常なら衣装から髪やヒゲ、ビールの色まであらゆるものが緑色に染まり、三つ葉が散りばめられる。これは、アイルランド系のみならず多くのニューヨーカーが長かった冬の終わりとこれから始まるもっとも美しい季節の到来を喜ぶ日なのだ。しかし258年の歴史で初めて中止が発表された。楽しみにしていた人々にもたらした失望は相当なものだ。 全米規模では、NBA、NHL、MLSなどのメジャースポーツもシーズンを中断、MLBではシーズンの開始の遅延も発表された。 情報が輻輳する中、この日もMTA(市営地下鉄)の運休や道路封鎖、はたまた国外の大統領の感染まで、さまざまな「フェイクニュース」が飛び交い、人々を混乱させた。人はパニックになり、一部のスーパーでは朝から長蛇の列ができ、買い占めによる在庫不足も起こっている。 人気スーパー、トレーダージョーズの様子。 デブラシオ市長は、これまで連邦政府が、市がウイルス検査を迅速に行うための能力に制限をもたらしたとして、12日の記者会見で不満をあらわにし、このように語った。「我々は十分な弾薬なしで戦争をしているようなものだ」。 芸術やスポーツなど文化的なものがなくなってしまうと、人々の心も荒んでくる。市民の頭の中は連日の報道やソーシャルメディアの情報などですでに「新型コロナ疲れ」気味だが、この騒動(戦い)は信じられないことに、当地ではまだ始まったばかりなのだ。 (Text and photos by Kasumi Abe) 本稿はYahoo! Japan News個人からの転載。無断転載禁止

新型コロナウイルスに関するNY最新現地事情まとめ(2)ニューヨークにアジア人差別はある?篇

旅行、もしくは仕事や留学でニューヨークを訪れる方も多いと思います。いくつか関連記事を書いているので、ここでまとめたいと思います。 第2回目は、日本人として気になる「アジア人への差別はありますか?」について。 これはコロナ以前から、日本から視察や観光で来られた方にたまに受ける質問でした。 私の答えは「人の心の中までは知る由がありませんが、実際に私が直接感じたあからさまな差別はニューヨークでは特に思い出しません」ということです。 私が住むニューヨークとは違いますが、ロンドンやパリではびっくりする出来事が、たったの数日の滞在でいくつかありました。 例えば、2018年に訪れたロンドンのハイエンドなアフタヌーンティの店で、テーブル待ちをしていた時のこと。謂れ無き理由で白人の年配のカップルに待合室の椅子を強制的に譲るように、スタッフに言われてびっくりしたことがありました。ニューヨークでは感じたことがない経験でした。この時に移民の国と、王族・貴族の由緒ある国でのアジア人(観光客)の扱い方の違いを身近に感じました。 フランス、パリでもちょっとした意地悪をお店のスタッフにされたことがあります。 ただ、ロンドンでもパリでも差別をする人は「一部の心ない人」だと思うので、私はそれくらいでその国の人々を嫌いになったりはしません。ただ「この国ではそういうことが起こるんだ…」っていう程度の感想です。 またアメリカでも15年以上前のことになりますが、中西部でこんなことがありました。 その街では白人がほとんどで、アジア人は滅多に見かけません。友人(白人)とダイナーでご飯を食べていた時、隣のテーブルに2人組の女性が座りました。うち1人が私をチラッと見て「そう言えば、私最近、中国人に仕事を取られたのよねぇ〜」と話しはじめました。私を中国人と思って言った言葉であることは間違いありませんでした。 18年間、海外に住んでいますが、今思い出す差別はこれくらいです。 (細かいこと言えば〜の対応が悪かった、などはありますが、社会的立場の高い教養のある方から差別や失礼な態度を取られたことは一度もありません) 今回、新型コロナウイルスが中国から発生したということで、私もアジア人として嫌がらせを受けたりしないかと初めのころは身構えていたのですが、特に何も起こっていません。 ただ1月末に1度だけ、ちょっと嫌な気持ちになったことはあります。 電車に乗っていた時、向かいに東欧系の言葉を話す白人の女性2人が座っていました。チャイナタウンの駅で中国系の女性が乗車し2人の女性の隣に座った時、そのうち1人が笑いながらタートルネックを鼻の上まで引き上げました。私はその瞬間、眠ったふりをしました。見ていられなかったのです。しばらくするとタートルネックは降ろされていたのでほんの冗談のつもりだったとは思うのですが、同じアジア人としてまったく良い気はしませんでした。 でもこの出来事も後でよく考えてみると、差別をしたのは「ニューヨークの人ではない」というのがポイントかと思います。ニューヨーカー(ここに長く住む人々を含む)は、多様性の中で生きているので「普通の人」は差別などしないです。 それでもたまに差別や憎悪犯罪が起こるとしたら、それはもう「事故」にあったようなものでしょう。 (以下は、Tabizineに寄稿した記事の一部を抜粋します) ヨーロッパなどでは言われなき差別をアジア人が被ったというような話がよく聞こえてきます。 ニューヨークは移民の街であること、アジア人がもとから多いことなどから、私自身も、周りの友人も特に目立って大きな差別を受けていません。 クオモ知事も、このようにツイッターで発信しています。 「ニューヨークの街の強さは多様性だ。ここにはヘイトなんて起こるスペースは1mmもない」#NoHateInOurState マスクをしていることで「病気を移さないで」とからかわれたことがある人もたまにいるようなので、病気でなければニューヨークではマスクを着けない方がいいでしょう。 正気でない人が、アジア人に向かって嫌がらせをしている様子がたまにソーシャルネットワークなどに上がってきますが、そのような正気でない人はきっと全人口の一部だと思いますので、それを気にしてニューヨーク行きを諦めるのはもったいないです。 【新型コロナウイルス:速報】感染者急増のニューヨーク最新現地事情と渡航情報 3.11.2020 Coronavirus is NO excuse for racism. This assault is disgusting & I am directing the State Police Hate Crimes Task Force to assist in the investigation to make sure…

セリーヌ・ディオンのカバー曲「All By Myself」歌詞の和訳

When I was young 若い時I never needed anyone 誰かを必要とは決して思わなかったAnd making love was just for fun 体を重ね合わせるのはただのお楽しみだっただけThose days are gone このような日々は過ぎ去りLivin’ alone  1人で生きているI think of all the friends I’ve known  私が知る友人たちを思うBut when I dial the telephone でも電話をかけたところでNobody’s home 誰もいやしない All by myself 1人で生きていくのはDon’t wanna be いやだわAll by myself 1人で生きていくのはAnymore もういや Hard to be sure そうだと確信するのは難しいSometimes I feel so insecure 時々不安に思うAnd love so distant and obscure 愛はとても遠く、あいまいなものRemains the cure 回復に向かってこのまま (repeat…) Translated…

「クラフトビール」ブームを作った男 ブルックリンラガーが世界のビールになるまで【創業者インタビュー】

創業者のスティーブ。カウンター右端がいつもの指定席。© Kasumi Abe 水曜日の午前10時。テイスティングルームの2階にあるオフィスはとてつもなく広く、剥き出しの天井と柱がいかにもブルックリンぽい。「ようこそ」と笑顔で現れた創業者のスティーブ・ヒンディは、ストライプシャツの上にカジュアルなベストを羽織りジーンズ姿。いわゆる会社の「エライ人」というより、 どちらかと言うと同業者を思わせる。 私は大好きなブルックリンラガーの話を聞けるこの日を、とても楽しみに迎えた。スティーブに誘導され、スタッフが仕事をしているオフィスを歩く。右側の全面ガラスの向こう側にはミーティングルームが連なり、いくつもの戦略会議が行われているようだ。胸が高鳴る中、一番奥の部屋へと通されテーブルに着いた。 (以下、創業者スティーブ・ヒンディ氏のインタビュー内容) 80年代、戦場を駆け抜けた 私は1979年から5年半、ジャーナリストとしてAP通信で働き、中東地域に派遣されました。イラン革命時にはイランでアメリカ大使館人質事件をレポートし、イラン・イラク戦争時はバグダッドでイラク軍のすぐそばにいました。湾岸戦争時はベイルートで戦況を追っていました。特派員という仕事は大変やりがいがありました。 それがなぜブルックリンでのビール作りに至ったか。 妻エレンとのロマンスが関連します。札幌生まれのエレンとは16歳の時に出会い、彼女が大学を卒業した73年に結婚しました。私は24歳、エレンは22歳。私の就職のために北部アップステート・ニューヨークからニューヨーク市内に引っ越しました。しかしその後いろいろあって、私たちは離婚することに。ベイルートに派遣された後も、私はしばらく報道にのめり込んでいました。しかしある時ふと心の中で、エレンを恋しく思うようになりました。手紙を書き何度かのやりとりの後、彼女がベイルートまで会いに来てくれました。 最終的にはよりが戻り、私たちは戦時中のベイルートで再婚しました。子どもが生まれた後は、危険と隣り合わせのベイルートからカイロに引っ越し、2人目の子も授かりました。そんな訳で私たち夫婦は山あり谷ありですが47年間も一緒にいます(笑)。 そうこうしていたら、マルコス元大統領の件でフィリピンへの派遣要請がきました。私は嬉しくて意気込んでいたのに、エレンが幼子連れでのマニラ行きは嫌だと大反対。それで私は自分の意に反して84年に退職し、家族と共にニューヨークに戻って来たのです。 翌年から新聞社のニューズデイ(Newsday)の編集者の仕事を得ました。しかし私は全然ハッピーではありませんでした。世界を揺るがす場所で動き回っていた私にじっと机に座る仕事ができると思いますか? もちろん編集者次第でレポートの価値も上がってくるので良い編集者はとても価値があります。しかし私にとって編集職は見返りを感じられませんでした。オフィスを見渡すと、年寄りの白髪頭の同僚男性が、ネクタイを締めて机にひたすら向かっている。「これは自分がやりたいことではな~い」と思いました。 振り返ると、おそらくこれが起業への強いモチベーションになったのでしょう。 ビール作りは自宅キッチンから そのころ私は趣味で、自宅でビール作りを始めました。カイロで出会ったアメリカ大使館の外交官が、サウジアラビアに住んでいた時、アルコールを買えないので自宅で作っていたと教えてくれました。その時にビールって自宅でできるんだと知りました。 当時からニューヨークには、ビールやワインのホームブルワリーキットを販売する店がいくつかありました。ラガーは温度調整が大変だけどエールは簡単なので、最初はアンバーエールを48ボトル作りました。なかなか美味しかったですよ。ただし…ボトルに蓋を取り付けるのが一苦労でね。いつもボトル半分が破損し、ガラスの破片が散乱するわエレンには怒られるわ…。 それから2年後の87年に、トム・ポッターと一緒に創業しようということになりました。私はそれまで大企業に属していたわけですから、起業は大きな変化でした。事業を立ち上げるのは未知の世界で怖かったです。資金が持つか、売れなかったらどうしようか、など心配は尽きませんでした。 治安悪し=安い土地、ブルックリンで創業 ビールを販売したのは翌88年からです。今の場所よりもっと奥地のブッシュウィック地区で醸造していました。 その時代のブルックリンは、とても治安が悪かったです。日暮れ後は大男のトラックドライバーでさえも近寄らなかったほどでした。なんでそんな場所を選んだか?19世紀のビール醸造所の廃墟ビル(Otto Huber Brewery)跡地の2階が無料で貸し出されたからです。 しかしタダより高いものはありません。床はガタガタで、エレベーターとフロアの段差も大きく、ビールの搬出は相当骨の折れる作業でした。結局、有料(年間リースがスクエアフィートで1ドルと格安)の1階に移ったものの状況は変わらず。91年からウイリアムズバーグ地区にオフィスや倉庫を置きながら、88年から96年まで州北部のユティカ市で醸造していました。 ウイリアムズバーグの今の場所に醸造所とテイスティングルームを置いたのは96年のことです。 今ではウイリアムズバーグは、マンハッタンより不動産が高くなりました。しかし当時は倉庫や工場以外何もなく、年間リースがスクエアフィートで3ドルと格安でした。うちは35,000スクエアフィートなので当時の賃料は年間105,000ドル程度。今では60ドル以下は見つからないから、どれだけ安かったかわかるでしょう? 世界的デザイナーが手がけた「B」ロゴ誕生秘話 ブルックリンはもともとビール作りの盛んな街で、19世紀には48もの醸造所があったんですよ。76年に廃業するまで、この辺にも2つの大きな醸造所がありました。 だから私たちの創業時のキャンペーン(スローガン)は「メイド・イン・ブルックリンのビールを作り、この街に醸造所を復活させよう」ということでした。 私が最初に考えたブランド名は、地元紙からとった「ブルックリン・イーグル・ビール」。ブランド名が決まれば次はラベル作りです。エレンが「せっかく作るのだからトップ中のトップにお願いしては?」と言います。私の頭に浮かんだのは「I(ハート)NY」のロゴやボブディランのアルバムを手がけたミルトン・グレイザーでした。 早速彼のオフィスに電話をかけてみました。電話に出た女性は「あなた、ミルトンが誰だかお分かり?」と聞きます。私は「もちろん。それを承知で電話しています」と答えたところ「ミルトンは誰でも闇雲に会うわけではありませんよ」とあっさりと断られました。私のジャーナリスト魂がメラメラと燃え、こう返しました。「私はミルトン・グレイザーに会うつもりでいます」。その日から毎日電話をかけ続けました。 ある日その女性が「あなた、諦める気になったわけではないですよね?」と聞いてきたことがありました。私は「いいえ。私はミルトンと話をしたいのです」と答えました。彼女は「待って」と言い、ついにミルトンに繋げてくれたのです! ミルトンに構想を話したところ「それは楽しそうだね。会いにおいで」と招いてくれました。そうして出来上がったのが87年に完成した「B」のロゴです。 《誕生》「クラフトビール?何それ?」 ただし、事業はまったく思うようにいかなかったです。ニューヨークはビジネスをする上で過酷な街です。「俺たち、ビールを作っているんだ」と言って「おぉ、すごいね!じゃ100ケースオーダーするよ」…とはなりません。たいてい「そうなんだ」で終わる。クラフトビールがまだ浸透していない時代ですから、「そもそもクラフトビールって何だよ?」という反応でした。 《衰退から復活まで》資金が底尽き、二足の草鞋 91年には会社の資金がとうとう底を突いてしまいました。社員への給料はかつかつ支払えたけど、私とトムの給料がまったく出ない状態に。当時湾岸戦争が勃発し、私はニューズデイから戻らないかと声をかけられ、午前中はブルワリーのオフィスで営業電話や顧客訪問をし、午後から42マイル(約67km)離れた新聞社で真夜中まで働く生活になりました。トムは1人でここを回し髪の毛が真っ白になりました。事業がこれからどうなっていくのか、不安でいっぱいでした。 事業が好転したきっかけですか? 94年にギャレット・オリバー(Garrett Oliver)がブルーマスターとして働き始めたことが大きいですね。彼に商品開発を任せるようになってから、ブルワリーを立て直すためにより多くの資金を調達できるようになりました。 ギャレットはうちの各種ビールの生みの親です。美しいビールを創り出すことにいつも情熱を燃やしている素晴らしい「アーティスト」でもあります。 ある日、ギャレットとミルトンの共通点に気づきました。共に天才で、共に自分たちのビジョンを持っています。だから他人が彼らの仕事について、あれこれ口を出せない、そのような存在です。 ビジネスを成功させる秘訣とは? 1. ロゴ(ブランディング) 私たちは初期の初期に大切なことをしました。それはブランディングです。 先のミルトンの話には続きがあります。打ち合わせで彼にブランド名を話したら、彼が「イーグルはいらない。シンプルにブルックリンラガー、ブルックリンブルワリーにしよう」と言いました。その言い分はこうでした。「ブルックリンで事業をしようとしている。そして誰も土地名を名乗っていない。だからブルックリンにフォーカスしよう」。ただし、今ではクールなイメージの土地柄ですが、先述のように30年前は良くなかった。「ブルックリンブルワリーという名にする」と人に言っても「えええ?」という反応でした。 また、こんなこともありました。ミルトンができあがったロゴを見せてくれた時のこと。そこには「B」とだけ書かれてあります。私は思わず「え、これだけ?」と聞きました。彼は「何も言わずに持って帰り、多くの人に見せず、キッチンのテーブルに置いて奥さんだけに見せてごらん」と言います。その通りにしたところ、Bのシンプルな美しさが浮き立って見えるようになりました。かつての球団ブルックリン・ドジャースを始めとするこの地のスポーツの歴史も呼び起こすものでした。でもノスタルジーとは違い、逆に新鮮で新しくスマート(賢さ)だった。これらはミルトンから教わったことです。 2. 流通(ディストリビューション): 近所にソフィア・コーリヤ(Sophia Collier)という女性起業家が住んでいました。彼女はSoho Natural Sodaという会社を興した人で、事業をアパートの1室でスタートし成功した人だから、私たちはとても刺激を受けていました。 ある日彼女と会う機会があり、ミルトンのロゴを見せたら、彼女が「主流ビールとは異なり素晴らしい。さすがミルトンだ」と褒めてくれました。「しかし、デザインがいいからと言って胡坐をかけませんよ」と言います。ディストリビューション(流通)なしでは事業は難しい、と。彼女は健康食品のディストリビューターを使って売ろうとしたけどうまくいかず、ソーダに特化したディストリビューターもだめ、最後はバンを購入し、ロゴをつけ、自分たちで運転し販売してみてやっとうまくいったということでした。…

053 スターシェフによるブルックリンの名イタリアン「Misi」

以前このコラムでも紹介した、ミシュランガイド・ニューヨーク版の二つ星を毎年獲得している「Aska」など、ブルックリンのサウスウィリアムズバーグは近年、さまざまな名店が集まる、フーディーたちに注目のエリアです。 手打ちパスタルームがお出迎え 「Misi」を訪れると、広くて清潔感のあるパスタルーム(手作りパスタ作業場)で職人が作業をしている様子が全面ガラスからうかがえ、胸が高鳴ります。ここは作業場のみならず、24人までのプライベートディナーにも使えるスペースです。 お店の中は白と黒の2色と木目調が基調の、シンプルで洗練された北欧風のインテリア。調理場がオープンキッチンになっていて、シェフたちがすぐそばで働いている様子もうかがえ、活気が伝わってきます。 名店リリアの姉妹店 なぜこの店が人気で、予約が取りづらいのかと言うと、オーナー&シェフがミッシー・ロビンズさんだからです。ミッシーさんは、料理界のアカデミー賞と言われるジェームズ・ビアード財団賞など、数々の受賞歴があり、彼女が2016年に最初に手掛けた店は、ニューヨークタイムズ紙により三つ星レストランに選ばれた、同じくブルックリンの「Lilia」です。「Misi」はそれに続く2軒目のイタリアンレストラン&バーとして、18年9月にオープンしました。 ミッシーさんは、以前シカゴにあるイタリア料理の名店「Spiaggia」で2003年から5年間、エグゼクティブシェフとして調理場に立ってきました。 その後ニューヨークに戻り、「A Voce Madison」と「A Voce Columbus」のエグゼクティブシェフとなり、在職中はずっとミシュラン星を獲得。10年には、『フード&ワイン誌』の「ベスト・ニューシェフ」の1人として選ばれています。 「『Misi』のシグネチャーフードは、パスタ料理に加え、季節の野菜を使った料理です」と広報のエレノア・メイヤーさん。人気店なので、ゴールデンタイムを狙うなら早めの予約が良いでしょう。 [by Kasumi Abe and Evan Sung]All images and text are copyrighted. 本稿はWeekly NY Japionのコラム 、安部かすみ(Brooklyn本著者)が案内する「古くて新しい、とっておきのブルックリンへ」からの転載。無断転載禁止

伊ローマ発で世界展開、本格的なモッツァレラ&ピッツェリア (ニューヨーク店)

Obicà Mozzarella Bar, Pizza e Cucina(オービカ・モッツァレラ・バー・エ・クッチーナ)は世界初のモッツァレラ・バーを謳った、モダン&カジュアルな本格的ピッツェリアのお店です。Silvio Ursini氏が2004年にイタリア・ローマで創業しました。 天井が高く、奥に広く、ガヤガヤととても活気がある店内 (c) Kasumi Abe 店名の一部にもなっているモッツァレラチーズ(9-16ドル)は、イタリアから定期的に空輸されるカンパニアの水牛の牛乳のみを使用しとても新鮮です。クラシックタイプのものからブラッタなど、6種類がそろっていて、3種類を少しずつお試しできる「モッツァレラ・サンプラー」(24ドル)もおすすめ。 店内奥の石窯で焼かれる本格的なピザも外せません。どれもクラストがふんわり、サクサクしています。中でも筆者のおすすめは、2種類のチーズがたっぷりでリッチな味わいの、ポルチーニ茸、タレッジョ、バッファローモッツァレラのピザ、Porcini E Taleggio(写真下)です。 Porcini E Taleggio(24ドル)(c) Kasumi Abe お腹に余裕がある場合は、パスタもオーダーしてみてください。幅広の平麺、パッパルデッレに濃厚なラグー(イタリアのミートベースのソース)が絡んだPappardell(一番上の写真)も試してほしい1品です。ラグーに絡むほのかに酸味のあるオレンジの皮の香りがポイントです。 現在はイタリア国内に10店舗、イギリスに4店舗、アメリカに3店舗(うちニューヨークには2店舗)、そして日本には六本木ヒルズや東京ミッドタウンなど5店舗と世界4ヵ国に22店舗展開中です。 [All photos by Kasumi Abe]All images and text are copyrighted. 本稿はTabizineに寄稿したものを一部加筆修正したもの。無断転載禁止

新型コロナウイルスに関するNY最新現地事情まとめ(1)マスク篇

旅行、もしくは仕事や留学でニューヨークを訪れる方も多いと思います。いくつか関連記事を書いているので、ここでまとめたいと思います。 第1回目は日本でも品切れの「マスク」事情について。   2月3日(月)の週になって、ドラッグストアにマスクを買いに行ってみたところ、見事に売り切れ状態でした。 マスク姿は「ウイルス持ち」「病気」のようなイメージを人々に与えかねないため、滞在中に予防用マスクをする際は十分気をつけましょう。 【新型コロナウイルス:速報】ニューヨークの最新現地事情とアメリカ人のウイルス防止対策 (2.8.2020) これについては、マスク姿のアジア人女性と男性が地下鉄の駅でいざこざになり、女性が男性に暴行されているところがSNS上で拡散され話題になりました。2人の間に何が起こったかは知る由がありませんが、中にはピリピリしている人もいるのは間違いないでしょう。 また私の知り合いの女性も先日地下鉄の駅で、防止用のためにマスクをしていたところ、通りすがりの女性に「病気を移さないで」と言われたそうです…。   街中や電車内でマスクをしている人はほんの一部(筆者の感覚では0.5〜1%ほどの割合)なので、おそらく転売業者などが買い占めているか、華僑が自身で使用したり、中国の家族や親戚に送るなどしているのかもしれない。 価格はやや高いが(2枚で5ドル=約500円)、路上などでは現在このように販売されていたりもする。 NYで初の感染者、全米で死者6人 パニックで水や米の買い占め騒動に? (3.3.2020) マスク不足と言っても、あるところにはあるんですよね。(箱から出されたマスクの衛生面が気になるところですが…) ちなみに私は、2月上旬に薬局でスタッフに尋ねたところ、始めは「売り切れ」と言われたのですが、後で倉庫の隅に残っていた「最後の1個が残っていた」と持って来てもらいゲットでました(上写真)。 アメリカ国内には需要に応じて、4,300万枚のマスクの供給準備があり、今後もさらに製造、入手可能の予定。 (その後、マイク・ペンス副大統領が「医療関係者や感染の疑いがある人以外は、マスク着用の必要性はまったくない」とフォローし釘を刺した) 新型コロナで初の死者も専門家により封じ込めに自信 「パニックになることは何もない」トランプ大統領 (3.1.2020) CDC(アメリカ疾病管理予防センター)では「マスクは健康な人には必要ない」と発表されています。そういう事情で、感染者が出たニューヨークでもいまだにマスク率は低いです。私もまだ、マスクは着けたことはありません。 以上、旅行や滞在の際の参考になれば幸いです。 (Photos and text by Kasumi Abe) 無断転載禁止

美食家が唸る名実共に世界一 NY最高級のニューアメリカン料理を体験「Eleven Madison Park」

水曜日の午後9時半すぎだというのに、店内は満席です。「ホンモノ」だけを知っている世界中の美食家の社交場的な存在である最高級レストラン、Eleven Madison Park(イレブン・マディソン・パーク)。 料理界のアカデミー賞と言われるJames Beard Foundation Awardで「アウトスタンディング・シェフ」にも選ばれた奇才、ダニエル・ハム氏が腕を振るう店。2017年には世界のトップレストランを決める毎年恒例のWorld’s 50 Best Restaurantsで、世界1位の名誉を獲得。またミシュランガイドのニューヨーク版でも、最高の三つ星を毎年取り続けています。 8-10品のテースティングメニュー ここで提供されるのはコンテンポラリー・アメリカ料理。季節や新鮮な食材の調達具合に応じて内容が変わる、8-10品のテースティングメニュー(1人335ドル。バーは5品コースで1人175ドル。税別、ドリンク別、チップ込み)を楽しめます。 この日(1月末)のメニューの中から私が選んだのは、 新鮮なキャビアと甘くないセイボリー・チーズケーキ(チョウザメ燻製入り、写真上、テーブルサイドで盛り付けてくれます) フォアグラのコールラビと生姜添え、ロブスターとマテ貝(ウニソース添え) その場で作ってくれる新鮮な自家製豆腐(写真上、黒トリュフをふんだんにかけてくれます) 仔牛の柔らか〜い頬肉 など、デザートも含め目にも舌にも楽しい全9品でした。 どれもが芸術品とも言える素晴らしい味と香りと盛り付けで、ペアリングのワインとの相性も完璧です。(ドリンクはオプショナル。ワインペアリングは2種類 – 1人175ドルと315ドル – から選択) 食事後、スタッフがこの日のメニュー表と、朝ごはん用の手作りグラノーラ(同店オリジナルの専用保存ケース入り)、そして同店オリジナルボトルのアップルブランデーのLaird’sを丸々1本を持って来てくれました。 心からのサービスに感激しきり。 通常の店はおもてなしと言えども、顧客が話をしている所に割って入るサーバーがいるところも珍しくない中、このお店は味、食材の品質、ホスピタリティー(おもてなしと心配り)、エンターテイニング、すべてが二重丸でした。 翌朝、手作りグラノーラがまた何て美味しかったことか! それをいただきながら、前夜の「夢」に改めて浸ったのでした。 予約について:(ウェブサイトによる完全予約制で、フード料金は予約時に支払う) [All photos by Kasumi Abe]All images and text are copyrighted. 本稿はTabizineに寄稿したものを一部加筆修正したもの。無断転載禁止

052 近隣クリエイターが夜な夜な集まる、クラフトカクテル・バー 「Yours Sincerely」(NYブルックリン)

知り合いのクリエーターが「ブッシュウィックに、近隣のアーティストなどがよく集まるおしゃれなカクテルバーがある」と教えてくれました。聞けばただのバーではなさそうです。真っ暗な店内に引き込まれるように入りました。 タップは全部で31種類 店の看板には昔の趣のあるコカコーラ・マークがあり、一見「これ何の店?」と思いました。「昔キャンディーストアだったのを、前のオーナーがAirbnbとして使い、2015年大みそかに今の形態のバーになりました」と話すのは、店の代表マークさん。 バーカウンターにズラリと並ぶタップから、「Yours Sincerely」がただのカクテルバーでないことが分かります。聞けばここのカクテルはすべて「ドラフト」だそう。全部で31種類で、中にはクラフトビール、ウイスキー、赤&白ワイン、手作りソーダも。タップワインは飲んだことがあるけど、タップカクテルは経験なし。早速いただきました。 まずはホワイトラム、ライム、シンプルシロップなどで作られたダイキリの「Lab Rat」から(10ドル、毎日5〜8pmはハッピーアワーで5ドル)。フレッシュで飲みやすく、喉をリフレッシュしてくれます。軽量のために使われているガラス製ビーカーもおしゃれ! 冬季は温かいカクテルも飲みたくなります。「Re-Animator」(11ドル)はイタリアの食前酒カルダマロに、ビターリキュールのブランカメンタ、コーヒー豆が入っていて、おなかの中から体を温めてくれます。 隠れメニューも どれを注文していいか分からない場合も心配ご無用。メニューには「デシション・メーカー」(判断決定表)の図解があります。 例えば、軽くリフレッシングしたいか、思いっきり飲みたい気分か、好みの味は甘めかドライか、ハーブが効いたものか、トロピカルか…。きっと自分好みの味にたどり着けます。ぜひお試しを。 またあまり知られていませんが、メニューにブラックライトを当てると、隠れメニューも浮き出してきます。遊びゴコロいっぱいのバーです。 フードはないけど、隣のレストランからBYOB(持ち込み)してよいとのこと。良心的なのもうれしいです。 [by Kasumi Abe]All images and text are copyrighted. 本稿はWeekly NY Japionのコラム 、安部かすみ(Brooklyn本著者)が案内する「古くて新しい、とっておきのブルックリンへ」からの転載。無断転載禁止